生きる為に…
私のお腹の中に新たな生命が誕生していることをユディットとユス卿に伝えてから、それはもう大変だった。
ユディットは妊娠の事実に相手を家畜の餌にすると理性が切れて、ユス卿も同様に暴走したユディットを止めるどころか同調する始末。
「二人とも、一旦落ち着いて」
「いえ、なりませんお嬢様! 絶対にそのクズを見つけて血祭りにした挙げ句内蔵をバラ撒かなければ到底この気がッ」
「ユディットの言う通りです。皇女様にそのような屈辱を与えたクズがのうのうと生きているなど腸が蒸し返ろうと気が済みません」
お、おぉう…。
ユディットは何となく慣れてきたから大丈夫なんだけどユス卿がこんなに喋るなんて珍しくてつい感心してしまった。いかんいかん。
「…二人は、この子の誕生を祝ってはくれないの?」
私の言葉にハッとした表情になる二人。ちょっと同情を煽った感はあるけどこの二人相手ではそれぐらいが丁度良いだろう。
「い、いえッ! 違います! 決してお嬢様の妊娠を喜んでいないわけではっ」
「皇女様のお子様のご懐妊は、この世の何よりも尊いことです」
「それじゃあこの話はお終い。お医者様が言うことには今が八週目ぐらいだそうから、産まれるまで後三ヶ月ちょっとだと思う」
私も驚いたことだが、なんとこの世界妊娠五ヶ月から六ヶ月の間に産まれるのが普通なんだそう。
なんでも魔力と神力の多い人間ほど早産になりやすく、何方も併せ持つ私はおおよそ五ヶ月程という計算になる。
いやぁ…、ちょっとビビったよね。
だって私の想像だとちょっとずつお腹が膨れるものだと思っていたら妊娠三ヶ月目にして早くも目に見えての変化が一日で出るって言うんだもん。
前の世界の常識がまだ下手に残ってるせいで違和感はあるけど受け入れる他にはないし、早産だったとしても体重とかは普通の胎児と変わらないから母体の負担は大きくなるそう。
だから魔力を特異量持つ子どもの母親の死亡は著しく高いっては聞いたけど、ほんとそういう話はおじさんのいないところでしてほしかったよね。
あれからより一層過保護になっちゃったし、仕事も必要最低限しかしていないみたいで城で働く人達にはドンマイとだけ送っておこう。
しかし全てが順調というわけでもなくここで問題が一つ。
おじさんから外の情報を得る内に聖都の様子が明らかになった。そしてその近況は、私にとって決して喜ばしくないものでもある。
既に魔物大発生は終結を迎え、瓦解した建物の復興に他国の支援も相まって予想よりも早く事が進んでいること。
正直言って聖国の影響力を甘く見過ぎていた。
たかが聖女一人が使い物にならなくなったところで、まだ助力を惜しまない国など五万といる。
きっと彼らは聖国が滅びる寸前までその利益を天秤にかけては裏で支援を送り続けるだろう。
その国のほとんどは私と面識のある者達なのだろうが、今では忌々しいことこの上ないや。これでは全く嫌がらせにならないではないか。
むすっ…と口をとがらせてすねてみればその姿をいつの間にか来ていたおじさんに見られていたのか口を抑えて笑われた。なんて酷いっ!
