優しく、温かい
少しの嗚咽と、それにも関わらず笑い続ける私に彼らはたじろいながらもその場を動くことはなかった。無抵抗の私を人質にするチャンスだと言うのに、彼らの中では確かに決意が揺らめいていることが分かる。
「お前は、…本当に【聖女】なのか?」
「はい。私は紛れもなく、アルティナ教第十七代聖女ですよ」
意志が揺らぐ、困惑めいた口調で問われたものに私は素直に答えた。私が聖女であることは嘘偽りない、事実なのだから。
「お前は、俺達から奪った金で贅沢に暮らしてるんじゃないのか…?」
「そうですね…。貴方達の想像通り、何不自由ない生活はしています」
「なら何故ッ…?!!」
同情から漏れ出た、期待するような質問に私はありのままを話す。私の答えは彼の望むものにはなれなかった。
確かに私は雨風を凌ぐだけの家も、死なない程度の食事も、全て揃っているからそこまで自分を不幸にも、哀れむつもりもないのだから。
「不自由のない暮らしが『幸せ』ですか? 私は少なくとも、あの場所に幸せを感じたことなど一度もありません」
これが私の本音。必ずしも、不自由じゃなければ【自由】なわけではないと気づかされたこの八年間だ。
「ッ…、結局世間知らずのお貴族様の我が儘かよ!!」
まるで裏切られたとでも言わんばかりの言いようだが、その言葉は私の琴線に触れた。
「『我が儘』…? ははっ、…そう。貴方達も私が駄々(だだ)を捏ねていると言うのね」
これまでの丁寧な口調も一気に崩され、私は怒りにも、呆れにも、失望にも似た感情でそう吐き捨てた。
「我が儘じゃなきゃなんと言う! お前は食う飯も、服も、家もあるじゃねぇかッ」
「この痩せた枝みたいな腕を見ても?」
私の言葉に更に熱が上がったのか怒鳴りつけた彼に、私は確信した。私達は言葉じゃきっと打ち解けることはできない、と。だからこそ、私は何枚にも重ねた服を肘まで捲って目の前で見せた。
「……なんだ、この細さ」
「食事は一日に一回。それも具のないスープとパンだけ。どれだけお腹が空いても、食べさせてなんてもらえない」
見せた腕をそのまま掴んで、手首が余裕で自分の手を余分にしたことに驚愕的な表情を浮かべている彼に、私は一つ一つ説明する。
「…着飾れる服があるだろ」
それでもまだ私を認められないのか何かと難癖をつけようとする彼に呆れ笑いもさながら、言葉を紡ぐ。
「…大人でも重いのに、ろくな食事もなくて痩せた身体に着せるにはずっと苦しいのが服?」
「家がある…、」
苦し紛れについた難癖だったのか、最初と比べるとずっと歯切れの悪くなったそれは、私に苦笑を浮かべさせた。だけどその内に秘めさせられたのは、果てしない積年の思いだ。
「その家で、…安心して眠れたことは一度たりともないのよ。毎日、毎日やって来る化物が怖くて眠れない。いっそ死んだ方がずっとマシだと思うけど、その前に私は聖女としての役目を果たさなきゃ。だから、お願い。私が死ぬまでの後二年、姿を潜めていて」
視線をそらすことなく、真摯に訴える。私に失敗は許されない。たった一つの【原作】の変化が、私の運命を左右する。
「…信用できない。確かにお前は痩せているが、目立った外傷もなくそんな形跡もない」
一つ間を空けて出した答えに、私は涙で滲んだ目尻を伸ばす。彼の言っていることに何ら相違はない。ただそれが、私をどれだけ貶めるのか誰も理解できないだけだ。
「そう…。私には『それ』がない。だから証明できない。私がいくら傷つけられても、この身体は翌朝には全て水に流してる。ねぇ、虚しいと思わない?」
久しぶりの饒舌だからか、拍動が上昇する。興奮からか声はかすれて、帯びた熱が全身に広がって羞恥にまみれるを体現したかのようだ。
それでも…、私の『思い』に際限はない。ただでさえ長年押し込められてきた思いだ。こんなものでは終わらない。…終われない。
「…傷の一つでもあればそれを眺めて感傷に浸れるのに、私にはその一つも与えられないのよ? 自分ですら、あの記憶を夢だと思ってしまったとき過去の苦しんで、叫んで、助けを求めた自分が死ぬのよ? こんな悲しいことって、ないと思わない?」
端から見れば、完全に狂っている。でも、これを誰かに言ったのだって今が初めてなのだ。人に弱さを見せたことがないから、感情だけが先走りしてしまう。
ろくな情緒教育を受けていないから、一度感情が爆発してしまうと自分でも収集の付け方が分からない。
「……、お前がアルティナ教を廃する保証は?」
「私の命、神力、魂に誓うわ。それでも疑うのなら【聖約】を結んでも構わない。私は本気よ」
【聖約】。自身の生命を代償に結ぶ絶対的な契約。一度破れば体内に潜在する神力が一瞬にして彷彿し、一生神力を使えなくなる。聖職者にとっては悪魔のような契約だが、そのために信頼性ほ高い特徴がある。
もし私が契約を不履行し何らかのペナルティを払うとしても、この忌々しい力を奪ってくれるなら大歓迎だ。
私の言葉に嘘偽りはないと見抜いた彼は、それでもやはり良い顔はしなかった。利益を考えるのは組織を率いる人間として当然のこと。だから今日のところはこれで幕引きだ。
「また明日も来るわ。答えが出たら、聞かせて」
「……………、、」
返事はなかったけど、一日で全部を進めようなんて思っていない。ひとまずは、これでいいのだ。
そうして邸宅に戻り、それから三日毎夜彼らのもとへ足を運んだ。回数を増やすごとにお付きの神官や聖騎士からの監視が強まったけど、その分メシア教徒らの信頼を得ることができた。
特にあの代表格である男、ディグスとは大方打ち解けることができた、と思う。実際のとこどうだかは私でも分からない。それでも、何度か顔を会わせていれば最初との違いぐらいは分かる。
「こんばんわ」
「遅かったな。シルティナ」
今日も今日とて深夜にお忍びで裏街に姿を現す。私を待っていたディグスが不機嫌顔に文句を言ってきたが、此方としてもちゃんとした理由があるのだ。
「護衛を撒くのに時間が掛かったの。ごめんなさい」
「いや、…責めている訳じゃない」
素直に謝れば煮え切らない返事が返ってくる。本人的にはこれが限界なのだろう。まぁあの後すぐに負傷者を治癒したことで風当たりも良いし、名前で呼んでくれる程度にはなった。
全員を治してしまうと私の存在が露見してしまうので重傷者の子供から優先的に治癒した。彼らは依然として仲間意識が強いためか、その判断は間違いではなかったのが幸いだろう。
例え事情を説明し、治癒をすることができないと言っても子供たちを救ってくれるならと感謝する者までいた。
こんな人達が集まったからこそ、【アルティナ教】の後を継げたのだと心の底から思えるほどに彼らは優しく、温かった…。