東の国の使者
「東の国の使者か。今まで一切の外交を閉ざしていた国が、何故突然帝国に使節団を送ってきたのか気になってはいたが…。まさか皇女と関連しているのではあるまいな」
おじさんが私を少し引き寄せて東の国の使者に軽い警告を発する。
事情を知らない貴族たちにとっては当然疑問の声しか上がらないが、もし万が一私の正体を知っていての行動だとすれば話はまるきり変わってくるのだ。
多少の間が続いた後、男はまるでお手上げかのように肩を落として苦笑した。
「誤解させてしまったのは此方の落ち度ですね。私がお話しかけたのは皇女殿下が皇帝陛下と大変仲睦まじく感じたからに他ありませんよ」
遠回しに他意はないと言っているようだが、この男何かがおかしいと感じるのは私の気のせいだろうか。
数ある多くの人間と弁論を交じわしてきた私にも真意がハッキリと掴めない。探ろうとすれば一瞬にして消えてしまう蜃気楼のようだ。
「それと、我々が何故突然外交を開いたのかと仰りたいようですがそれには少し語弊があります。これまで古い体制ばかりを敷いて凝り固まってしまった自国に新たな風を吹かせようとのことで新たに王に就かれた御方がまずは見識を広められるためにこうして外交使節団を派遣したのです。帝国は大陸最大の国であるとのことでしたのでまずは最初にご訪問にお伺いすべきかと考えたのですが…、やはり何事も初めてではご迷惑を掛ける始末でしたね」
男の最もたる物言いになるほどと皆が納得する中おじさんだけはまだ剣呑とした姿勢を手放さなかった。おじさんにも何か引っかかる点があるのか、そう簡単に信用していては皇帝など務まらないのだから悪いことではないのだけれど…。
どの国も静観を貫いた未開の国。通称東の国と呼び名が高いが実際の正式な国名は今なお伏せられているという異例の国。自国の伝統を代々守り貫き一切の外交を拒むことで一部の者達が夢を持ち向かったが、誰一人帰ってこなかったと言う。
しかし時たまに東の国から流出される織物などの品質はどの国も喉から手が出るほどのもので、実際金鉱が多く眠る秘境なのではないのかとの専門家達に声もあった。
だからこそ初めに東の国の開国に成功した国が栄華を手にするなどとの噂も流れたほどだ。
そして今、その噂の張本人達が何食わぬ顔で建国際に使者として現れた。
帝国貴族達からすれば今すぐにでも国交へと結びつかせたいだろう。それを知ってか知らずか男には余裕があった。余程のことをしでかさない限り自分達は絶対に無下にはされないという、自信。
そんな彼らにいくら皇帝であろうと無闇な疑いを向けることはできない。おじさんの為にもちょっと緩和剤ぐらい入れてあげないと…。
「あら、そうでしたの。ところで、まだお名前をお伺いできなかったのだけれど…」
「浩然と申します。私どもの国では性がないもので、気軽に名前で呼んでくだされば幸いです」
「そうですか、浩然殿。それともう一つ気になっていたのですが、訪問の際に貴方とともにいた他の使節団の方々は何処へ?」
「彼らは生粋の東の国の人間でして、未だに帝国の文化に慣れようと未熟な状態であるため代表である私だけがこの場におります」
「それを聞く限り、浩然殿は生粋の東の国の人間ではないのですね」
さらに踏み込んだ質問に浩然と名乗る男は一瞬言葉を呑んだ。そして私と視線を交わし、またあの誰にも愛想の良い笑みを浮かべた。
「はい。どうやら私は赤ん坊の頃東の国に漂流した大陸の人間であるとのことで、ご覧の通りこの髪色と瞳のお陰で随分苦労もしましたが今の王が手を指し伸ばしてくださりこうして使節団の代表を任せてもらえるまでの地位にはなりましたね」
浩然が自分の髪を指しながら笑顔に話すが、皆が気になっていたのは確かにその容姿とも言えるだろう。
