社交界の役割
ギシッ…、ギシッ
大人二人が寝ても余裕で寝れる程大きなベッドが軋むような音を鳴らして夜に揺れる。
しかしベッドに背をついているのは一人だけで、もう一人の男はまだ幼い少女をベッドに縫い留めて微かな興奮を確かに顔にしていた。
「ぁ゛…、iぁあ゛゛゛gt…、ぁu゛g」
犯され、殺され、もうほとほと声も枯れ切った私の首をさらに締めるイアニス。
ナカも強引に荒らされ、それでもなお快感を拾うこの身体でさえ許容できない苦痛と悲しみ。限界を迎えた心は、静かに崩れ散っていくのを見届けるだけだった。
まだ十五歳という未発達の身体はより一層幼く映り、ベッドに乱れた髪が痛々しく咲き誇っている。
「…tぐ、ぁx……。ッガg…?! ぁ、ぐt…」
悲鳴や助けを叫ぶことはもう泣くとも、呻き声だけは変わらずに喉の奥から搾り取られる。
苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいくるしいくるしいくるしい……。
腫れた目からまた零れ落ちる涙が染みて視界がぼやける。朧気な意識から確かに感じる苦しみだけは本物で、後は全部まやかしだ。
脳に酸素が行き渡らず爆発しそうな圧力を頭にねじ込まれても、ギリギリと音の鳴るほど首をへし曲げられても、こんなの現実じゃない。現実なんかじゃ…、
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…あぁあ、嫌なことを思い出してしまった。
ふとして蘇った古い過去の残像から視界がもとに戻って、一番最初に吐いたのはやはりため息だった。
大して意味もない、無感動で無情状的な過去の亡霊。それに感化された私の手がカタカタと震えているのを見ては呆れたような笑みをこぼすのだ。
「お嬢様…?」
「ううん。何でもないよ。大丈夫、話を続けよっか」
「アルティナ」
「ん…?」
名前を呼ばれた方に顔を向けると、おじさんの手が私の震える手に重なった。
手の大きさの違いかおじさんの手にすっぽりとおさまった私の手は「重ねる」という表現は言いえて妙だろう。
そしてそんなおじさんに私は気づかれっちゃったなぁ…って落ち込む反面分け与えてくれる温もりに甘えてしまうのも事実だ。
「そんな顔しないで。ごめんね、痩せ我慢しちゃった」
「…何を思い出したんだ?」
「うーん…、イアニスのこと。もう治ったと思ってたけど、全然駄目だね。まだ過去を完全に精算できたわけじゃないみたい」
小刻みに震えていた手がまるでリズムを取るかのようにゆっくりと落ち着いていき、跳ねた心臓も息を取り戻した。
前までは痛いぐらいの鼓動を抱えて平然といつもの態度を守ってきたけど、もうここでは隠さなくて良いのだと思うと余計に胸が温かくなる。
私はもう私の心に嘘をつかなくて良いのだと、素直になることがこんなにも満たされるなんて今になってようやく知ったのだから…。
「…イアニスはね、最初から他の二人と何処か違ってたの。勿論良い意味とかじゃないよ? ただ、何て言うんだろうな。理由が分からなかった。少なくとも他の二人には明確にある、私に執着する理由。何か理由があって、それがどれだけ理不尽なものであっても理由があるだけマシなんだけろうけどそれすらないから私もどうすればいいのか分からなかったや」
ポツポツと過去のことを一つずつ話していくごとに、今の状況をより冷静に考えることができた。
やっぱり、特に今一番警戒しなければならないのは他の誰でもないイアニスだ。
オルカやラクロスとは違いイアニスはもう私がここにいることをほぼ確信している。あの二人の情報網を持ってしても手がかり一つないのなら、残る可能性は限られるから。
イアニスなら簡単にその思考に辿り着いてしまうだろう。過信も卑屈もしないどこまでも合理性を重視する人間は舐めてかかれるほどそう簡単な相手じゃない。
たぶん、今イアニス達は三竦みの状態にある。
全員が全員を疑い監視体制を張ってるものだからイアニスもそう簡単には動けないはずだ。
それもあとどのくらい続けられるのかは希望的観測に過ぎないけど、少なくとも私がこの子を産み終えて育て上げるまで待ってくれるなんてわけはない。確実に準備を立てて策を講じてくるだろう。
正直、あの男が何を考えているのかなんて私が一番分からない。
愛とはまた違うような、でもどこか狂気的で異常なほどの加虐が一体どんな心理からくるものか私が理解できる日なんて一生やって来ないのだろうけどあの男の心理が分からない以上どう対策を打てばいいのかもあやふやなのだ。
下手に策を講じて火に油を注ぐ結果となれば、それが上々であっても自滅の覚悟で攻められれば為す術は切れるカードの枚数が心もとない。
だから手札を増やす。それが私の出した、この問いに関して明瞭かつ単純な答えだ。
「イアニスだけはもう私の居場所もある程度見当がついてる。あとはどれぐらい他の二人を警戒して動くのが遅れるかだけ。そしたらまず真っ先に詰められるのはおじさんでしょ?」
「俺とアルティナの関係性を知っているなら、それでいて直接的接触ができないとすればそうだな」
流石おじさん。頭の回転が早くてその考えも正確だ。細かなことを言わずとも短い言葉で全てを理解してくれる。
