心の底から…
建国祭ムードで周りが騒がしい中、着実に時間は過ぎていった。気づけばもう建国祭最終日の朝だ。今日が唯一【原作】へと巻き戻せる日。もう、後がなかった。
午前の会議を終わらせ、また今日もイアニスと顔を会わせて昼食を摂っている…。
「…殿下。今宵のご予定がなければ私と少し、皇都に参りませんか?」
「…今度こそデートのお誘いだと受け取ってもよろしいのですか?」
「はい。構いませんよ」
襲いかかる吐き気を堪えて、私はイアニスを見据えた。彼もまた私の意図を探ろうと目を合わせる。だがそれもすぐに崩れ嬉しそうに頬を緩めた。
「このような栄誉断る選択肢はありませんね。喜んでご同行致します」
頬を赤く染め、心の底から喜ぶイアニス。最初からこうしていればよかったと、もう乾いた思考にしか至らない私にはどれも変わらないように映った。
最終日にて首脳会議は閉会し、私はいつもの高価なマントではなく少し擦りきれたロープを被りイアニスの部屋を訪れた。
ガチャリ……
「御待ちしておりました、聖女様」
「…では、行きましょう」
同じく薄汚れたマントを被ったオルカと共に、転移魔法で皇都に到着する。てっきり術者を連れてくるかと思ったが、彼が転移魔法の使い手だったことに少し驚いた。あれは相当な研鑽を積んだ熟練にしか使いこなせない、この事実が広まれば彼の生い立ちに難癖をつけるものなどいないだろうに…。
しかし今はそんなことを考える暇がない。出会いの場所は【原作】にも詳しく記されていなかった。つまり地道な捜索をするしかないのだ。
「屋台を巡らないのですか?」
「…、少し歩きたい気分なんです」
「何か小腹を満たせるものでも買って「いえ、大丈夫です。殿下は私の傍を離れないでください」」
勝手に離れてもらっては困るのだ。本当に致し方なしに手を繋いで引っ張って歩く。
「っ…、あ」
パサリ……、
小走りで人混みの中を掻き分けて進んでいたからか、誰かにぶつかった拍子でフードが外れてしまった。いつも被っているマントを二重にしていた訳でもないのでシルクの長髪が露になる。
「お気をつけください。聖女様の容姿は有名なのです」
すぐにイアニスが被せてくれたけど、別に周りも酒に酔った人がほとんどだったしそこまで気にすることでもないだろう。
小一時間程経過したが、ヒロインらしき人物は一向に見当たらない。もしやもう貴族に売られてしまったのか。それとも初日以降場所を移したのか。最悪の予感だけが頭を占め体力の消費も考えず走り回ったせいで息が尽きた。
「ゆっくりと息を吐いてください」
優しく背中を擦って私を落ち着かせるイアニス。だけどそんなものじゃこの漠然的な焦燥は止まりはしない。早く、早く…。ヒロインを見つけない限りこの地獄から抜け出せない。人混みから抜けて路地裏近くの道に寄る。
過呼吸からか涙を溢れてさせる私を介抱するイアニスが、誰か訪ねてきた人と何か話している。良い雰囲気、というわけでもなくイアニスが一方的に拒絶しているようだ。
その人、いやその子の身長は丁度ヒロインと同年齢ぐらいで手に持っている花籠も…、あれ、待って。…はなかご?
「そのっ、だから…、」
「この御方に触れるな。その花籠ごと買い取ってやるからさっさと「まって…、」」
イアニスの腕に掴まって顔を上げると、私より少し大きめな身長の少女がいた。顔こそ隠れているが、間違いない。私はイアニスに支えられたまま、彼女の腕の裾をつかんだ。
「貴方を、探しておりました…」
神はまだ私を見捨てていなかった。安堵からかここ数日の疲弊が一気に襲いかかるが今は耐えなければならない。やっと、夢にまで見た解放へと近づいたのだから…。
「ぁ、あのっ、どいういう意味ですか…?」
「聖女様…?」
両者それぞれの反応をするが、私はそれを気に止める余裕がない。ただただ希望の光を手に取った。
「帝国の一つ星、エルネ・フォン・ラグナロク皇女殿下。それこそ、貴方様の真名なのです」
「私が…、こ、うじょ…?」
「まさか…、」
何か感付いたイアニスが彼女のロープを外した。その直後現れたのは金髪緑眼の、亡き皇妃の面影を移す幻影だった。
「あぁ゛…、やっと、やっと…っ。貴方の存在を夢見ておりました…」
貴方が現れる日、私の『終わり』が始まる。私は今、久方ぶりに心の底から笑えているのだろう。
「あなたは…、何者なんですか、?」
「…っす、はぁ…。…ご紹介が申し遅れました。私はシルティナ・エメ・アルフォース。アルティナ教の『聖女』の役目を負っています」
息を整えて姿勢を正し、しっかりと己の足で立ち身分を名乗る。その際には当然フードも外して…。
「せい、じょ…? っ、ぁ…、どうか私を助けて貰えませんか?! 今夜が過ぎれば私は貴族の愛妾として売られてしまいます! お願いします、どうかっ…」