少しクセのついた銀髪とかぼちゃ色の瞳。言い伝えに聞く東の国の人間の特徴黒髪黒瞳とはあまりにかけ離れ過ぎている。
「見識を広めたいと先ほど仰られたようですけど、具体的にはどのようなことを? 私にできることがあるのでしたら可能な限り助力しますわ」
「それは光栄です。このような幸運の女神に出会うことができたのもまた何かの縁でしょう。ぜひそのご懇意にお預かりしたいのですが特段今は考えが思いつきませんのでまた御機会があれば喜んで甘えさせていただきます」
「そうですか…。私達としても貴方方との交易はとても楽しみにしているので、この交流で良い経験が得られると嬉しいですわ。あぁ、よろしければ丁度あちらに帝国最大規模の商団を持つグラニッツ公爵令嬢もいるのですからご談笑くださいな。それでは私達はこれで」
あいも変わらず全く本心の読めない笑みで差し障りのない言葉ばかりを紡ぐこの男にどうも居心地の悪い気分になりかたや投げ出すような気分で会話を終えた。
これ以上男との会話に生産性はなく、私の気分だけ下降していくようで気に触ったからだ。
本来この場で最も権威の高いおじさんが会話の主導権を持ってるから私が勝手に切り上げるのは完全にマナー違反、というか無礼にも値する行動なんだろうけどおじさんは私の好きにさせてくれるから問題な〜し!
またおじさんの腕に手を置いて空いている方の手でワインを身体に流し込んでいく。
ワインなんて聖女時代じゃ考えられなかったせいか手当たり次第グラスを取り続けるけど実は何回かおじさんに注意されてる。はしたないとかじゃなくて普通に心配してくれてのことだろう。
だからちゃんと言いつけを守って後半からはゆっくり飲んでいったけど、別にそこまで美味しいものでもない。葡萄で生産されているはずなのにあんまり甘くはないし、味の感想はそれ以上にないけど酔い心地は良かった。
「ん〜…、あれぇ? おじさんが二人に見える〜〜…」
「飲み過ぎだ。あれ程最期にしろと言っただろう」
「だってぇ…、えへへ。おじさんが格好良くてはしゃぎたかったんだもんっ」
自分でも見ていられない程に酷い有様で泥酔していたが幸いもう一度グラスに掛けようとしていた手はおじさんが制止してくれたようだ。
グラつく視界にまるで溺れた感覚とよく似ているな〜なんて呑気なことを考えているとおじさんが人目を気にしてか私を外の庭園まで連れ出してくれた。
途中ヒールが高くて転びそうになった私を抱きとめてお姫様抱っこしてくれたところまでは覚えてるけど…、よくよく考えると相当恥ずかしいので黒歴史確定である。
庭園の中でも奥の噴水のもとまで行くとその縁に私を座らせてぽや〜…としている私にコップに入った水を飲ませてくれた。
もうパーティー開始から随分時間が経ったのか魔法の灯りだけが輝いて辺りは一面暗く、会場の方面だけキラキラと眩い光を放っている。
おじさんの言われるがままコップの水を全て飲み干すと身体の火照りも落ち着き逆に夜風に冷やされ薄着のせいで寒く感じてきた。
「うぅ゛〜、ざむぃ…」
身体を縮こませてブルブルと震えればおじさんが自分のコートを脱いで私の肩に掛けてくれた。
意外に厚手だったのか内側に毛皮が入っていてとても温かい。こういうときの対応がスマート過ぎて流石帝国一のモテ男だと感じる。
「まだ寒いか?」
「…ううん。あったかい」
おじさんのコートをぎゅっ…と握りしめて返事を返す。そのまま気分が乗ったのか不要になったヒールを脱いで立った勢いのままビックリしているおじさんの手を握った。
「踊ろうよ、おじさん!」
「アルティナ、まだ酔っているのか?」
「酔ってないよぉ〜。ね、二人で踊ろっ!」
会場から聞こえてくる小さな音楽に合わせて私はステップを取ると続けておじさんもそれに合わせてくれる。さっきは大勢の前で皇帝と皇女としてだったけど、今はそんなの気にしなくていい。
