救われ溺れて
日が昇り、朝が訪れる。目を覚まして一番最初に目に入ったのは私ともう一つの小さな手。
それほど強く握っていた訳じゃないのに、寝ている間に離れなかったのが不思議に思いつつノースもうとうとと目を開き始めた。
「おはよう。ノース」
「…ん、おはよぉございます。せーじょさま」
まだ若干眠気が残っているのかノースはごしごしと目を擦った。私はそんな彼の手を止める。
「目を擦っちゃダメ。傷つくかもしれないでしょ?」
「はい」
バッと擦っていた手を隠したノースに褒めるように撫でれば嬉しそうに笑う。
「もう起きれそう?」
「起きますっ」
ノースは手は繋いだまま上半身を起こし、私もそれに合わせて起き上がった。
そのままベッドを下りて用意してある聖水で顔を洗う。流石にこのときばかりは手を離したけど背が届かないノースに代わって一緒に洗ってあげた。
待機している神官達を呼んで服を着替え、ノースにも新着の服をあつらえる。それから私とは別に豪華な食事を用意させノースはそれを美味しそうに頬張っていた。
「…せいじょ様はなにも食べられないのですか?」
「お腹があまり空いてないの。あとで食べるわ。さ、沢山食べて」
「そーなんですね。はい、たくさん食べます」
本当は今にもお腹の音が鳴りかかっていたけどいつもの如くそれを押し殺している。この数日ラクロスの訪問はなく、幸か不幸かその分食料の補給線も切れている。
どうせラクロスに奪われた血で収支はマイナスなのだが空腹感はそれだけで思考を低下させるため中々に困窮しているのだ。
ノースがデザートに取り掛かる前に一度席を外し、祈りの儀を行う。いつもより口上を速くしたことについては若干閣下から鋭いめを向けられてたけど行き際のノースのしょぼんとした姿を見ては仕方がない。
さっさと祈りの儀を済ませて急ぎばやで部屋に戻る。もうデザートを完食し暇をもて余していたノースが扉を開けた瞬間此方に走り出す。
「せいじょ様!」
「ノース。お待たせ」
なんというか実家で飼っていた犬のケンタを思い出す。あの子は大きな図体だったけど、こうしてすぐに飛び付いて甘えるのはそっくりだ。
「ぼくちゃんといい子に待っていました」
「そうね。良くできたわ」
頭を撫でてそうにキラキラとした目線で此方を向ける姿が本当の犬のようで苦笑しながら優しく頭を撫でた。
午前は私の業務の傍ら絵本や積み木などで遊んで、午後は少しの休憩の間に一緒に庭園を見て回った。一人で見る景色とはまるで違って、ノースのはしゃいだ姿に絆されていた。
新しい刺激は私の心を擽り、脆く崩れていった心をほんの少しだけ、補強してくれた。
私は目に見えてノースを可愛がり、特別に扱った。忙しい時間の合間を割いてでもノースに構った。誰に対しても平等で全てに慈悲を持つ『聖女』の私が、【例外】を作ったのだ。
「せいじょ様。見てください!」
喜色満面に新しく教わった召喚魔術で召喚した闇の眷族を披露するノースに、私は仕事を進める手を止めて微笑む。
「あら、随分可愛い子ね。ノースに似てとても良い子そう」
ノースの腕の中でも静かにしている黒猫は私がそっと背中を撫でると気持ち良さそうな声で鳴いた。
今度マタタビに似た物でも用意しようかな。私が長いこと黒猫に構っていると今度はノースの方がむくれ始めた。
「ぼくだけがせいじょ様に撫でてもらえるのに…」
「もう、自分の眷族にまで嫉妬しないの。ほら、おいで」
黒猫を撫でる手を離して両腕を広げる。そしたらもう慣れたようにノースは私の胸に飛び込んだ。
「ん、せいじょ様。だいすきです」
「私もよ。私も大好き。ノース」
ノースの背中に手を回して、お互い拙いながらと抱きしめ合う。この言葉が本心か、偽りなのかは私の中で重要じゃない。
ただひたすらに、そう思える心があれば良い。だから私は、抱きしめた温もりに救われながらも、決して溺れないように心を深く閉ざした。




