少し大人びた…
ヒロインを見つけて一週間が過ぎた。建国祭の余韻が徐々に薄れ初めて、また日常戻ってきている。
それは仕事量も元に戻ったというわけで、忙殺されそうな勢いで仕事をこなしていた。ようやく書類仕事を終えたとしても次に待っているのは招待状の仕分けだ。
スッ……
精神的な疲労が身体にきて夜ももう遅いのでベッドに上がってから手元に光灯を置いて開封していく。
カザランド公国の密書もあれば、帝国貴族からの私的なお誘いもある。大国となると必ず返事を返さなければならず、これを後に回すと面倒なことになるのは一度身をもって痛感した。
手紙の一式は横の寝台棚に用意されているので取り出して一枚一枚丁寧に書いていく。この時点で午前零時を回っているのだからとんだブラックなのだが、それを訴える労働機関がないので泣き寝入りである。
三枚目に突入したところで手が止まる。長く書き続けたこともあるが、窓で影がゆらりと動いたのを見たからだ。
「…いい加減窓から訪問するのは止めてもらえませんか? ラフ」
「やっほー、シルちゃん」
あだ名も随分とフレンドリーなったものだ。怪訝な目で窓から遠く離れても気づいたら部屋の中にいる。もうマジシャンにでもなればいいと投げやりに思ってしまう。
「今日は何のようですか?」
「うーん…、大事な『トモダチ』に会うのに理由っている?」
何をそんな当たり前なことをという表情がまた腹立たしい。というか瞳孔開ききってホラーじゃん。
「貴方の場合大事な『オモチャ』でしょう。はぁ…、勝手にしてください。私はもう寝ます」
この男の顔を見ただけで全てのことにやる気を削がれた。やけくそで布団を被り横になる。この男対処法は完全無視である。
「え~、シルちゃんのケチ」
「煩い…。追い出しますよ」
子どもでも面倒だったのに背が大きく伸びた大の大人がそれを口にするとなんとも情けないものに思える。そしてそんな私の想いをよそにラクロスはベッドの端に膝立ちして上半身だけをベッドに乗せた。
「シルちゃんってさぁ…、いつまでそんな固い口調なわけ?」
「…少なくとま貴方との距離関係を考えれば問題ないでしょう」
ラクロスと目を合わせないよう背を向けて話してはいるけど、どうも感が鋭いのか迂闊に喋れやしない。
早く寝たいともんもんとしていたが、急に視界が変わる。左手を掴まれ仰向けの姿勢になったのだ。何より目と鼻の先にラクロスの顔があるのが驚いた。
「…これ以上は本気で怒りますよ」
「じゃあちゃんと俺を見てよ。ねぇ」
やっぱり快楽連続殺人者の頭を理解するのは無理そうだ。無意識なのかそっと首に手を当てているのも駄々を捏ねて敵わない子ども臭い。
「…殺すなら今度はちゃんと殺してよ」
溜め息が直にラクロスの手にかかる。殺す気もない癖に…。いっそ一思いに殺せばいい。そしたら私はたった一度の苦痛で楽になれるのだから。
そのまま目を閉じていたけどまだ締まる気配はない。その時間が長く続けば流石に瞼を上げる。真っ先に視界に入ったのはじっと見つめ続けるラクロスの顔。
「殺さないなら離してくれる? もう寝たいの」
「ん、可愛いかったから今回は許してあげる」
この男は一体どの立場から物を言っているのだろうか。まぁ機嫌直して首から手を離しただけいっか。
だけどその後もラクロスは一切帰る素振りを見せずあろうことか私の胸元で横になって寝てしまった。もう本気で帰ってほしい。うぐぅぅうと眉尻を下げ怒りを通り越した感情が渦巻く。
背後に巻き付けてくる腕から逃れようと身体をよじっても嘘のようにくっついて離れない。この気持ちは、そうだ。昔引っ付き虫に散々振り回されたあれだ。
どうかして追い返したいがもうそんな気力は毛根尽き果てている。別に意識しなければいい話だろう。癪ではあるが今日は仕方なくそのまま眠りについた。
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コンコンッ…
「聖女様。朝の祈祷のお時間にございます」
んん…っ。予想以上にぐっすり寝付けてしまっていた。隣を見ると相変わら痕跡一つ残さず帰ったらしい。二度と来るな。
おっと…、いけないいけない。私は【聖女】。慈愛に満ちて、清純で、微笑みを絶やさない完璧な人間。よし、スイッチOK。
「どうぞ、お入りください」
「失礼いたします」
「遅れてごめんなさい。今日もありがとう」
「いえ、聖女様のお世話をすることが我々の至福でございますから」
本心で言ってくれてるのは分かるのに、素直に受け取れないのはいつも同じ。だって彼らの手付きは神仏像にするそれで、『わたし』なんて眼中にもない。でもそれを見知らぬ振りをして、聞き流すことぐらい日常茶飯事だ。
まだ閣下が来る前で良かった。早朝からにこやかな笑顔で毒付かれたくはない。
「アルティナ女神よ、今日も我ら御霊を御守りください。我らもまた、己が役目を果たすことをお約束致します」
閣下のこの祝詞も思えば十年近く聞き続けている。…今でも意味は不明だけど。
朝の祈祷が終わるとまた閣下に呼び出された。閣下との会話は神経を使うからなるべく避けたいのに…。今からでもお断りしたいけどそんな顔一つせずにこやかにお受けする。
コンコン……、
「失礼します。閣下、お話とは何でしょう」
「まぁ座りなさい」
閣下の真正面に腰を下ろし、出された紅茶を口に含む。狸親父との対峙はいつだって心身の疲労を伴う。事前の準備は過剰でもいいからやるのが鉄板なのだ。
「皇室に新たな皇女が現れた。まだ確定ではないが、おそらく『本物の』皇女だ」
「…そうですか。それはまた、忙しくなりそうですね」
「あぁそうだ。まったく、これ以上仕事を増やして過労死でも狙っておるのか…ッ」
素知らぬ顔で返事を返せば閣下は苦悶の表情で頭を抱えた。ただでさえ仕事に忙殺される毎日に新たな皇族の存在が出てくればパーティーのお呼ばれなので出張もできるからピリピリしている。
「それで、だ。早速皇室側から打診があってな。本来六歳で行う【皇族の儀】を急遽聖女にやってもらいたいと言うものだ。日時は特に指定がないが時間は早めに開けておきなさい」
無事【原作】通り進んでいることへの安堵と嬉しさから笑みがこぼれる。
確かこの時にヒロインはオルカとの出会いを果たす。叶うことならあの男ごと引き取って欲しい。廃棄処分しても何故かグレードアップして帰ってくる人間なんてこちらから願い下げである。
「わかりました。他には何か?」
「いや、特にはないが…。いつになく呑み込みが早いな。もっと愚痴でも吐くかと思ってわざわざ護衛を外したと言うのに」
「…もう子供じゃありませんから」
その場しのぎで適当についた言葉は、思いの外閣下の胸に突き刺さったようてなんとも罰の悪そうなお顔をしていらした。その顔で少し溜飲が下がったのは内緒だ。どうせ言っても仕事を倍に増やされるだけだしね。
閣下との報告会が終わればまた気の遠くなるような仕事が私を待ち構えていた。有能な神官を育てても規模が大きくなるごとに手が回らないの悪循環を辿っている。
もうそろそろ神官達から労働時間に関するデモでも起こりそうだと本気で考えながら、それぞれの仕事の分量と無いように関する割り振りを慣れた手付きで捌いていった。
 




