思い出の『七日間』
揚揚と陽の光が窓から差し込む。眩しさに目をパチパチとさせる。普段なら苛立ちを募らせるが、今日は機嫌がいいのかのほほんと事務処理を続ける。
そう、今日この日ばかりは私も思い出の悦に浸れるのだ。私がこの世界で唯一【聖女】でなかった、『七日間』の思い出に…。
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【聖女】に就任して初めての聖地巡礼のあの日…。
録に休憩もなしに三日間寒い地域を訪問して、ようやく最後の祭壇にある聖遺物に祝福を捧れば終わりだ。
早く横になって休みたい。そんな思いで祝福を捧げると、凄まじい光が聖遺物から解き放たれ私を包んだ。
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此処は何処だろう…。確か私は聖遺物に神力を通して祝福を捧げていた。あぁ、そうだ。そしたら聖遺物が発動して、この雪山に飛ばされたんだ。
防寒対策はしていたけど、さっきの祭壇より此処は寒い。手足は震えてるし、このまま外にいれば、凍死も夢じゃない。
辺りを見渡すと一軒の小屋が大きく目に入る。コテージもついた立派な一軒家。どうせこのまま何もしなければ死んでしまう。足が動くうちに小屋へ歩いた。
こんこんっ…
…返事はない。仕方ないので音を立てないようにしてそぉ~ーっと中に入る、つもりが思ったより音が出てギィイイと鳴ってしまった。
「…誰だ」
誰もいないと思っていた小屋だったけど、奥から男の人の声が聞こえた。姿を表したのは髭を立派に生やした背の高いおじさん。
「勝手に入ってすみません。突然この雪山に飛ばされたんですが、生憎泊まる行く宛がないんです。下山するまで泊めてもらえませんか?」
「…突然飛ばされた? もっとマシな嘘を吐くんだったな」
扉を閉めようと去るおじさんだったけどガシッと止める。小屋に泊めてもらえなかったら凍死が確定してしまうのだ。
「待ってください! このまま外に放り出されたら本当に凍えて死んでしまいます」
「親がいるだろ」
「いません。そもそも此処が何処だかすら分かりません」
寒くてぶるぶると震えていると少ししてから、おじさんは閉めようとしていた手を離した。
「チッ…。言っとくが雑音一つ立てたら殺す」
「…泊めてくれるんですか?」
何も言わないということは肯定の証だろうか。言われた通り音を立てずに暖炉近くのソファに座った。
おじさんはわたしの存在などなかったように奥でまたお酒を飲んでいる。テーブルに放置された酒瓶の数は途方もない。
その日はそれ以上一言も喋ることはなく、私はソファで、おじさんはたぶんベッドでそれぞれ眠りについた。
「おはようございます、おじさん」
朝遅く、二階から降りてくるおじさんに挨拶をする。一応泊めてもらっている身なのだから礼儀は欠かせない。
「…朝飯食いたいならついてこい」
「はい!」
防寒着に着替え、吹雪の中颯爽と歩くおじさんの背中を必死で追うことしばらく、一匹の鹿を見つけた。
「飢え死にしたくないなら自力で狩れ」
そう言うとおじさんは別の狩場へ向かった。あんまり消費したくないんだけどなと思いながら神力をそのまま放つ。
高密度な神力はそれだけでエネルギー弾になるから一発で仕留めることができた。おじさんはまだ当分帰ってこないだろうし、先に帰っていよう。
ザッ…、ザッ…。
小屋に戻るとすぐさま暖炉に直行した。一気に体温が上がって逆に汗をかいてしまった。
ドンッ…!
台所に鹿をそのままに置く。う~ん、いざ目の前にするとどうしていいか分からないな。解体の知識や技術も録にない私がこのまま放置すると腐りそうだし…。
悩み抜いているとおじさんが早くも帰ってきた。おじさんは何故か台所に立つ私を見てその場で呆けている。
「おじさん?」
「お前、どうやって、帰ってきた?」
どうしよう。神力の跡を辿ってなんて言えないし…。
「どうやってって、行きの道を覚えてたから」
そのままおじさんは何も言わずに狩ってきた猪を台所に置いた。鹿を置いてるせいかだいぶ狭くなった。
「おじさん、解体方法教えて」
「…見て覚えろ」
狩ってきた猪を手際よく解体するおじさん。その腕は確かに本物だ。切り口がちゃんと揃っている。
「皮とかは角は残しておいた方がいい?」
「好きにしろ」
それじゃあ好きにする。流石に同じ様に完璧にはできなかったけどちゃんとお肉は捌けた。別でやった角や皮は暇潰しの時使おう。
「ん、おいしい」
塩を振りかけて焼いただけのお肉も、教会で出される豪華な食事に比べるまでもなく美味しい。そもそも教会では喉が通らないのだから美味しいと思う余裕もないけど。
「おじさん…、色々とありがとう」
おじさんがいなかったら原作が始まる前にお陀仏だった。最初はただ怖い人かと思ってたけど、意外に面倒見がいいことが分かった。
「そういえばおじさんって何してるの?」
やっぱり此処に住んでるのかな? でもよほどの理由がない限りこんな雪山に一人で暮らす訳がないと思う。
「………旅」
どうせ答えてくれないと思っていたのに予想外の答えが出て思わず口許が緩んでしまった。
「へぇ、いいなぁ。旅か~…」
おじさんならどこに言っても直ぐに適応できそうだ。想像すると笑ってしまった。
「…お前は、何してるんだ?」
初めておじさんに質問されて少し嬉しくなる。だって私に興味を持ってくれたってことでしょ?
「わたしは、…責任の重い仕事かな」
【聖女】の名は誰にとっても憧れなのに、実際は人の命に直接関わる、常に誰かの目に晒される仕事に他ならない。
「責任…?」
「うん。わたし以外、できない仕事」
【聖女】の代役なんてそう簡単に務まらない。だから百年存在しなかったなんて時期もある。
「お前、途中から敬語抜けてるぞ」
「あ、ホントだ」
今までこんなことなかったから全く気づかなかったけど、いつの間にか砕けた口調になっていた。精神年齢が身体に引っ張られてるのかな。
「…嫌だった?」
「いや、…好きにしろ」
「うん。おじさんはいつまで此処で暮らすつもりなの?」
「…さぁな」
「おじさん魔法使える?」
「あぁ」
「じゃあちょっとだけ教えて。報酬は…」
ゴソゴソと胸についているブローチを外す。結構大きめの物で召し使いの人達が散々自慢していたから良い物だと思う。
「コレでいい?」
「お前、コレをどこで手に入れた」
ブローチを手にとって心当たりがあるのか問いを投げられる。ここで下手に答えたら私の正体バレるかな。…おじさんには、バレたくないな。
「知らない人から貰った。それで、教えてくれる?」
「…気が向いたらな」
そう言って結局ブローチは受け取らずに、食器を台所に片付けに行ってしまった。
ん、お肉美味しいな。教会から離れるとこうも息ができるのか。精神的にずいぶん追い詰められていたようだ。
その日からおじさんは私に魔法を教えてくれた。教授、というより放置指導だったけど一度お手本を見せてくれれば覚えたからなんやかんや指導方法は合っていた。
三日目になるともう遠慮もなく普通にため口になってたしね。ある程度ルートを覚えれば自分で狩りにも行ったし。
おじさんは夜になると必ずお酒を飲んだ。身体を壊すよと言ったら悪夢よりマシだと返された。おじさんでも夢は怖いのかな。
確かに私も教会じゃろくに寝れてなかったし、その点ではお酒という逃げ道のあるおじさんが羨ましい…。