清廉潔白の弊害(へいがい)
ザクッ、…ザクッ……
美しく保たれた神殿内にある庭園をオルカの回し者であろう護衛騎士と共に歩く。たまに足を止めて、また歩みを進める。それの繰り返しに内心飽き飽きしている。
仕事ばかりしていたから、私は休むのが下手になった。面会予定だったカザンスタ公国の使者が自国の内紛で突如取り止めになってしまったのでどうも暇を持て余している。
書類でも片付けようかと思ったらこういうときに限ってきっかり終わらせてあるのだ。普段からこの状態ならこうして落ち着かない休息を過ごすこともないだろうに。
サァアア……
髪を靡かせる程度の風が吹いている。今はフードを外しているから長い髪がさらさらと流れる。仮面を着けているから髪が鬱陶しく顔に掛からないのが救いだろう。
突然予定がなくなっても他の仕事で代用できたのに、後継教育を完璧にしすぎた弊害がここに来て現れている。
三十分ほど庭園を歩いて、私は今度こそピタリと歩みを止める。辺りには美しい花々を差し置いて壮大な自然が広がっている。広大な敷地を持つ神殿だからこそ為せる光景だった。
まるで私一人、この広い広い世界の中で存在しているみたいだ。いっそこの草原に背中をつけて寝転がってみたい。子供の頃なら当たり前にできたことは、今やその発想すら許されない立場にいる。
美味しい空気を口いっぱいに含んで、ずっと遠くを見つめて、私は今この地に立っている。清々しいと言えばそんな感覚を覚えることなく、自分自身何を考え此処にいるのかよく分かっていない。
わたし今、ちゃんと息できてるかな…。
自分の呼吸の音より、風の声の方が強いせいかそんなことをふと思った。生きているならそうだろうと理解ってはいたが、やはり考えられずにはいられなかった。
仮面の内から、ポタポタと涙が溢れる。別に悲しくなんてないのに、喉がひくついて少し苦しい。 なんだか無性に、抱き締めて欲しい。強く、強く、私を『此処』に繋ぎ止めて欲しい。誰でもいいから、私を…。
心の奥底から溢れでてきた欲望は私の思考を奪った。これだから、駄目なのだ。一時の休みは私に綻びを作る。その綻びが私を甘い『逃げ』に誘う。
一度漏れ出た感情は簡単には元に戻らない。私を一人にしないで欲しい。私を認めて欲しい。私を許して欲しい。誰か私を、殺し(け)て欲しい。
だけどそれを叶えてくれる人は、たった一人しかいない。そしてその人は、私が突き放した。とても大切な人。私を記憶してくれる、私の『証』。全てあの人のもとへ置いてきた。
この風もいつかおじさんの元へ訪れるだろう。だから、どうか祝福がありますように…。そう祈りながら、私は休息を一足早く切り上げた。
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「………はぁ」
思わず『聖女』のままため息を溢す。幸い補佐神官には聞かれていない。それにしても、憂鬱とはまさにこの事だろう。
あの護衛騎士を通してとっくにオルカの元へ報告が上がってるだろうし、夜は確実に『躾』が待っている。
それを分かっていて早く仕事を終わらせたいなんて思わない。だから意力も激減し仕事は手につかない。最悪の循環の完成である。そしてここで、そんな私の気分を急降下させる内容が目に入った。
『元没落貴族の現孤児員数名による度重なる体罰、暴力、食事制限等で三名の孤児死亡』
ぐしゃりと書類を捨てなかっただけでまだ自分で自分を偉いと思える。私が聖女である内にある程度の基盤は作っていたつもりだった。
不当な横領等でまだ幼い子供達が無駄に死なないように、温かな寝床も、美味しい食事も、適度な娯楽も、与えられるよう手を回していた。
なのに、まだこんな『貴族』なんてくだらないものがあるから。こんなものを敬遠する腐りきった社会の構造があるから…っ。
まただ。また、自分の無力さに苛立ちが募る。自分のことだけで手一杯なのに、私を煩わせる全てが憎ましく感じる。
私が【原作】通り死ぬことに固執しているのは何もそうして死ぬことしか選択肢がないと思い込まされている訳じゃない。
私があんなにも【聖女】とした死ぬことに執着していたのは、生々(なまなま)しく描かれていた孤児達の現状にあった。
孤児の子供たちは教会の後ろ楯のもと、暗黙の了解で人身売買が行われている。さらにあまり売れない男の子達は最低限の食事で働かされる。
私が【聖女】としていくら動いても、救える子達には限りがある。だから教会を潰すために、私の死を利用して帝国を動かす必要があった。
帝国が教会の弱みを握るために帝国法で禁止されている人身売買の証拠を見つければ、監視の目も厳しくなって少しでも悲しむ孤児の子は減ると、考えたから。
清廉潔白を抱えた聖職者の顔の下に隠された下劣な金儲け。実際【聖女】になる前まで私はその異様さを肌で体感していた。
あのとき、逃げるという選択肢だってあった。だけど孤児院長や委員から隠れて泣いている子達を数えきれないほど見ている内に、私は決めたのだ。
もちろん、あのまま逃げていれば罪悪感で永遠に消えない後悔が残っていたから自己保身の為でもある。別に綺麗事にするつもりもない。
…最近私が甘過ぎたのかもしれない。気をつけていたつもりでも、『聖女』としての偶像が勝手に出来上がっていたのなら、もう一度知らしめなければならない。【聖女】としての存在を…。
鉄が急速に冷めるように冷静さを取り戻した今でも、私は神官数名を連れて足を進めていた。報告書が上がっていて尚、その元貴族の孤児員らは現職についている。
大方オルカがわざと手を回したのだろうけど、相も変わらず卑劣な男。私の思考を全て予測し先回りしていること自体吐き気がする。
「恐れながら進言致します。なにも聖女様自らが赴くことも…」
後ろからついてくる神官の一人が、私に意見を申し出た。…三人の子供が亡くなって、その最高責任者である私は蚊帳の外とでも言いたいのだろうか。
私は再熱する怒りを鎮まらせながら、完璧な『聖女』の微笑みを被る。わかってる。ここで取り乱しても意味はない。だから…、
「ではエイリエ神官、貴方は此処に残って頂いて結構です」
「お待ちください! 私が失言致しましたっ! どうか…、どうかもう一度機会を!」
みっともなく私の裾に縋りつく彼を突き放す。機会は平等に…。そして、その機会は皆一度きり。
「どうぞ、お帰りください。貴方には住む家も、温かな食事も、寛ぐ環境もあるのですから、何ら問題はないでしょう?」
まだ何か喚く元世話付き神官を置いて、私は残った神官らを連れて足早に目的の場所へと向かった。




