不要の駒
・ 【オルカ視点】です。
「お久しぶりですね。オルカ大神官」
…今ここで聞こえるはずのない、何度この耳に聞きつけたのかも覚えていないほど懐かしい声。
しかしこの状況においては最も不快に感じるものであり、折角少しばかり治った機嫌も部屋を出た数分後に耳障りな声によって全てが台無しとなった。
自分と同様に対抗側の渡り廊下からガラクタ達を引き連れて歩いてきた、【聖女】。その言葉に遜色ないほどの振る舞いと出で立ちはまさに模造品のお手本さながらだろう。
「お久しぶりです、聖女様。ご体調のほどは如何ですか?」
神殿の中でも下級神官らによく目に付く渡り廊下であるため無視することもできず、適当な社交辞令だけを述べる。
決して不自然にはならないように、何年もそう取り繕ってきたせいか今では不快な程に仕草形一つシルティナと変わりない。
「ご心配ありがとうございます。魔物大騒動の後始末も落ち着いてきたとはいえ依然と続く民の混乱を鎮めるため奮闘している最中ですから、確かに根を詰めすぎているかもしれませんね」
何処となく儚げに、それでいて装いだけは凛としているものだから聖女の気品というものは上手に作り込んでいる。
いつも通りに身につけた仮面や頭を覆い隠すフードのせいで顔立ちは確認できないがたったそれだけで何も知らない人間は聖女を想い憂いた。
この聖女の真実を知る人間は神殿内でも極一部、それもトップレベルの国家秘密である。
その名もニーナ・クルフォード。愛しい聖女の後釜を継いだ偽物。そして、その愛しい女が生涯で唯一友人と心を開いた本人である。
クルフォードと言う性は目眩ましのために適当に与えたものであり、シルティナに拾われる前まではただの平凡な孤児であったニーナは数年前から俺の駒として使っている。
初めは少し面倒な手順を踏んだがそれでも使い用によっては便利な道具であるゆえに重宝していた。
しかし最近はというものどうも調子に乗り過ぎている。
「そうですか。ですがあまりご無理はなさらないように。聖女様のご健康こそ民の安寧に繋がるのですから」
「オルカ大神官の言う通りですね。聖女としてまだまだ果たすべき公務は数多くあるのですから先に健康を崩してしまっては元も子もありませんでした」
まるで誇らしげに語る女に、一層と頭が冷めていく。
この女の存在価値はまだあるがそれでいて絶対に殺してはいけない理由もない。目的の為に自分が縛られては意味がないのなら無理にこの苛立ちを収める必要もないのではないか?
「それで、何か他にご入用はございますか?」
「すみません。その…、この頃中々にお顔を拝見できないものですから少しお話を伺いたいと思っておりまして」
「…あぁ。聖女様直々のお申し出とあれば勿論構うことなど有りませんよ」
…話だと?
この一刻を争うような時に下らない用で呼び止めておいて、未だ聖女の仮面を被り続ける女にほとほと呆れた怒りが増していく。
そんな俺の苛立ちなど見知ったかのようにツラツラと言葉を並べる聖女。その内容はどれも似たようなことばかりだった。
「聖国建設以来未曾有の魔物大発生に民達の不安は決して軽視して良いものではありません。オルカ大神官のご苦労も重々承知していますが、もう少し聖都に顔を出しどうか民達を安心させてもらえませんでしょうか」
もっともらしい言葉に聖女を見つめる神官達の目は尊敬と憧憬に溢れている。
本来であれば、それはこんな偽物に向けられるものではない。ソレはもっと…、高潔な人間に向けられるべきものだ。
「聖国がこのような事態に陥ったからこそ各国との繋ぎが今は最重要事項だと考え働きかけております。ですのでどうか、聖女様にもそれをご了承して願いたいのです。何分、どこも人手不足で五体満足に働ける者も少ないので…」
最後の一言はこの女への警告だった。この非常事態にこんな場所で茶を濁している己の身を顧みろという最初で最後の啓発。
暗にこれ以上俺の邪魔をする前にさっさと消えろと伝えたのだが、果たしてこの空の脳みそに理解できるほどの知能があったかはまた別の話だな。
しかし存外に笑えないものだな。
民の為だの何だの綺麗事しか言わずわざわざ本来の仕事を放り投げてまで街に降りては救世主の真似事で関心を集めては聖騎士の仕事を無駄に増やすことしか脳のない女。
それが近頃のこの女の印象だった。
シルティナがまだ存在していたときにはこの女の価値を誤って認識していたが、よくよく考えてみればたった数日数週間の代理であれば神力だけでゴリ押しできる。
しかしそれが数ヶ月と続けば、元々のシルティナが聖女以外としても抱えていた仕事は全て回らなくなる。そもそも聖女一人に負担できる量ではもとからないのだ。
シルティナが自主的に行っていた諸外国との交易やそれに関わるもてなし、聖国全ての孤児院の支援金及び設備管理、神殿内部の人材育成及び配備。
