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裏ルートの攻略後、悪役聖女は絶望したようです。  作者: 濃姫
第二章 【原作】始動
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砂のお城

 異様な静寂が一つの空間に流れた。部屋には幼い子どもが二人。


 無邪気な子どもらしい会話、なんてものは彼らの間にはない。あるのは『人を殺した』という言葉にすればあまりに軽い、残虐ざんぎゃくな事実だけ…。


 「…ゃめて。やめてよ…っ。そんなのっ…」

 私はオルカの吐いた現実からどうにか目を背けたくて頭を(うつむ)かせながら小さく丸まってかすれた声で否定の言葉を(つの)った。


 これ以上この世界の異質いしつさに染まりたくなかった。人を殺しても平気に笑えるような人間には、…なりたくなかった。


 「…最初は我慢したんだ。でも、そんなことしたからシルティナが調子に乗っちゃったんだよね。僕が悪かったよ」

 黄金比で創られた造形が正しく歪み甘く微笑んだ。「いやだ」と駄々を()ねる私の髪に触れて、遊んでいる。


 この男は狂ってる。そんなの最初(はな)から分かっていたじゃない。だけど謝る相手すら、理由すら違うのならその謝罪に何の意味があるのだろう。


 このとき私は抵抗や拒絶、復讐など考えなかった。いや、考える思考さえ残されていなかった。『ヒドイ』とか、『人殺し』とか、そんな簡単に言えてしまう言葉でさえ、私は出なかった。


 「ごめんなさい…っ、ごめんなさいオルカっ。もう二度と大切なものなんて作らないから…、お願いだからもう誰も殺さないで!」

 私は醜く泣き縋った。こんな悲劇を起こした張本人に、犠牲となった彼女への道理を踏みにじってまでも…。


 躾られた飼い犬の最期はどれも悲惨だ。主人に興味をなくされた時点で死が決まるのだから。


 どこまでも他人本願で生きていくしかない人生。だけどそれを本当に『生きている』と言えるのなら、…死んだ方がずっとマシだ。


 異世界で生まれたオルカと、前世の記憶で生きる私の【死】への価値観は決して相容れない。彼にとって羽虫を殺すのも同然なのに、私は誰かが死ぬという現実を認めたくない。これが、私の【弱さ】。


 聖女という職業柄瀕死の人を沢山見てきた。もう骨が砕けていた人も、肉が腐食していた人も、肌が剥がれ落ちていた人もいた。生きている人間の身体から死臭を放つ人がいた。虚ろな瞳で全身骨が透けた人がいた。


 綺麗なものだけ見ていたかったのに、汚いものものばかり見せられた。『転生者』だから。『聖女』だから。『子ども』じゃないから。色んな理由で取っつけたそれは、まるでメッキのように張り付けては私をおおった。


 それは本当に私を支えるためだったのだろうか。それとも、…醜いこの世界から自分を覆い隠してしまうためだったのだろうか。


 「うん。シルティナがちゃんと理解(わか)ってくれて嬉しいよ。甘やかしてあげるのは今回が最後だからね」

 此方(こちら)は惨めに泣き縋っているというのに、当の本人はそれをご満悦なニコニコの笑顔で私を包み込んだ。


 私が幸せを願うのはそんなにも我が儘なのだろうか。この地獄の中でたった一人の味方を作ることさえ、【罪】と言うのだろうか…。


 私は酷く心が乾いていく気がした。潮が引くように、砂のお城は形状だけ残して惨めな固まりとして残された。夜が明ければ残骸でさえ全て呑み込まれ跡形も残ることのない、砂のお城だ。








 #####



 そうだ…。私はあの時から既にオルカに屈していた。


 立ち向かう選択肢を初めから捨てて、彼女の死を(いた)む時間さえろくに与えて貰えなかった。いや、それさえ『与えられる』と思っていることこそがおかしいことにも気づかない。


 自嘲(じちょう)しようものにも、そんな気力もなく徐々にお湯の融解度に同化していく自分に心地よさを感じた。


 良い子だった。私によく懐いていた。世渡りが上手い子だった。この世界でも十分に生きていける素質を持った子だと、安心さえした。


 プラチナブロンドの髪がウェーブに揺れて、アクアマリン色の瞳がキラキラと輝いている。人を魅了するという点においてはとても優れていた。今でも将来有望とはあの子のためにあるような言葉だと思う。