「もうっ、笑わないでよ!」
「…っ、はは。あぁ、すまないすまない。あまりに可愛かったものだからな」
「むぅう…、顔がズルい」
何を言っても格好良くしてしまうあの顔は本当に反則だと思う。
「それで、何をそんなにむすくれてたんだ?」
「…別にぃ、何でもないもん」
「そうか? なら当ててやる。聖都の件だろう」
「おじさん最初から知ってたでしょ?」
「いや? ちゃんと考えて当てたんだ」
キラキラな余裕綽々とした笑顔で颯爽と嘘を吐くおじさんに嫌味よりむしろ好感が持ててしまうのだからきっとそういう類の才能だろう。
「…折角置いてきたお土産がろくに喜ばれずに片付かれちゃったから、どうしよかなって悩んでるけどおじさんはどうしたら良いと思う?」
「そんなの礼儀も知らない輩にお灸を据えてやればいいだろう」
「ん〜…、まぁそうなんだけど。ちょっと状況が変わってね」
魔物大発生が片付けば、オルカ達は本格的に私の捜索を始めるだろう。
唯一おじさんのことを知るイアニスは今現在聖都に派遣されている状態で帰還するとの報告も聞いたし、消去法で私が帝国にいると情報が割れるのも時間の問題だ。
そうなれば私が彼らと対抗する術などほとんどと言っていいほどない。
見つかればまず間違いなく、全面戦争だ。おじさんは絶対に私を譲らないし、あの獣達はたとえ死体でも手に入れようとするのだから。
おじさんの立場上、一緒に逃げることは簡単じゃない。
おじさんは構わないと言ってくれたし、逃げること事態はいつでもできるけどそれを実行するのとではまた話が違うのだ。
それに後々のことを考えれば今それを実行するのは得策じゃないし、どうせなら少しでも可能性のある方に賭けたほうがよっぽど現実的だろう。
「ユディットとユス卿もこっちに来て。…折角だから、色々話しておこうと思って」
お茶菓子を置いたテーブルをソファで囲んで、空いている席にユディットとユス卿を座らせる。
これからのことを話す上で、過去は切っても切り離せない。
もうあまり夢で思い出すことも減ったとはいえ、まだ確かにあの恐怖は根本的な所に残っている。
そんな思いを残したまま、ふいに目線を前に向けた。するとどういう事か、ふっ…と心が軽くなった。
皆の存在があまりに強くて、一人じゃないって思いませたから…。もう大丈夫だ。
「まずね、これからのことなんだけど…。社交界に出ようと思うの、私」
「アルティナ、それは駄目だ」
社交界と聞いてやっぱり一番最初に反対の言葉が上がったのはおじさんで、予想と違いユディットやユス卿からも反対の声が上がった。
ユディットなら社交界と聞いて喜ぶかと思ったけど私の安全が第一なんだそう。…思いの外可愛い理由でちょっと嬉しい。
ユス卿は私の意志を全部肯定してくれるかと思ったらこっちもどうやら安全上の理由で断固反対のオーラがバチバリと伝わってくる。無表情なのにこの圧は何なのだろう???
そして一番の難関は何と言ってもおじさんである。こちらはもう説得の余地すら与えてくれないと言うか、下手をすれば一生外には出してくれなさそうだ。
「反対する理由も分かってるから、一度だけ私の話も聞いて。それでも駄目だったらまた別の方法を探すし、…ね?」
「…話を聞くだけだ。ただでさえ体調も回復していないのにそんな無理は許さない」
おじさんが反対する一番の理由は私の心配。それさえ解決すれば良い話だ。
「う〜ん…、どこから話そっか。まず聖都で未曾有の魔物大発生が起こって大陸中の国家が震撼したのは皆知ってるよね?」
世界各国の中でも絶対的安全地帯ともはや創立当初から強く認識されてきた聖都の魔物大発生。
それも友好国からの援軍が来るまでに数多くの死傷者を出した、今後歴史的に語り継がれるであろう大事件だ。
三人が軽く頷いたのを確認して、私は一つ呼吸を置いた後に口を開いた。
「あの魔物大発生を引き起こしたの、私なの」
おじさんはある程度予測していたのかあまり明らかな反応は見られないけど、ユディット達を見ていても何故かそこまで大げさな反応はない。
あっても「あぁ、なるほど」と軽く納得するぐらいだ。あれ? 皆もしかして知ってたの?
「えぇっと…、もしかして皆知ってた?」
「まぁ聖女という時点で何かしら関連性は疑ってはいたからな」
「私はたとえお嬢様が過去に何をされていようと全く構いませんから」
「…………」
ユス卿だけ何も喋らないけどおそらくユディットと同じ意見なことだけは雰囲気でおおよそ分かった。
なるほどなるほど…。ちょっと皆盲目過ぎない?! もうちょっとなんか反応しようよ⁉!
