『聖女』の素質(そしつ)
ガタン…ッ、ゴトン
目的地は遠く、馬車で五時間以上掛かる道のりだ。その為片付けなければならない書類ごと馬車に詰め込み走らせる。閣下には連絡用の録音を残しておいたから上手く処理してくれるだろう。
一歩聖都の外を出ると、道は荒れくれ酷いときには身体ごと持っていかれる。窓の外からは聖都に向かう商人の荷台などがたまにちらほらと見える。
「はぁ……、」
帰ったらお説教だろうなとため息をつく。閣下のお叱りは長々と口うるさいのだ。目的地まであと半分になると流石に手持ちぶさも無くなりただただ外を眺めて暇を潰すしかなくなった。
ほんの少しだけ、瞼が重くなった。最近は【イドの祭日】に向けての準備で色々と慌ただしく、それに加え毎日のようにラクロスの相手もしていたものだからろくな睡眠を取っていなかった。
…あぁ、そうだ【イドの祭日】。ということはまた『彼ら』に会わなければならない。無意識に遠ざけていたいたことが今になって襲ってくる。
【イドの祭日】。前世で言うクリスマスに似たものだけど、この世界では少し違う。まず【イド】という世界を簡単に滅ぼすことのできる存在がこの日に姿を現す。別にこの存在は固定されている訳じゃなくて、種族名に似たようなものだ。
そして悪い子がイドに気に入られて世界の滅亡をともにする。だけど良い子だとイドは興味を失くしてまたどこかに消えていくから、そのご褒美としておもちゃやお菓子が与えられる。
不思議なことにこの世界に人は皆、このお伽噺を信じている。サンタみたいにプレゼントを送る相手を偽ってないからだとしても、大人まで信じきっているのだからまた違うなにかがあるのだろう。
かくいう私も今やその内の一人に収まってしまっている。もちろん最初は信じていなかったけど、『あんな存在』を見せられた後でまだ否定し続けるのには無理があったから…。
しかし彼らを思い出すだけで自然と眉間に皺が寄る。別に嫌いとかそういうわけではない。オルカ達と比べればまだ断然マシだし。
だけど、…そう。互いに相容れないのだ。水と油が決して交わることのないように、彼らと『人間』の私では、絶対に…。
そうこう考えている内に、馬車は止まった。外を見てみれば丁度日が沈んできていて光の反射が眩しい。
馬車を降りると、肉体労働を強いられている子供達が不思議そうに此方を見ている。どう見ても痩せ干そって、体格に見合わない作業をさせられている子供達ばかりだ。
聖都から特に離れている孤児院だから、報告がこんなにも遅れてしまった。そしてあの報告書が回ってきた時点でも、何の改善も見受けられていなかった。
馬車の中で少しは頭を冷やしたつもりだったけど、もはやそれも意味がなくなってしまっている。私は足を進めて、くたびれた孤児院まで向かう。戸を叩いて、真っ先に出てきたのはまだ幼い子供だった。
孤児院の決まりとして、お客の訪問の際は必ず孤児員が対応しなければならないといったルールがある。これは誘拐や孤児殺害などを未然に防ぐために私が作った守り。この孤児院に派遣している
人材は他と比べても十分すぎる程にある。なのに、そんなことも守れていなかったのだろうか。
迎えに出た子の身体には数々の打撲痕に加え殴打の痕もあった。ろくに治療をされていないせいか化膿して酷くなっている。そんな身体でも、戸を開けてくれたのだ。
私は彼を萎縮させないようただでさえ小さな身体をしゃがませて同じ目線になる。私が手を差しのべると怯えた目で小さな悲鳴を上げる彼が、私に酷く重なって見えた。私も、彼らにはこんな風に見えているのだろうか…。
ただ違うのは、それを見て『何を』思うか。彼らは怯え泣く私に支配力を感じ、自身の快楽を満たす。私は、同情でも、憐憫でもなく、救わなければ、という使命感に駆り立てられる。
そっと彼の頬に手を当て、傷を癒す。神力で失われた栄養は補えないが、今にも死にそうだった彼からは予測できないほど血色が良くなっている。
「…遅くなって、本当にごめんなさい」
噛み締めるように謝罪の言葉を口にすると彼はその年に見合わぬほど落ち着いて、私を落ち着かせるように背中を優しくポンポンと叩いた。恐らく彼よりも小さい子供達の面倒を見ている証拠だろう。
此処は小説の世界で、私は違う世界を生きた人間だった。だけど、【シルティナ】として生きた『私』は、彼らを守りたいと願っている。
それがたとえいつか必ず私に刃を向ける子どもであったとしても、今生きていることに変わりないのだから。
まだ随分と痩せ干そっている彼の手を引いて、他の子達も治癒していく。そうしているとすぐに、この事態の元凶らはその姿を表した。
「ん゛~ーー…? 誰だお前たちぃ…」
奥の部屋から出てきたのは四人の男。全員顔が赤く、首や腕にはジャラジャラと装飾品を醜くも身に付けている。
明らかに昼間から酒を飲んだ男達の様子に激しい怒りが沸き上がる。こんな、大の男達に殴られて、痛くない筈がないのに…。
「お、おい待て…っ。このお方はッ」
「アズベル・リンネスト。コリアン・ズワルト。リオン・ゼベクト。ケネス・ブラナー。以上四名の職員の解任を聖女権限で決定しました。つきましては、貴方方には神殿で身を拘束させていただきます」
「なんだと…?! この女、貴族である私によくもそんな戯れ言をッ!」
男の内でも特に酔いが回っている一人がいきなり振りかぶってくる。多少痛いではあろうが、すぐに神力で癒せばなんてことない。それにそんなもので直接手を下せるなら安いも…、
ドガッ……ッツ!!!
私に矛先の向いた衝撃は、別のモノによって遮られる。そしてその矛先にいたのは、先ほどドア先で私を迎え出てくれた子だった。
「な、んで……」
違う…。私はこんな身代わりになってほしかった訳じゃないッ! 急いで彼のもとに駆け寄り治癒する。すっかり赤黒く腫れて、危うく後遺症が残っていたかもしれない程の痣ができていた。
気絶してしまった彼を御付きの神官に任せ、私は立ち上がる。もう『聖女』の立ち振舞いなど関係ない。先に手を出したのは彼方だ。
「っのクソガキめ! ゴミムシの分際で私の邪魔をし「…黙りなさい」ヒィッ…!」
まだ酔いの覚めない男に、日頃から押さえていた神力の経麒麟を一部だけ放出する。たったそれだけで青冷めるだけの人間が、よくも…ッ!
今度は私が手を男の方へ伸ばし、神力で塵一つ残さず消し去ろうとしたその瞬間。ガッ、と誰かに強く腕を捕まれ上に翳された。たとえオルカの抱え込んだ御付きの神官でも私にこんな無体を働く者はいない。ならば…、
「手を、離してもらえますか? オルカ大神官」
私を掴む腕の先には、いつになく表情を消したオルカの立ち姿があった。そしてその豊穣の瞳には、私が映り込んでいる。
「その願いは丁重に御断りさせて頂きますね。聖女様」
唯一吐き出せた私の申し出は、ギリッ…と再度強く込められた力によって返事が出された。




