【イドの祭日】
誰にでも、憂鬱な日ぐらいはある。例えば私のとってそれは今日だと言える。年に一度、決まりに決まって精神を酷く疲労する日。
「聖女様、お時間です」
「はい」
白を貴重とした重厚な祭服は所々に散りばめられた金の刺繍がより映えた形になっている。少し大きめの耳飾りを着けて髪飾りを固定したらようやく顔を動かすことを許された。
【イドの祭日】で神殿が行うメインな行事と言えば聖女の祈祷ぐらいだ。私が祈祷することによってよりイドの悪事を抑制できると言う理由らしいが、あながち誤りでもないのだから笑えない。
予定の時間に合わせて大広間に姿を現せば国民達の熱狂や歓喜の声が沸き起こる。それと同時に毎回耳を塞ぎたい気持ちが生じるのは人間なのだから仕様がない。
聖物である杯の前に膝をつき両手を組む。その仕草も一つ一つちゃんと意識されたものであって聖女の神聖さをよく表現できている。まさに、骨の髄まで染み込んだ完璧さである…。
『アルティナの女神よ。【イド】の誘いに惑わされることのない純真な心を、清廉な心を我ら御霊に与えたまえ』
拡声器の魔道具で声が全面に聞き及ぶ。神力を大気中に霧散しそれを太陽に反射させることによって神秘的な光景を産み出す。
熱狂の中私は国民に顔を向けてにこやかに手を振れば輝かしく羨望する瞳に晒される。子どもも大人も、女性も男性も、全員が全員同じ顔に見える。
この祈祷も大概だが、私の頭痛の種はもっと別にある。ひとしきり満足するまで姿を観衆に見せた後、私は聖女だけが足を踏み入れることのできる、祭壇の裏へと姿を消す。
向かうは誰も知ることのない約束の場所。後世にも決して語られることのない、安住の地。人はそれを、【聖域】と呼ぶ。
通常であれば民衆を欺く為の聖域として機能し、実際は私室に繋がる仕掛けとなっている祭壇の裏。だけど口からでまかせも事実となってしまえば実に救えない笑い話となる。
物質的な狭間はないものの、一歩を足を踏み入れただけでまるで世界が変わる。
穏やかな自然に揺れる草木。花は咲き乱れ風が薫る。せっかく長時間かけて整えられた長髪もいたずら風に吹かれて空を舞い、それを楽しむ無邪気な声が木霊した。
『みてみて。シルティナだ』
『ほんとだほんとだ。シルティナだ』
ワラワラとあっという間に周囲を囲む大量の【精霊】。俗に彼らを、【イド】と名称した存在である。
彼らの姿形は前世で言う【精霊】そのものであるのに、存在提唱と言うべきか意義と言うべきか、生来は全くもって異なる。
よくお助けキャラや重要なサポーター、主流な無双モノに多く登場する精霊だが、この世界でその存在は実質【神】に等しい。いや、神よりも質の悪い種族である。
【個】にして種。【イド】という名称で多くの自我を持つ彼らだが、誰に問いても全て己だと断言する。性別も、口調も、性格もまるで違う彼らが、全て『同じ』だと言うのだ。
私たちが【人間】という種族で一括りにするのとはまた違う。例えるなら私達人間は同じ種族だから隣の家の住人も『私』だとトチ狂った思考をしているようなものである。
最初はその不明瞭さに随分悩んだが考えるだけ無駄なのでそういうものだと無理やり落とし込んだ。こういう判断力も異世界の必須スキルだと思う。
「今日は貴方達に聞きたいことがあるの」
『え~、な~に~?』
『なんでも教えてあげるよー』
真剣な声色を出したところで彼らにそれが伝わることはなく、相も変わらずのほほんとした顔で興味津々に食いついた。
「…光と闇の【祝福】をあの子に与えたのは何故?」
私の問いに彼らはお互い顔を見合わせた。その頭上には?が浮いている。そして程なくして、あ~ぁとでも言うように笑顔で言い放った。
『だってこのままじゃつまらなくなりそうだったんだもん。ねー』
『ねー。シルティナ弱っちいし、僕たち心配したんだ』
あぁ…、これがよくある異世界最強なんて馬鹿げた話だったら、私の人生はもっともっと『マシ』だったのだろうか。彼らの気の抜けた返事に怒りより先に呆れが沸いた。
彼らが心配したのは私じゃない。私が死ぬことで自分達が退屈になることただそれだけだ。
此処には人の思想で推し量れるモノは存在しない。私は彼らの玩具として、望まずして一生を捧げられさせるのだ。
「…勝手なことはやめて」
『でも結果的に戦力を得たんでしょ?』
『僕たちなーんにも悪いことしてないよ』
話が通じない…。ゆっくりと瞼を下ろしながら深く息を吐く。私は何故理解してもらおうと考えたのか、それを少し悔いて漏れた溜め息の中で彼らは笑っている。
彼らは私を大のお気に入りと公言しておきながらオルカやラクロスの非道な行為を黙認している。それどころか助長までしているのだから救えない。
結局はみんな同じ。変わりやしないのだ。私が泣いて、踠いて、苦しむ姿に快楽を見出だし自分の欲求を解消する腐った外道。
私は彼ら【イド】の加護を受けた歴史上初の聖女。別にそれは悪いことじゃない。大規模な戦闘時には率先して喚び出してその権利を享受しているのだから。
だけど肝心なときには何も助けてくれない。今回だってノースに【祝福】を与えなくとも彼らが最初から力を貸していれば全て片付く問題だ。
なのにわざわざ無関係なノースを巻き込んだ。自分達の退屈しのぎのために此方側に引き摺り込んだ。私はそれが何より、許せない。
「…明らかに【制約】を越えたこと、どうやってできたの?」
私が静かに、そして鋭利に切れ込みを入れた問いに彼らは変わらぬ笑みを続けた。
これを無邪気と捉えるか、不気味と捉えるかは見方次第だろう。少なくとも私は気味の悪さを腹の中で抱えつつ、彼らと向き合った。




