迫る厳かな真実
・【エルネ視点】です。(※ 後半少しニーナ視点も含みます)
そして時計の長い針が半周程進んだ頃、ようやく待ち望んだ相手がドアの取っ手を引いて姿を現した。
「遅れて申し訳ございません。招待客の方々への対応が長引いてしまって」
ぺこりと小さく見本のように完璧なお辞儀をして向かいの席に座る聖女様。
私はその凛とした姿勢に一瞬正気に戻されたかのようで怖くなった。あの大勢の前では勇気を出せたことが、この対面ではどうしてかできなくなるみたいだ。
「此方こそ突然のお誘いに対して無礼を行ってしまいすみませんでした。…あ、その。お身体の方はもう大丈夫なんですか?」
「え?」
恐る恐る聞いてみた問いに聖女様は一体何のことだろうかと言うように首を傾げる。
「以前建国パーティーの際にお倒れになっていたので、心配していて」
「あぁ、なるほど。ご心配ありがとうございます。ですがオルカ大神官が伴についていてくださったので大丈夫ですよ」
顔の上層部分を隠すように付けられた仮面の下から伺えるあどけない笑顔がより一層私の嫉妬心を掻き立てることにきっと聖女様は気づいていらっしゃらない。
その純粋さがときに人を傷つけることを聖女様は知りはなさらないだろう。そしてそれがどれだけ、私を惨めにさせるのかも…。
「……、オルカ大神官と仲がよろしいのですね」
「あら、ふふっ。私にとってオルカ大神官は兄のような方ですからそう警戒なさらなくても大丈夫ですよ。幼い頃からよく面倒を見てもらっていたので成り行きで親しくなっただけです」
まるで全てを見透かしたような言葉に何かヒヤリとするものを感じる。
これはもしかして皮肉…? …いや。駄目よね、こんな思考。聖女様に限ってそんなことないわ。この御方がどれだけ心優しいか一番知ってるのは私じゃない。
「ぁ、…そうなんですね。あの、ごめんなさい。聖女様には返しても返しきれないほどの御恩があるというのにこんなこと…」
醜い嫉妬を抱いてしまったことへの罪悪感がズキズキと私の心を蝕んでいく。そんな痛みを誤魔化すかのように私があの日のことを告げると何故か聖女様の動作がピタリと止まった。
「御恩、ですか…?」
「は、はい。以前貴族の愛妾として売り飛ばされそうになっていた所を助けてくださいましたよね?」
あの時も今も似たような仮面を付けていたから実際の顔は分からなかったけどスラム街の子どもでも知っている聖女様以外に存在しないとされている純白の髪が全てを物語っている。
それに自らも聖女と名乗り帝国第一皇子であるイアニス殿下をお供にできる人は本物以外に存在しない。
だけどどうしてか…、聖女様はもっと困惑したような行動を見せた。
「私が、皇女殿下を? えっと、そうですね。ごめんなさい、以前倒れた時に記憶が混濁しているみたいで」
「そんな…!? それは本当にごめんなさい。聖女様のご体調も知らずに…」
聖女様の今の状態を知ってこれまでの違和感の正体が分かった。
建国パーティーで全大陸に広まった聖女様毒殺未遂事件。
実際に毒ではなかったとアルティナ教から後に公言されたがそれとは別に何らかの事情があったのだろう。それこそ後遺症として記憶を失っていても仕方がないのかも…。
「いえ、気になさらなくて大丈夫ですよ。最近視察や訪問で長らく睡眠も取れていませんから疲れが溜まってるだけなんです。それで、つかぬことをお聞きしますがその際に私は一人だったのですか?」
「我が国の第一皇子であるイアニス殿下がお傍についておりましたが、それがどうかしたんですか?」
記憶を失くしているのであればこのぐらい聞いてもなんともないことなのだろうけど、聖女様の一挙一動に何故か不審を覚えるのはどうしてだろうか。
まるで会話を交じわすごとに、完璧であったはずの聖女様が一つ一つ崩れていくかのように…。
崩壊が始まるようなカツン…とした小石の音が頭の中に響いたとき、ゾワリ…と身体の内側から身震いがした。決して触れてはならない深淵に手を伸ばし入れたかのように、ありもしない考えに私は急いで首を小さく横に振った。
だって聖女様は今此処にちゃんといらっしゃるじゃない。アルティナ教本拠地で堂々と職務を全うしていらしているし、他の神官の人達も誰一人として不自然な素振りはなかった。
自分の中で生じた小さな疑心を押さえつけるように色々と言葉を取り繕ってみるけど、やっぱりどうしても抑えつければ抑えつけるほど膨らんでいく矛盾に自分の中で繕いきれなくなっていたとき私はガタン…ッと席を立った。
