誕生と守護竜
「あぁ゛ぁあぁ゛あ゛ぁアァアァア……ッツツ゛!!!!!&’%$&?!!」
身の毛のよだつ程の藻掻き苦しむ絶叫をその小さな身体から発しているというのは例えその場にいる人間だったとしても到底信じられる光景ではないだろう。
しかしこの場に集う人間は全て出産についての歴戦の産婆ばかりであり、彼女達は的確な指示のもと母体の負担を最小限にする為に尽力を尽くしていた。
予定の日付より十日程早まった出産はアルティナにとってまさに命懸けの行為であった。長年の虐待の末未熟のまま止まってしまった身体での出産は決して容易くはない。
そのせいで現在産部屋へ入ってほぼ二十四時間が経過している。
前もって出産の際のリスクと掛かる時間が通常の二倍だと知らされており覚悟していたものの全く持って未知の感覚にアルティナの身体は全く持って適応できていなかった。
そして何よりも酷だったのは出産中に一度でも気絶してはいけないという警告だ。
私の死に戻りの体質を知っている皇室専属医師は気絶すれば衰弱している私の身体は死ぬ確率が高く、その場合どれだけ蘇ったとしても血中酸素の低下や体内の補正要素でさらに出産が困難になるらしい。
それを聞いたときは当然怖かった。
なにせ私に生きる意思はほぼないに等しくて、いつも楽な方へ楽な方へ逃げることだけが唯一自分を守る術だったから。
ミチッ、ミチミチミチ゛…??!!!
「ぅぅ゛うァ゙ああぁああァ゙アアア゛ぁツツ!!!!!!」
自分の肚から押し寄せる焼けるような痛みに思わず傍にいた助産師の腕に爪を引っ掛ける。相当痛いはずなのに職業上慣れているのか一緒に呼吸を合わせてくれるせいかまだなんとか気は失っていない。
一応皇室のしきたりとして産部屋への同席は例え配偶者であっても許されていないからおじさんは今頃扉のすぐ手前でいるのかな。
イェルナ皇妃のときのトラウマもあるぐらいだから、今頃不安になってないといいな…。
おじさんのことを少し考えられるだけの余裕も出てくると、すぐにまた強い波が来る予感がした。助産師の声に合わせて力の限り空気を吸い込むけどあとはもう私の疲労次第だろう。
そしてすっかり夜も明けかけたそのとき…、
おぎゃぁぁあ、おぎゃぁアアアぁ!!!!
「皇子です!! 姫様、男の子ですよ!」
遠くから助産師の声が聞こえる。でもなんて言っているのか靄がかかったみたいに全然聞き取れなくて今はもう指先一つも動かす体力は残ってない。
ぐったりとベッドに横たわって大量の出血を流す私が最後に見た光景。出産が終わるとすぐに扉が開いたと思えばおじさんの怒号のような声が響いて最後に泣き腫らしたような顔が見えた。
…変なの。私ちゃんと生き残るって約束守ったよ。今もほら、少し身体は苦しいけどちゃんと生きてる。だから、そんなに死にそうな顔で泣かないで。今は全身鉛みたいでちゃんと抱きしめてはあげられないから。
おじさんの顔を見て安心したのかフッ…と唐突に重くなる瞼に疲弊した身体は抗えなかったのだろう。
ちょっとだけ、ちょっとだけ目と閉じるだけだから…。そんなことを自分に言い聞かせては極度のストレスに晒された身体は束の間の眠りに誘なみこんだ。
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【皇帝視点】
「皇室の伝統的しきたりとして、この先は何人たりとも通すことはできかねます」
アルティナが早産として産部屋に入って付き従おうとした結果、目の前の扉に阻まれた。
この状況はよく知っている。
伝統などというくだらないしきたりに囚われて俺は二度と取り返しのつかない過ちを犯した。最愛の人の死に際にすら立ち会えず血涙を流したあの絶望は今もなお忘れたことはない。
だからこそ…、
「どけ。首と銅が繋がっていたければな」
殺気を込めた言葉は確実に侍女の顔色は青褪める。このままなら面倒な手間を掛けることもなく部屋の中に入ることができる。
扉に手をかけたそのとき、
「なりません。陛下」
「…ユディット。何故お前が止める…?」
事と次第によってはと剣の柄に手を掛けるがその動作は次のユディットの一言で完全に静止させられた。
「お嬢様直々の意思なのです。もし自分が産気づいたとき、そのときは決して陛下を部屋に入れないで欲しいと」
「…何故だ。何故アルティナはそのようなことを…っ」
「…自分が弱る姿を陛下にはどうしても見せたくないと。下手に心配もさせたくない、絶対死なないから信じて待っていて欲しいと前日の夜お嬢様が仰っておられたのです」
…今も産部屋から聞こえる絶叫に魔力が煮え立って仕方ないというのに、もし実際にその姿を見てしまえば俺は到底理性を保てないだろう。
それをアルティナは理解している。理解しているからこそ、自分を信じてほしいという酷な言葉を残して俺を遠ざけたんだ。
イェルナが最期に俺に残した言葉とそっくりそのまま同じで…。
「部屋には入らない。その代わり、お前は失せろ」
扉の目の前で門番の役目を果たしていた侍女は一瞬ユディットと視線を交わした後少し迷った末大人しく引き下がった。
そして俺はおもむろに扉に背を預け、その場に座り込む。
此処から先は何人たりとも通さないと守護竜のように、絶叫が上がるたびに剣を握りしめて自分を強く戒めた。
丸一日が経過しても止むことはない叫び声はまるでこの世の終わりのようでアルティナの苦しみを背負ってやれない自分が憎い。
そしてついぞ扉が空いたのはその翌朝のことで、一目散に部屋の中へ駆けつけたときには既に大量の出血で意識を失った危篤状態のアルティナがいた。
長時間の疲労でゲッソリとした顔色に、血の気もなく死んでいるかのように身体が冷たい。
一体どういうことかと助産師どもを怒鳴りつけ一刻も早く待機させておいたティオニスに診せる。意識を失い大量の出血をしたことで重篤な状態だと言われ、身体が震える程の恐怖が襲った。
イェルナに続きまた大切な人間を失うなどもう俺には到底耐えられない。
もしアルティナが死ねば俺はもう二度と人の心を取り戻すことのできない冷酷無比の暴虐君主としてこの帝国を気が済むままに破壊し尽くすだろう。
それ程までに、アルティナは俺の全てだ。決して代えの効かない唯一無二の存在。
俺のことを世界一優しい人だと言って笑い、全信頼を預けてくれる人間なんかこの先イェルナとアルティナ以外に現れはしないだろう。
アルティナは当たり前のように変わらず接してくれるが、それが他の人間にとってどれだけ難しいことか。尊敬の影に隠れる畏怖、称賛と共に織りなす羨望、純潔の裏に醜く宿る情欲。どれを取っても吐き捨てるほど濁って見えて仕方がない。
イェルナの面影が消えゆくこの世界に意味などなかった。
全てを投げ捨てて帝国から姿を消した。
そんな中でお前を見つけた。
あまりに純粋なお前を、高潔なお前を、危ういお前を何としてでも引き留めたかった。
いつかお前にとって死は容易いものとなることを恐れた。それだけ当時のお前は眩しく輝いて手を伸ばしただけで消えてしまう雪のようだったから…。
「頼む…。お前まで俺を置いていくな。アルティナ」
死んだように眠りにつくアルティナの手を握り、微かに動く心臓の鼓動だけを頼りに希望を持っていた。何度経験しようと一生慣れることはないその手が二度と熱を宿すことのない恐怖に縛られて…。