「この場所がどこかはまだ分かってないけど皇宮の一部と言ってもまた違うんだよね? そしたらこの空間にいる限り私は安全だろうけど、無理やり攻め開けられるかおじさんを通した間接的介入になる」
今私が住んでいる屋敷(?)はおじさんとユディットとユス卿以外に誰かいる気配はなかった。
どれだけ離れた邸宅であってもそれぞれ管理する使用人達が存在するし庭のあの広さだって私が【アルティナの真珠】で記憶している限りの皇宮にはなかったからたぶん此処は皇族、それも限られた人間だけが立ち入ることを許された別の空間なのだろう。
「私の弱点がおじさんってことも知ってるからなおさら、目的のためなら本当に手段を選ばないから仕事のボイコットでもするかおじさん自身が戦場に向かわなければならないようにするか。方法なら何百通りもあるよ」
陣営だけで見れば、言わずもがな私達の最高戦力はおじさんだ。権力、知略、魔法、武力、全てにおいて敵う者はいないのだから。
そんな心強い味方がいる、それは裏を返せばおじさんを失くせばこの均衡も一気に崩れ果てるということだ。
たとえ殺すことはできずとも、何かしら動きを制限させることはできる。あの獣たちとは違い全うな立場にあるからこそそういった制約は余計に作りやすい。
「今はただ興味がないから皇位継承争いにもさほど干渉してないみたいだけど、きっとこれから本格的に動き出す。そしたら当然他の三人は太刀打ちできないわけで、雑に食い荒らされてまとめられて終わっちゃう。それを防ぐためにも政治的な立場から見た厄介者が必要ってわけ」
ユディットやユス卿もすぐに私の意図を理解したみたいだけど、それでも苦々しい顔付きが変わらないのは私を心配してかな。だってこの作戦は、…私が彼らと直接相対することが前提条件だから。
皇女になるということは、その血筋を引かない養女であったとしても必ず【皇族の儀】を受けなければならない。それを行わない限り正式な皇族として認められないのが習わしだった。
この過程で当然神殿とは関わりを持ってしまうし、皇族になるのだからイアニスと顔を合わせることも珍しくはないだろう。ラクロスは私が姿を表した時点でそんな建前も意味なく接触を図ってくるだろうし、私の身を案じているのだ。
その愛情に基づいた不安が、今は凄く嬉しい。
私を本当に想うその心が、欠けて削れた私の心に温かく染み込んでいくから。…だけど、
「皇位には程遠いけど警戒するに越したことはない人物。それも賢くなく、今ある相互関係を崩さないような後見も確かな人間って言ったら無能な皇女辺りが一番いいんだよ。そういうわけで私は【我が儘皇女】になるって決めたの」
…ごめんね。おじさん達が私を心配してくれる、でもそれ以上に私の意志は堅いの。
本当はずっとずっと怖い。怖くて逃げ出してこのまま何事もないように、目を瞑ったまま幸せの幻想に溺れていたい。
でもね、それでもやらなきゃいけないの。このままおんぶに抱っこで何もしないまま過去を置き去りにしたまま前になんて進めないから。堂々と明日に怯えない日々を送りたいから。
「ひとまずこの子を無事に産むのが先だから、丁度三ヶ月後ぐらいの建国パーティーがいいんじゃないかな。その間に私の存在を噂させておけば嫌でも関心は集まるはずだから」
「お前にそんな汚れ役をさせるつもりはない」
「汚れ役なんかじゃないよ。その方が私にとっても自由にできるし、今までずぅっといい子だったんだから少しは我が儘の方がいいじゃない? それにおじさんだって、そんな私を嫌いになったりはしないでしょ?」
「誰がそんなことをするか。お前がお前である限り、俺の命を賭けて守り抜くと誓ったというのに」
「それじゃあずっと甘やかしてよ…。私もおじさんが全てなんだから、おじさんもただそれだけでいいでしょ? そうやって難しく考える必要なんてないよ。どうせ、決着はいつの間にかついてるんだからさ」
私が負けるか、あの獣たちが勝つか。
勝負に過程は存在しない。明確な勝ち負けだけが最後には残る。今こうして難しく考えて悩んだところで、その内にきっとこの首は刈り取られてしまっているだろう。
だから難しいことは今は考えないでいい。必要なのはこの心が満タンになる程の愛情と、ほんの少しの勇気だけ。
走り方なんて知らないし、戦い方も分からない。それでもがむしゃらにしていれば、なるようにはなる。
自分でも馬鹿みたいだとは思うが、案外それが幸せに生きる一番の近道なのかもしれない。
天才と称賛され苦悩する人間より間抜けだと揶揄されても意味を理解せず気ままに生きる人間の方がよっぽど幸せなのと考え方は同じだ。
「…一度だけだ。今回だけ許すから、だからもう二度と俺達を心配させるようなことは言わないと約束てくれ」
「うん。約束」
小指で指切りをする動作を見せると指切りが分からなかったのか少し固まるおじさん。可愛すぎるっ゙…!
さて、ひとまず無事(?)おじさんの許可も取れたことだし、早速社交界デビューに向けて色々情報を集めとかないと!
前世で少し憧れてた昼ドラ並みの泥沼の女の花園、聖女時代では絶対にできなかったあんなことやこんなことも…。
妄想に馳せてちょっぴり目が輝いてしまったけど、いけないいけない。これでは夜中に獲物を狙うハヤブサである。そんな肉食系女子になるつもりはサラサラ…、いや結構いいかも?
まっ、まぁとにかく戦乱の昼ドラ社交界、いっちょ掻き乱してやるぞー! えいえいお〜っ!