 そしてそんな子を、文字通り私が殺した。私が直接手を引いて、奈落に落としたあの子…。


 私はまだ、あの子を覚えていられるだろうか。何処からともなく現れた小さな不安に侵食され、許されない名前を吐いてしまう…。


 「……ニーナ」

 その名前を出すのに、どれ程の気力を使ったのだろうか。急に身体が鉛を身に付けたらかのように重くなって、瞼が段々と閉じていく。


 「…まだあの女の名前を覚えてるの?」

 聞き慣れた、絶対に此処にいるはずのない男の声にハッと意識が覚める。私が目を開けたその先には本来絶対禁制のはずのこの場所になんの躊躇もなく側に立っている男が…。


 「ォル、カ…っ?!」

 私がその名前を呼んでも瞬きの一つもしない彼の様子に、私の頭の中では警報が鳴っていた。


 それは心臓はバクバクと鼓動を打ち鳴らし、柔肌はすっかり(あか)く染まらせつつあった私の身体が(はっ)する、最大級の警報であった。





 ######



 「っ…、今すぐ出てって!!!」

 バッと側に掛けてあったバスタオルを手にとって、すぐさま身体を隠す。お湯から急に身を出したからかガタガタと手は震えて、あとず去ろうにも浴槽で後がない。


 浴槽の縁はいきなり立ち上がった衝撃で流れ出たお湯により、少しでも気を緩めれば一瞬でつるりと滑り落ちてしまいそうだ。


 「護衛騎士、…も。堕ちるとこまで堕ちたわね…ッ」

 表向きだとしても【聖女】を守る聖騎士が神官に屈するとは何事か。ここまで侵入を許してはさらけ出すものなど他には何も無い。


 今まで最低限の配慮があった。配慮とは全く言えないようなモノでも、ないよりかは遥かに良かった。それは私達の間にあった、【防衛線ぼうえいせん】だったのだから。


 「シルティナ…」

 「いやっ! ぉねがッ…、おねがいだから来ないで…っ」

 強がって皮肉を言ったまでは良いものの、恐怖でパニックに陥った私はオルカの差し伸ばした手を振り払ってしまった。


 栄養不可で痩せ細った、第二次性徴を迎えてもなお女性らしい肉付きは手に入らずにいる十四才の私。


 だけどオルカは違う。長年国境戦の前線にいたことで引き締まった身体付きに、さらには身長もここ数年で見上げるほどにある。


 祭服を着ているときはどことなく線が細く見えるのに、いざ脱いだらその認識は一瞬にして(くつがえ)される。これでまだ十六歳だというのだから末恐ろしい。


 体格が一回り二回りも違う男がいきなり誰にも助けを求められない状況下で此方に向かってくるのだ。どれだけの理屈で言い繕ってもそれはまだ成人にも満たない子どもが、いや大人であろうと耐えきれる恐怖ではない。


 バスタオルで身体の前半分だけを隠して後ろの浴槽の縁に手をついた。ジリジリと迫り来る『男』に奥歯をガタガタと鳴らして嗚咽(おえつ)を漏らした。


 私を呼ぶ声が幾度しようと、私は手で今にも崩れそうな頭を抱えて必死に首を横に振るっていた。


 だけどその攻防が長くは続かないことを、私はよく知っていた。私が頭を覆う手の一方で、タオルを持っていた腕が強引に捕まれ、引き寄せられる。


 ぽちゃん、とタオルがお湯に浮かび私はあるがままの裸体でオルカの胸の内にすっぽりと収まった。


 「ゃめて…っ、はなして!」

 捕まれた腕は一向に逃げ出せる隙がなく、まるで蜘蛛の巣に掛かった獲物のようにジタバタと抵抗を続けている私にオルカはただ何も言わず、視線を向けている。


 「また、細くなったね」

 私の腰に手を回し、しっかりと外堀を埋められた状況下でそんな心配そうな言葉を吐かれたところであるのは身の毛のよだつ恐怖ばかりだ。


 「いゃ、いやっ…! ぉねがいゆるしてっ…」

 「また謝ってばっかり…。何に対して許してほしいか言ってくれないと分からないよ?」

 オルカの祭服は気重ねて厚いとはいえ誰にも晒したことのない未熟な身体を押し当てているこの状況に耐えきれず、私は意味のない言葉を吐き続ける。


 そうして下ばかり(うつむ)き許しを乞う私をぐいっとオルカは顎を上に向けさせ、拳一つ分もない間近で目が合った。


 「ほら、そんなに泣いたら枯れてしまうじゃないか」

 優しく目元を拭うその仕草、この状況でなければどんなに関心を受けたことだろうか。


 「オルカ…、ぃやなの。こゎいの…、ゃめてオルカ」

 オルカの瞳に反射した自分の姿に哀れみすら感じながら、両手とも祭服を()まんで縋った。


 恥ずかしさがぶわりとぶり返して耳を赤くする。さらに涙まで流すものだから視点を変えればなんと扇情的な光景か。


 絶えず潤いを増すシャンパンガーネットの瞳。肩を打ち震えながらも赤く染めた幼気(いたいけ)姿形(すがたかたち)


 まだ未熟な果実でありながらミルクの腰まで靡く長髪がしっとりと絡まった身体。どこに魅力を感じさせないものがあるのだろうか。


 ずくりと喉を枯らす音がオルカから鳴った。文字通り胸に耳を当てているためか心臓の鼓動が直に聞こえる。その鼓動の一つでさえも、私を恐怖の谷に突き落とす。


 「…っぁ、……いゃ、ぃやあ…ッ!!」

 無謀(むぼう)にも力任せにオルカを押し返す。嫌だ。本当に怖いのだ。恐ろしくて恐ろしくて堪らない…ッ!


 珍しく大声を上げた私に、今回ばかりは懲りたのかおでこに口づけをしてゆっくりと掴んでいた腕を離したオルカ。私はすぐにタオルを掴み身を包んだ。


 それからすぐに部屋を出ていったオルカを、私は呆然と見送る余裕なく誰もいなくなった部屋で、すっかり冷めてしまった浴槽の隅で、(うずくま)ってしゃくりあげながら泣いていた。


 あと、何年とこの恐怖に身を預けなければならないのか。それを考えるだけで(さら)なる不安に押し潰されてしまいそうで、しばらく動けはしなかった。



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