偽りに委(ゆだ)ねて
【イド】は存在するだけで世界に影響を及ぼす。それが例え善であろうが悪であろうが、それは均衡を壊すには十分過ぎるのだ。
【イド】はその存在を一つの世界に縛られない。肉体を持たない彼らはあらゆる世界を行き来でき、例え誤って世界が滅びようと簡単に切り捨てることができるのだ。
【イド】は【原作】に登場しない。だから彼らは、『未来・過去・現在』全てに干渉できる。それを実現するだけの力が善悪の判断など持たない彼らにあることがこの世界の不幸であり、まだ滅んでいないことが救いだろう。
しかし彼らも考えた。永劫を過ごす彼らにとって退屈とは最も身近な問題であった。何でもできる。それは見方を変えればとてもつまらないことだ。
人は皆できないから成し遂げようと走り続ける。それは人生をより色濃く濃密にする。それが『生きた』証となる。だけど彼らには、悠久な時を完全なままに生きるが為に『生きた』時間が薄っぺらなままとなってしまう。
それ故に彼らは自らに勝手なことは【制約】を付けた。自分達でも決して変えることのできない、不可侵の『縛り』。
それを無視して破ることがあれば彼らでも無事には済まない制裁を受けるそれは、後に【イドの祭日】と呼ばれる日のみ外界にたった一つ干渉、【願い】ができるというものだ。
それでも外界への過度な干渉でなければある程度は許容されるというあまり拘束性のない縛りだが、今回はその許容範囲を明らかに逸脱している。
『僕たちは精霊に頼んだだけだよー』
『そうそう。【願い】は使ってないもん』
彼らは馬鹿じゃない。長年と縛りを設けていれば当然それを潜り抜けようとする裏道も探すはずだ。それこそ退屈しのぎには丁度良いのだから。
つまり今回のことは【願い】を使ったのではなく、精霊に頼んで起きた事象であり自分達は何ら干渉していないと…。とんだ屁理屈をよくもまぁ並べたものだ。
「そう…。分かった。もう何も言わないわ」
『シルティナ~、早く遊ぼ~』
『僕シルティナのこもりうた聞きたい』
神経を磨り減る会話を終えれば後は完全な育児である。実際私が彼らの相手をすることによって下手に外界への干渉を起こさないわけだし…、という訳で今日も存分に彼らの我が儘に付き合う。
体力の限界まで鬼ごっこしたり、前世の物語を読み聞かせしたり、子守歌を唄ったり。まるで本当の子どものように接するのだ。
年を取ることがなく、年齢に差のない彼らはいつまでも大人に成りきれない子どもだ。きっとその方が悠久を過ごすには良いのだろう。
下手に賢さや善悪を見出だしたところで永きを生きる彼らには決して必要がないのだから。
子どもだからこそ一年に一度、私がこの地へ訪れる日を心待ちにし、こうしてわいわいと騒ぐのだ。彼らは邪悪かもしれない。だけど、少し目を背ければあるのは寂しい子どもだけだ。
彼らに体力の限界はないのか結局私ばかり疲れてしまった。此処に時間の概念はない。だから今が夜なのかは分からないけど、大体私が動けなくなるぐらいで夕方ぐらいなのは予想がついている。
「もう帰るわね」
『えー、もっと遊ぼうよー』
『次は僕の番だよ~』
ブーブーと文句を垂れる彼らの姿はいつ来ても変わらない。だけどここで折れたりなんかしたら後が怖いのだ。
「また、来年来るわ。それがきっと最後だから、たくさん遊んであげる」
『は~い』
『やったー。僕たちまた新しい遊びを探しておくねー』
私は微かに微笑んで、神殿へ戻った。彼らが全て知っていて、これから起こりうる未来でさえ見えているのならきっと私の言った意味も十分に理解してくれているだろう。
そう、最後だ。私は再来年のこの日を迎える前に生を終える。それはなんと空しくて、優しいことだろうか。
きっともう私は【死】でしか安寧を感じられない。なんと不自由な身体だろうか。それでも確かに、『救い』はあった。
神殿に戻ってもすぐ休める訳じゃない。要人への挨拶等を済ませ私室に戻れたのは月明かりが綺麗に実った時間だった。
「聖女様。お疲れさまです」
「ありがとう、ノース。ほら、こっちにおいで」
「はい!」
恐る恐ると部屋に入ってきたノースに私は腕を広げていつものようにぎゅーの合図をした。
それに嬉しそうに応えてすっぽりと私の腕に収まったノース。少し前までは凄く小さく今にも折れそうに見えたのに、今では随分元気に走り回れるようになったものだ。
子どもの成長スピードの早さに若干の驚きと戸惑いつつ、私はノースの背中に手を当てた。最近ようやく甘えてくれるようになったこの子の成長が今や私の心の支えになっている。
私が目の前から消えてしまう前に早く自立してほしいと願う反面、まだ私の手を繋いでほしいとも思っている。私は我が儘だ。この温もりに絆されて尚、手放す自信がないなんて…。
下町ではイドに怯える子どもに親が付き添ってそれぞれの『家族』の時間を過ごしている。そして今年は、去年まで全く縁のなかった私達も、今こうしてお互いに温もりを分けあっていた。
一人は家族の温かさを求めて。一人は現に迫る恐怖から夢幻に身を委ねて。それぞれは確かにお互いを想い合っているようで、どちらかはその方角を見失っていた。