【メシア教】
コンコンッ……
大陸最高の財力を誇り豪華絢爛な装飾を至る所に施す神殿には珍しい、質素な扉の前、足を止めて一つ呼吸をおいて掌の裏でノックする。
「入りなさい」
「失礼します。お呼びでしょうか、閣下」
相も変わらず仕事に忙殺されている方だ。目の下のクマは酷いし、今でも山積みの書類と向き合っている。
「あぁ。急ですまないが、辺境で反アルティナ教を名乗る賊が拠点を作って中々厄介なことをしているんだ。何度か討伐隊を送ったが、中には実力者も何人かいるようで全て失敗に終わってな…」
「なるほど…。辺境伯の方もこの件に?」
「いや、辺境伯は単に勝手に領地に拠点を作られた被害者だ。国境の守りもあるために兵を動かすこともできず、頭を悩ませているらしい」
「分かりました。私の役目は賊の討伐、でよろしいですか?」
「あぁ。それに加えて新たな皇女殿下の【皇族の儀】も暫く延期になる。お前も忙しい中すまないな…」
「いえ。閣下程ではないのですから、聖女として当然のことです」
正直言えば、神殿から少しでも離れることのできるなら何でも良かった。例えその過程で人を殺さねばならないとしても、私は休みたかった。心置きなく、息をしたかった。
執務室を出て、私はしばらくそのまま立ちすくむ。瞼が重い。全身が鉛みたいだ。足もまるで鎖に繋がれているようで歩く度にそれは増す。
『それ』はいつも感じていること。精神的なものが大きいのだろうが、一定値を越えると目眩や頭痛で仕事にも影響するので適度にこうして抜いているのだ。
そしてすぐにまた歩みを始める。こんな風に目立つ場所で止まっていればすぐに視線が集まるから、ゆっくり休めたことはない。
「ただいま、ノース」
「おかえりなさい、せいじょ様!」
部屋へ戻ると同時にノースが出迎えた。その光景を当たり前として受け入れていることが、小さくとも私の成長なのかもしれない。そう内心思いつつ、たくさんのぎゅーをしてあげた。
「きょうこう様からのお話はどうでしたか?」
「んー…、少し遠くでお仕事をしてこいって。ちょっとだけ離れるけど、いい子で待っていられる?」
「……、さみしいです。せいじょ様」
…前まで自分の意見を表立って言う子じゃなかったのに、もう随分と子どもらしくなったものだ。顔を私の肩に埋めて感情を吐露したノースの頭を優しく撫でた。
「すぐ戻ってくるから。大丈夫」
「本当ですか?」
不安そうにこちらを見つめるノースに、苦笑してしまう。あの大人らしさは何処へやら、本当に人とは変わるものだ。
「本当。私が嘘ついたことある?」
その問いにノースはすぐさま首を横に降った。
この子の信頼に、背を向けてるなんて知ってらきっと失望するだろうな。そんな一抹の不安を胸に抱えて、この日の日の入り前には馬車に揺られていた。
数時間後に見え始めた夕陽はとても綺麗で、あまりの眩しさに目を閉じた。
カーテンを閉めて、陽射しを閉ざして、私が仕事を再開するのにそう時間もかからずすっかり日も沈んだ頃に馬車は目的地への到着を告げた。
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長い馬車の旅にもようやく終わりを告げ、熱烈な歓迎と共に屋敷に迎え入れられた。もう夜も遅く外は冷風が吹いているというのに、歓迎する人達は皆喜びの顔で溢れている。
「遠路はるばるようこそお出でくださいました。お初に御目にかかります。リーゾナルド家当主ハルディンドと申します」
「第十一代目聖女、シルティナ・フィー・ノエルです。少しの間ですが、どうぞ懇意になります」
辺境伯御本人も直々に迎えに上がり、そのまま食事に案内される。
辺境伯は国境を守る人なだけあって背格好は丈夫だったが、優雅な貴族らしさも兼ね備えている人だった。歩幅の短い私にも気遣ってくれたし、目線も会わせて中々に好印象である。
「では、詳細をお聞かせ願えますか?」
「勿論です。賊の数は最低でも百を越え、その内の二割以上が私達の間でも拮抗する程の実力者です。奴らは半年ほど前から我がリーゾナルド領に善福寺川、徐々にその信者を増やしていきました。【メシア教】、などと名乗っているようで戦争孤児などを積極的に取り入れているようです」
「【メシア教】…、ですか」
余計なことを思い出してしまったと、私は頭痛のする頭を抱えたくなった。
【原作】のエピローグで明かされた設定に、教皇や聖女と言った最高幹部の失墜、更にはエルネの手によって長年の不正が暴かれたことにより舵を失ったアルティナ教はものの数年で敗退し、エルネは新たに陰ながら弱者を救済し続けていた【メシア教】を国教したとあった。
何らかの理由で創設が早まったのか、もしくはここで本来戦闘経験など微塵もなかった本来のシルティナには出番がなくそもそも書かれなかったことなのか。結局どちらにしてもこの状況は頂けない。
私一人でも最悪被害を考えず殲滅するだけであれば負けることはまず無い。技術や経験で劣っていようと、莫大な神力を放出すればその差でさえ全て無意味なものになるのだから。
だけどここで私が彼らを殲滅させてしまえば、【原作】に大きく響くかもしれない。何が影響を与えるのか分からない中で無闇矢鱈に動いくの得策じゃない。
はぁ……。思わず溜め息を溢したくなるのをぐっと我慢して社交的な笑みを続ける。辺境伯の言う通り、【メシア教】の主な構成員はまだ幼い子供が多い。
実力者はアルティナ教で金銭的な問題から家族を見殺しにされた者で、それも私が改革する前だからほとんどが大人だ。改革前は賄賂が横行して本来あるべき聖職者などなきにも等しかったのだからこれは仕方がない。
後は異端審査に掛けられた者だろうか。異世界と言っても宗教関係では旧ヨーロッパとさほど変わりなく、異端審査で処刑されることも珍しくはない。
だけどそれ以外で熱狂的な信者を増やすとすれば、残りは戦争孤児と孤児の年齢から外れた浮浪児となる。
戦争孤児は帰る家を失くし、家族を失くし、丁度良く利用するには何かと都合がいい。他に頼る所がない子供たちに安全な移住と食事さえ保証していれば簡単に使い捨ての兵士を量産できるのだから。
また孤児院で世話になる十六歳を過ぎ仕事を見つけることができず浮浪児となった子ども割合的には大きいのだろう。この世界ではまだ社会福祉制度など充実できておらず、そういう子ども達は良くも悪くも【夜】の職業につく。
ただそれでも良い方だと言う人もいる。少なくとも成功すれば人並みの生活を送れるのだから。一番悲惨なのは正規の店に雇われることもなく、道で自ら客を取る子達だ。
彼女達は普通に店で働く子達より圧倒的に値段が安く、当然医者にも掛からないのだから性病も蔓延する。運が悪ければヤり逃げされたり、最悪殺されもする。
そんな地獄のような生活よりも、異端でもいいから少しでも救いのある【メシア教】に集まるのは無理もなかった。
あぁ、本当に…。気づかなければ良かった。その日は辺境伯と実務的な会話を捗らせ、元々遅い時間と言うこともあって早めに部屋へ戻らせてもらった。
動くのは早い方がいい。だけど…、流石に長時間の馬車旅に身体は疲労を訴えているので今日はひとまずベットについた。やっぱり馬車は苦手だ。