踊りたいように、楽しいままに、好きに踊れればいい。
「えへへ…。おじさんとこうして踊るの夢だったんだぁ」
「…これからもやりたいことがあれば言えばいい。お前に叶えられないことはないんだ」
「うんとねぇ、おじさんと下町で買い物したり、誕生日祝ったり、一緒に料理なんかも作ったりして。あとは…、またあの小屋に帰りたいなぁ…、なんて」
言っている内に自然と涙がこぼれていた。
この全ては私が望んだことでもあり、あの子が切に望んだことでもあったから。
叶うはずのない夢ばかり見て地獄を必死に誤魔化してきた。それを知っているから、今この瞬間がどれだけ幸せか知っているのだ。
丁度曲が終わったからか、涙が止まらない私の顔をハンカチで拭ってくれるおじさんは凄く傷ついたような顔できっと自分を責めているんだと思う。
おじさんのせいじゃない。誰のせいでもない。そう言いたいのに涙で言葉に詰まって何も声にはできなかった。
たった数年。されど数年だ。
その間私達は互いに苦しんだ。ずっと感じる寂しさを埋められないまま、人生に絶望するには十分足り得る時間だった。
泣いたままの私をおじさんは何を考えたのかそのまま横抱きに抱え首に腕を巻き付けるよう言った。その言葉通り私は腕をおじさんの首に回し泣いているのを誰にも知られないように顔を埋めた。
振動を最小限のものだったけど何処かへ向かって歩いているのは明白でそれを聞こうにも泣いたばかりで喉が痛くて途中で止めた。どうせおじさんは私の嫌がるようなことは絶対にしないし…。
そして十分かそこら経った後、ようやくおじさんの足は止まった。
微かに香る木の独特な匂いが前世で特に気に入っていた香りとよく似ている。顔を起こして辺りを見てみるとどうやら何処かの宮殿の前だった。
「おじさん、此処は…?」
「…俺の妻、イェルナの宮殿だ」
「イェルナ皇妃の…」
手入れは行き届いているようだけど、不思議なほど人の気配がない。
おそらくだけど保存魔法をこの宮殿全体に掛けているのかな。そうでないとこの人の静けさで草木の手入れなんかも行き届かないだろうし、何なら季節外れの花も幾つか見て取れる。
それだけ、奥さんの生きた証を残し続けたいんだ。
おじさんの愛のカタチが切実に見て取れるこの宮殿はもはや一種の呪いだろう。人は愛する人の死を受け止めてからしか前には進めない。引きずったまま、残したままじゃ後ろを振り返る以外できないのだ。
だけどおじさんにとって唯一の心の拠り所はきっとこの場所だから。大切な人との思い出をおじさんから奪い取ることなんて私でもできやしない。
保存魔法は一度発動すれば魔力を補給し続ける限り半永久的に効果は続く。その代わり補給が途切れた瞬間に今までの経過年数分の劣化が始まるのだ。
この保存魔法がイェルナ皇妃の亡き後から始まったと考えれば既に人の手で管理していないこの宮殿は一気に退廃的な廃宮へと様変わりするだろう。
それをおじさんが見て心が壊さないわけがない。あれ程愛した人の生きた証を目の前で崩れさせて良いことなんて一つもない。
私はそれ以上何も言わずぎゅっ…と首に回す腕にさらに力を込めてまたおじさんが歩いていくのを黙って見届ける。おじさんにとっても、あまり触れられたくないことなんだろうから。
ギィィ……
重厚な音とともにある一室の扉が開く。その部屋には多くの宝石類やドレス、はたまた下町で売ってあるおもちゃにオルゴール等の雑貨も置いてある。
そして特に目を引いたのは、たった一枚の壁に掛けられた肖像画だった。
「イェルナが皇妃として嫁ぐのを記念して画家に描かせた肖像画だ。以前彼女の話をしただろう。俺もいつかお前に、紹介したいと思っていたんだ」
「……凄く、綺麗な人だね」