膝をつき助けを乞い願う彼女の手を取って、立つように促す。大丈夫、心配はいらないと安心させ、放置していたイアニスの方へ振り向く。
「殿下、皇女様のことをお願いできますか?」
「…構いませんが、それでは聖女様の帰りがなくなってしまいます」
あぁ、そうだった。元々専属の術者がいる前提だったからこの場合の予測はしていなかった。帝都から聖都までは馬車で十日以上あるし、最悪魔道具に頼る他ないか…。
「大丈夫です。帰る手段はありますので、どうか皇女様のことをお願いします」
「…分かりました。ただし、また後日ご褒美を下さい」
にこりと微笑んだイアニスの顔立ちが、あの悪魔にソックリだったことに身の毛がよだつが、幸いなことにまだ表情は崩れなかった。
「また後日、お会いしたときに機会があれば…」
私はそれだけを言い残してフードを被り直し人混みの中に混じり入った。
まんまるお月様がまるで祝福するようにやさしく照らしている。河川、ゆらりゆらりと水面に写ったお月様。
あまり一目のつかないところまで歩いて、ようやく足を止める。私の腕に嵌まった輪っか。オルカから与えられた魔道具。これだけはあまり使いたくなかった。
これを使ったのは後にも先にもあの失踪以降にしたかったけど、今回は使わない方が飛び火が大きいのだから致し方ない。二回輪の部分を指で弾いて音を鳴らす。光を帯びる輪。
「『メタ・ヴァネス』」
発動詠唱と共にその光は大きく粒子を放ち私を包み込んだ。この魔道具の良いところは神力の損失無しに転移魔法が発動可能なところ。悪いところは…、
「…おかえり、シルティナ」
その座標が全てオルカを支点にしていること。前のときだってオルカの祈り中に転移してしまったのだから驚いた。
幸い多くの人間が集まっていたから良かったものの、密室であった場合など想像もしたくない。と言っても、その願いするのは空しくも現実と化してしまったけれど…。
「ただいま、オルカ…」
ロープを脱いでソファに掛ける。恐らく此処はオルカの執務室で、残念ながら彼以外の人間はいなかった。
「随分と帰りが遅かったけど、どこか寄り道でもしていたの?」
「皇都にちょっとだけ。建国祭を見てみたくて…」
「へぇ、…。それで、なんで泣いたの?」
すっと私との距離を詰め目元に触れるオルカ。相も変わらずこんな暗闇でも目敏い。
「花売りをしている孤児を見かけたの…。それがつい懐かしくて」
別に全部本当のことだ。嘘を言っている訳じゃない。そう自分に言い聞かせてもやはり躾られた性か漠然とした恐怖に駆られる。
「そう。わかった、今日はそれで信じてあげる。でも、ちゃんと俺のだって証拠は欲しいな…」
証拠…。私はゆっくりと睫毛を下ろす。それと同時に、首を差し出した。その行為に何の疑問すら抱かなくなっていることに、もう修復不可能な段階に来ていることが分かった。
「…゛ぁ、っぐぁ。ら゛、っぐ…! ぃ゛あ…」
苦しい、より先にこの程度で終わるのなら良いと考える自分が恐ろしい。暴力で従順に躾られた犬ほど、哀れなものはない。
「ぃ、…ぁ゛…。オ、゛ルカ…っ、あ゛ぐ」
絞められている間もオルカの名前を呼べば、苦しみは短く済ませられる。何度も繰り返しされればまるで誘導されるように自ずとオルカの求める答えに辿り着く。だからこれも、その一つに過ぎない…。
ある程度満足したのかゆっくりと締め付ける手が緩んでいく。この瞬間だって一秒足りとも気が抜けない。前は安堵の溜め息一つで失神するまで強く締め付けられた。あんなのを何度もやられては心臓が持たない。
『証拠』を見せた私を褒めるように抱きしめ呼吸を落ち着かせるオルカに、私はほんの少しだけ口角をあげた。
…ねぇ、オルカ。私は最初貴方に同情したの。そうよね。いくら未来で『私』を裏切るとしても、それは利益を考えるなら当然のことだもの…。それにこの世界で孤児として生まれた時点で這い上がるには手段なんて選んでいられなかったことも分かってる。
だけど、…貴方は違った。あの日、あの時、貴方を一目見て分かった。この人は、ちっとも『可哀想』なんかじゃない。その空っぽな瞳に口角を上げる様を見て、ただ人間には過ぎた力を持った無邪気な化け物だと…。
だから私は貴方を拒絶したの。決して相容れることはないと理解っていたから。未だ貴方が私にこうまでして執着する理由は分からないし、分かりたくもないけど…、貴方が【愛】とほざくのならきっとそうなんでしょうね。
ねぇ、オルカ…。貴方は負けたの。私はヒロインを見つけた。【原作】が始まった。貴方は負けたの。貴方は二度と、私を手には入れられない…。
私は勝利の酒杯に酔いしれ、このどうしようもない愚かな男を、嘲笑った。