本来であれば国を代表する皇族としてあるまじき行為であるもののここはあくまで密談用の部屋。
そして何より、目の前の存在がまるで聖女の皮を被った別人のようでその得体のしれなさに恐怖が耐えきれなかったのだ。
「皇女殿下…? どうなさいましたか?」
少しだけ困惑したような声色に、それとは相反した落ち着いた様子が一層気味の悪さを引き立てているようで声の裏でヒッ…と鳴った。
「す、すみませんっ…。私、陛下に別の用事を頼まれていたのを今思い出してしまいまして…」
「あら? そうなのですね。それはとても…、残念です」
その『残念』に一体どういった意味まで含まれているのか、聞き問いただすにはあまりに不気味で私はそれから最低限の礼儀の下お辞儀をして逃げるかのように部屋を出てしまった。
勿論陛下からの言伝など預かってはいない。
だけど私の本能に近い直感が叫んでいた。あの場にはこれ以上いては駄目だと。まるで知ってはならない何かに触れてしまっているようで、私はそのまま小走り部屋まで向かった。
部屋までつくとそこにはミリーネが明日に必要な参考文献などを整理してくれていて、私はミリーネを見つけた瞬間に迷わず駆け寄る。
最初は何があったのかと心配して聞きとだされたが私が震えていたことに気づいたのか、それからは何も言わずそっ…と抱きしめてくれてすぐに寝る準備ができるまでにしてくれた。
温かいココアも用意してくれて、本当にそれ以上は何も言われなかった。
今回聖女様に個人的に会いに行った独断行動はこれ以上してはならないとお小言は貰ったけど私自身もう二度とやろうとは思わないのだろう。
聖女様じゃない、聖女様の振りをした別の誰か…。
それも絶対的な自信を彼女は持っていた。それを裏付けるかのような大神殿内での活動。
孤児であった頃の自分では到底迫ってはいけない真実が近づくようで、その日は布団を握りしめて顔を覆って恐怖を払拭するかのように目をぎゅっと瞑った。
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まだ昼間の明るさに賑わう主会場とは裏腹に、窓一つないこの部屋では不自然な魔道具の明かりたった一人の存在をかき消している。
聖女の振りをした偽物は、カップに残った紅茶をすっかり冷えてしまったと元の位置へと戻す。その仕草はたとえ人の目がないとしても完璧以上のものだ。
そしてその自負すら持ち合わせるのか実力に基づいた自信さえ華々しく咲いて見える。
それも当然だろう。偽物が本物になることは容易ではない。対象の観察を注意深く凝らし、口調や些細な視線、マナー、姿勢、その全てにおいて本物以上でなければならないのだから。
だからこの偽物の聖女、ニーナには絶対的な自信があった。
かつては自身が最も憧憬の眼差しを向けていた存在への成り代わりは試用期間も十分にあった為に事情を知っている人間でさえもほとんど見分けがつかないまである。
過去とはいえ、一度恩を受けた人間が築き上げた立場を奪うことへの罪悪感などもはやニーナにはない。今彼女の心は絶対的な勝利に酔いしれているのだから。
奪ったなどという自覚すらないのだ。本来自分がいる立場へ戻ったという何処までも傲慢な考えが彼女の頭を占めている。
決して愚かなのではない。聖女としての役目もある程度卒なくこなし、民草にとっては【聖女】という存在がいるだけで中身などさして興味はないのもいい。
そう。ニーナの成り代わりは全て順調だった。だから彼女は自分が盤上の駒だとは思わない。むしろ自分こそが盤上を動かすプレイヤーであるとすら傲岸にも考えるのだ。
その傲慢さ故に、彼女はエルネの緊張を見逃さなかった。
自分の座をより万丈にするために、些細な亀裂すら許しがたい彼女の性格故に…。
ゴクリ……、
自身で新たに注いだ二杯目の紅茶を最後の一滴まで飲みきった後、もう一度第二皇女の急いでこの場を立ち去る様子を振り返る。
確か東欧の言葉に『好奇心は猫を殺す』というものがあると人づてに聞いたことがあったことを思い出して、少し困ったかのようなため息とともに左頬に手を置いた。
「エルネ・フォン・ラグナロク第二皇女。下手に勘が良すぎる分少し厄介かしら…」
ふふっ、と口が弧を描くかのように今日もまた聖女の仮面をつけた偽物は妖しく微笑む。
その星の見えない夜空はまるで全てに目をつむるかのごとく彼らの秘密もまた、夜が過ぎればかき消される程度の闇に過ぎないなのだから。
 




