特別な『おもちゃ』
あれから毎日のようにラクロスは私の部屋に訪れた。もうギルドの方が落ち着いたのか…、いっそ潰れてしまえばいいとすら思う。
ちゅ…、ちゅぅ……っ
恒例の『マーキング』が終わるまで私はずっとされるがままにされている。この行為の終わりを待つだけの時間。暇だと思えば暇だし、苦痛と言えば際限がない。
吸血鬼同士にとっては重要な意味をもつと言うけど、ほとんど絶滅したのだからそれを識別できる者もいないのに…。
結局これは『所有』の証だ。稚拙で、傲慢な、子供がやるような『マーキング』。身体になにか残すことでしか私に何も刻めないからだと思えば、幾分か気分も晴れる。
いつも眠る直前に来るからか、単に姿勢が楽なのかマーキングはベッドの上で行われる。そこに意味を見出だすほどまだ壊れてはいないが、いかんせん不安が燻る。
いつかそのままの勢いで一線を越えるかもしれない。もう苦しいことも、痛いのも慣れた。だけど、まだ確かに幼い十四歳の『私』がいる。
よくよく考えれば前世で中学生に該当する十四歳の私が高校生に押し倒されている時点で事案だ。今までは年齢を気にする暇もなかったけど、こういうときにだけ余計な考えが頭を巡る。
愛おしそうに私の身体に自分の匂いを染み込ませるラクロス。それをどこか虚ろな目で映す私。これを平然に捉えてしまう私たちは、やっぱり壊れている。
「ねぇ、ラクロス…。貴方はなんで私のことが好きなの?」
マーキングが終わった後、脱力した気分で何気なく聞いた質問。だけど、もしかしたら私が一番聞きたかった問いなのかもしれない。
ラクロスはちょっとだけ悩む素振りを見せて、やっぱりこれだと言うかのように悪戯に笑って私の目の下に触れた。
「みんな平等に無価値の目。赤ん坊にも、老人にも、女にも男にも、全部一括りにした目線で見てる。俺はその目が大好き」
近距離で目線が合うけど、それももう何か感じることはない。
でも、そっか…。私はこの世界を最初から受け入れていなかった。それはオルカとの出会いから加速している。だからきっと、『これ』は治らない。
「もう随分と使い込んだおもちゃなんだから、捨てないの…?」
貴方は刺激を楽しむ人だから、壊れてきた私を捨ててもいい頃でしょう? 切実な願い、と言うわけでもなかったが、それを望んでいたのは確かだ。
「俺のモノ他の奴にあげるぐらいなら壊すし、シルちゃんは特別だから絶対捨てない♪」
またマーキングを再会し始めるラクロスに、ほとほと疲れが回ってきた。会話をするだけで寿命が削れる。
「…ラクロス」
「んっぁ…? うぁに?」
マーキングを止めて喋ればいいものを…。そのせいで歯が少し食い入って痛い。ただ何を言ってもどうせ聞くわけがないのでスルーして話を進める。
「もし私が逃げたら…、貴方はどうする?」
「…ん゛~、」
少しずつ、本当にゆっくりと毒が蝕むかのように牙が押し入っていく。あ、ミスった…。そう後悔しても事は既に遅すぎた。
ギッ、ギギギ…ッ、ギチィイ、ッ…ッツ
「っが゛ィ…、あぁ゛ア!!…」
しばらく痛みが続いた後、牙はその怒りの矛を納めた。されどまだ獣の機嫌は治らないのか終始私の手を掴んで既に跡になっていることが分かる程だ。
「もし、シルちゃんが逃げたら…。まぁ絶対無理な話だろうけど、その時は俺の元に連れ戻して飼い殺しかな。シルちゃん特注の首輪つけて俺以外の誰にも会わさずにただ俺の帰りを待つんだ。前に言っただろ? 『求愛』だって。だから俺と結婚して幸せになろ?」
「……っ゛…はっ、…」
まだ痛みの余韻で口は動かせないけど、予想を裏切らない完璧な答えにもはや尊敬すらしてしまいそうだ。それもまた、絶対にあり得ない話だが…。
「でも俺はきっと傷つくだろうなぁ。だから、ちゃんとシルちゃんが『せいしんせいい』謝らない限り目ぇ潰して喉抉って四肢引き千切って、だるまにしてずぅっと犯してあげる。大丈夫、シルちゃんは【特別】だからちゃぁんと生かしてあげる」
ドロドロに濁った瞳は、ただただ泥のような眠気を引き起こす。瞼がしきりに重い。抗うことにも疲れたから、ゆっくりと身体から力を抜いていく。
「ラクロス……、ねむいの」
微睡みながら頬を撫でればそれ以上は邪魔をしないのが唯一の良いところだろう。彼らは接触を拒絶しない程度の要求ならある程度聞いてくれる。それは当たり前のようで、私からしてみれば全く違うこと…。
「おやすみ。シルちゃん」
チュッとおでこにキスが贈られ、端から見ればまるで愛し合う恋仲だ。この数年で随分と扱いにも慣れてきた。思考だって常識を外せばむしろ単調に思える。
そう。思考さえ、侵してしまえれば…。たとえそれを一番に願うのは私で、一番怖れているのが私だとしても。矛盾は混乱を生み、人格を侵す。だからこんなことを考えていればそのうち、願いは自ずと叶うのだろう。
しかしそれが叶ったとして、喜ぶ『私』がいないということはそっと思考の瓶に蓋をして、気づかないようにした。