結構頑張って言った割には皆気にしていない様子でちょっと悔しい気持ちはあれどとにかく話を続けようと気持ちを切り替える。
「さぁここで問題です。私を捕まえようと躍起になっている人達は皆聖都で魔物大発生の討伐にあたっています。それが解決した後まず真っ先にやることと言ったら?」
「はい!」
「真っ直ぐ手を上げてくれたユディット!」
「お嬢様の捜索及び誘拐です!」
「ピンポーン。大当たり〜‼」
下手な茶番は続けど言いたかったことはまさにこれだ。
私が予想したよりもずっと早く終結してしまった魔物大発生。元々適当な足止めぐらいにしか考えていなかったけど、今の状況下ではそう悠長なことも言っていられない。
「まず間違いなく奴らは私を探しに来る。厄介なのは三人全員が私の居場所を突き止めるだけの戦力を持ってるってこと。その内の一人は私とおじさんの仲まで知ってるから余計にもう居場所は割れてると思う」
「それでもお嬢様が表に出て戦う必要はないはずです。此方には皇帝陛下が…」
ユディットの言い分に途中言葉を遮る形で首を横にふるふると降る。それでは駄目なのだ。
「三人の内の一人は神殿の次期教皇候補、もう一人は裏社会のトップ、最期の一人に至ってはこの帝国の第二皇子。いくら単騎での勝負に余裕はあっても、まとめて掛かってこられたらおじさんでも勝つか可能性は分からない」
「私でも一度は聞いたことがありそうな面々ですね」
「…アルティナ。今、帝国の第二皇子と言ったのか?」
「うん。私を虐めた最期の一人は、イアニス・フォン・ラグナロク。この帝国の第二皇子」
「…そうか。あいつか」
わざとおちゃらけたように言ったけど、これは失敗したかも。おじさんの表情は変わらずとも持っていたカップに何故にヒビが入り始めよく見れば手には血管が浮いている。
まぁおじさんなりにあれから色々と手を回してくれたんだろうけど、とんだ身近に元凶がいたと分かれば憤るのも無理ないけどさぁ…。
「はいはい。一旦ストーップ。落ち着いて、おじさん」
おじさんの手からティーカップを取ってテーブルに置き、怒りで血が滲むまで握りしめた拳に手を添える。その手の隙に少しでも入り込めればおじさんは自然に力を緩めるから…。
「あの男、俺の前では白々しい顔をしてよくも…」
「だから駄目だってば。いい? 私が今からするのは、何方かが死ぬまで続く全面戦争。どうせ私達はいつか相対することになるんだから、仕掛けられる前に動く。それだけ」
本当は逃げようとしていた私が今更言えることでもないんだろうけど、考えて考えて、考えた結果この選択を選んだのだ。
前みたいに一分一秒の呼吸に息苦しさなんてなくて、ゆっくりと息を吐いて考える時間は十分にあった。
これからどう生きていくか。どう生きていきたいか。そう思ったとき、やっぱり逃げた先の幸せがどうしても見つからなかったから…。
逃げた後のたった数瞬は幾ら幸せを感じたとしても、すぐに激動に呑み込まれて瓦解する夢幻だと知っていてそれを選ぶ覚悟は私にはなかった。
生きる為には結局、戦うしか道はないのだ。
諦めた。…溺れた。
目を閉じた。…壊された。
委ねた。…狂わされた。
過去の私が全部間違っていたなんて思わない。だけどそれと同時に、今ならできる気がした。初めて『生きる為に』抗うこと。戦うこと。立ち向かうこと。
ううん…。きっとできる。やって見せる。もう私は、二度と大事なものを奪わせたりなんかしない。
私の手で、守るの…。
きっとその為に、この呪いのような終わりなき命があるのだから。