他にも細かいものを上げれば切りが無いが本来ただ象徴的な存在として儀式や奉納、民への治癒以外することのない歴代の聖女と違い自らを追い詰める勢いで仕事に勤しんでいた。
そのおかげで聖国の安寧はより強固なものとなり、基盤は数十年前と比べて遥かに安定した。
諸外国との積極的な交易のお陰で国民はもう自国の食料供給率を心配する必要はなくなり、良質な教育を受けて育った孤児達はその恩を返すべく多種多様な才能を生かし様々な方法で国へと貢献している。
その中には他国の諜報など俺の道具として優秀に育った者も少なからずおり、引き抜きの際には少し手間が掛かるものの質の良い調達所としても重宝している場所だ。
さらに神殿の人材配置は最も慎重にならなければならないもので、この小さな箱庭の中でも行われるくだらない派閥を見据えて役職を与えなければならずそこに不平不満も残さないなんてことまず不可能だ。
だがそれを最小に抑え、神殿という組織を稼働する上で最も効率的にプログラムしたのがシルティナという人間だった。
数百、数千といる神官達の情報を掻き集め、何か問題があれば夜中であろうと迅速に解決に勤しんだ。
まるで完璧な設計図から外れることは許さないとばかりに、常に〈完璧な善〉だけをシルティナは求めていた。
その姿かたちはもはや慈愛や献身を象徴する聖女などではなく、人間を個として識別する神そのものだったのではないだろうか。
シルティナの姿を見る度に、何度足の甲に口吻し跪きたい気分に襲われたことか。今ではそれすらも懐かしい過去のものだ。
「ところでオルカ大神官。そちらの神官の方の頬がどうやら赤く腫れているようですが、私が癒やして差し上げても宜しいでしょうか?」
「…あぁ、勿論です。聖女様の祝福のこもった治癒を受けることのできるとは。きっと彼も感激に打ち震えていることでしょう」
最大限この女から意識を逸らす思考に切り替えていた所を、唐突の話の鞍替えに違和感を覚えるもののその意図が分かればなんてことのないものだった。
俺のすぐ後ろに並ぶハイトを見つめては微笑みを絶やさない女。
おそらく最近低迷しつつある【聖女】としての威光を対外的に見せつけるためのパフォーマンスだろう。
どうせならば顔の骨ごと折ってやっても良かった気もしなくはないが、ここでこの女の聖女としての信憑性を上げるには体の良い駒だ。
ハイトは長年シルティナの世話付き神官としてやってきたからか存外偽物として成り済ますニーナを嫌悪しているようだからな。
そんな女に慈悲を施されることを許容するのは中々な罰になるだろう。
一瞬ハイトが此方に目線をよこしたがすぐに諦めたのか聖女の前まで歩き軽く頭を下げた。そうでもしなければかなりの身長差があるせいで酷く腫れた頬まで手が届かないためだろう。
聖女に扮した偽物はにこりと微笑み、自慢のその神力で触れた瞬間に腫れを癒やす。
通常の神力量では触れて数秒祈るように言葉を唱えなければならないため一生涯上の世界を知ることのない者からすればある一種の奇跡に近い。
だがそれ以上の境地を見慣れた者からしてみれば、単なる稚拙なままごとだ。
こんなもので一層湧き立つ単純な世界というのは、本当にツマラナイ。
始めから持つ者と持たざる者。その何方もお互いを相知ることはできない。それがこの世の理なのだから。
だから必然と求めてしまう。自分と同じ目線で世界を見つめる者を…、自分と真に対等と思える者を。それこそ己が望む〈人間〉の形であり、欠けた心を満たす唯一だった。
産まれた時からそうだ。
俺にとって世界はどれも同じだった。どれも等しく、どれも無価値。
流れる時間が他とは違い、全てがトロく愚鈍に見え仕方がなかった。
最悪なのはそれに苛立ちを感じる無駄な感情であり、いっそ感情ごと消してしまえればと何度思ったことか。
だけどそんな時に、シルティナと出会った。
それからはシルティナが俺の世界の全てになった。喜びも、慈しみも、愛情も、全てシルティナから学んだものだ。
ようやく出会えた、同じ人間。
だからだろうか、シルティナのいなくなった世界は全てが色褪せて酷く退屈で、窮屈で、ぐちゃぐちゃに壊してしまいたい衝動に駆られるのは。
あの日からまともに眠れた日なんて一度もない。連日酷使した肉体が悲鳴を上げようと、一度手にしたあの安らぎに勝るものは何処にもなかった。
まだ陽は高く昇り、雲一つない晴天の空が強く光をらなっている。
そんな青空を見上げようにも、あまりに強すぎる光が今の俺を消してしまうような気がした。
シルティナの偽物として成り代わった聖女をちょっと書き足したかっただけなのにオルカの視点にしたせいで訳が分からなくなった結果です!
マジで没にしようか小一時間悩みました…。(*´ω`*)
でもこれ書き上げるのに一週間掛かったんだよぉ(泣)。