肖像画特有の絵の具に質感と優雅に微笑みを浮かべる彼女は黄金の髪を編み込んで私と同じルビーの瞳をゆらゆらと宝石の如く揺らしていた。
この人が、おじさんが唯一愛した人…。
もうこの世にはいない、二度と彼女に会うことはできない。そう考えると一度も彼女に会ったことはないというのに胸が締め付けられるように痛い。
どうして一瞬でもこの肖像画を見たときに懐かしさを感じてしまったのだろうか。おじさんに感じるような、言葉では説明のつかないようなモノだけどハッキリと感じる。
「おじさんは、ずっとイェルナ皇妃のこと好き…?」
「あぁ…。ずっと、ずっと、俺は彼女が好きだ。たとえ俺が死んでも、想い続けるぐらいには」
「そっか…。私も、なんか好きだな。ねぇ、また辛くなったら此処に来てもいい?」
「勿論。イェルナも新しい客人に喜ぶだろう」
そうだと嬉しいな…。そう思って私はもう一度彼女の肖像画を見つめる。
全体的におっとりとした印象だが貴族として育てられた気品がありありと浮かんでいる。柔和な性格ではあるが自分の芯を持った強い女性なのだろう。
「それとこれを…」
そう言っておじさんが私の首にかけたのは指輪の嵌められた小ぶりのネックレス。これは何かと聞く前におじさんの哀愁に満ちた眼差しで指輪を見ていることに気づく。
そして目の前の肖像画のイェルナ皇妃の左の薬指に嵌められた、この指輪そっくりの婚姻指輪。その全てがこの指輪の価値を物語っている。
「いつまでも、埃を被せておくわけにはいかないからな…。とても大切なものなんだ。お前に守っておいてほしい」
「…おじさんはそれでいいの?」
そんなに大切なものなら、おじさん自身が厳重に保管しておくべきだ。それこそ外の光が一切当たることのないような場所に…。
「俺が持っておけばどうしても思い出してしまう。それに彼女は、自由を愛していたんだ。だからこの指輪はアルティナに預けたい。…駄目か?」
「ううん…。そんな理由ならいいよ。おじさんの大切なものは、私も大切だから」
「ありがとう。それと因みにだがその指輪にはこの宮殿に無条件で入れる仕組みになっているから身につけている限り俺の許可がなくてもいつでも此処に来れる」
鍵みたいな役割を持っていると補足で付け足されてから預けられた理由をさらに納得して頷く。今日分かったことはおじさんがとても実利的な考え方を持つロマンチストということだろう。
なんだかとても矛盾しているなと内心笑っているともう会場に戻らなければいけない時間帯だとおじさんが教えてくれた。
「外にユス卿を待機させてあるからお前はもう自分の宮殿に帰って休むといい」
「うん…、ありがとう。おじさん」
もう既に遅いからか、それとも疲れが溜まっていたからか不意に襲ってくる睡魔に目を擦る。おじさんが抱きかかえてくれるのが揺り籠みたいで心地良くて気づかない内に私はそのまま眠ってしまったのだろう。
途中でユス卿とおじさんの声が遠くで聞こえたような気もするけど、私は夢の中ですっかり泣いてしまったユグトゥスを慰める夢を見ていたからよく分からないや…。
陛下の雪山暮らしは皇妃が亡くなって四年後ぐらいのことです。
最初の一年はやるせない悲しみと怒りを爆発させ野蛮族や魔物の討伐に明け暮れていましたが次の三年で拡大した領土の統制と帝国の基盤を作りある程度姿を消しても混乱しない程度に始末をつけました(皇妃宮の保存魔法も)。
ただ実際は皇帝という諸外国への大きな抑止力となる存在の消失は普通に国家存続に関わるので極一部の人達だけでなんとかその事実を隠していました。
このときばかりは過労死で三途の川を見たという人が多数出たそうな…。
ちなみにアルティナが皇帝に向けるのは恋慕とはまた違う為イェルナ皇妃に対しての嫉妬は微塵もありません。むしろ好意的ですらあります。