残酷な真実
・ 【皇帝】視点です。
時系列が少し異なります。
その日のことを振り返れば有り得ないほど不思議だった。
暗雲とした空が立ち込め確実な未来で降る大雨に気分も一層鬱蒼気になっていたはずなのに、まるで見えない何かに突き動かされるが如くその足を城下街に向けた。
なぜか今町に降りなければ永遠に何かを失ってしまいそうな気がして外に出たのだ。街は何かの祭日だったのか屋台が並び、もうすぐ雨も降るというのに賑わいを持っていた。
そんな騒がしい街の様子を横目に、ただ目的もなくひたすらに歩く。ポツポツと小雨が降ってくるが、それでも何処かに向かってひたすらに歩いていた。
自分の行動が理解できないのは今に始まったことではない。最近は特に意志の反映がない行動が多々あったためあまり疑問に思うことではなかった。
…そして出会った。
土砂降りとなった大雨の中、雨宿りのできる建物の中に入っていく者達とは対象的にただ一人気にする素振りもなく激しい雨に打たれている存在。
それは、幼き姿形のあの子の姿をそっくりそのまま成長させたかのような姿をしていた。彼女も此方に気づき、表情が変わった。
だがそれは再会を喜ぶような生易しいものじゃない。本当に、傷ついたような顔だった。会いたくなかったと言わんばかりの、怯えたような顔。
何が彼女をそこまで傷つけたのかは分からない。しかし次の瞬間、表情はガラリと変わりふっ…とやわらぎに包まれや泣きそうな顔になる。
俺は全身を磔にされたが如く動かせず、そして彼女は一言俺に向けて言い放った。
『おそいよ、おじさん』
全てが詰め込まれた言葉だった。責める訳でもなく、後悔する訳でもなく、素直に本心からの言葉だった。だからこそ俺には一番重く伸し掛かるような言葉だった。
緊張がとけたかのようにその場に倒れ落ちそうになった彼女を反射的に支え、抱える。水気を含んだ厚手のローブを着ているとは思えないほど軽い身体。
よく見れば目元にはクマが重なり、頬は血色をなくしている。敵国から捉えた捕虜でもこんな酷い状態にはならなかった。
今まで探し出すことのできなかった自分の無力さを痛感し、その場で強く彼女を抱きしめる。あの別れからきっと筆舌にし尽くしがたい思いをしたのだろう。
何度も助けを求め、その度に何度も絶望したのだろう。その間にこの小さな身体を守ってくれる大人がいたのだろうか。
数秒抱き抱え黙り込んだ後、これ以上雨に打たれないようしっかり手持ちのローブで身体を巻いて転移魔法で城まで戻る。
基本ソファで眠りにつく為滅多に使うことのないベッドへと運び、浄化魔法であらかたの水分は拭き取り寝かしたがそれでも冷たくなった身体は簡単には熱を取り戻さない。
布団を何重にも重ねれば苦しいのかうめき声が伝わり、弱った身体に直接身体に影響のある魔法を使うためにもいかないため医者が来るまでは手を握って少しでも熱を渡した。
気が急いでいたせいか皇宮の俺の部屋に連れてきてしまったから今日の夜にはもう噂が広まっているだろう。そしてもし彼女を連れ戻そうとする人間の耳にでも入ったら本末転倒も良いところだ。
急いで医者に見せた後誰も目につくことのできないあの宮殿に運ばなければならない。あそこなら転移魔法陣を張っておいたから行き来も楽で完璧に外界からも隔離できるだろう。
今後のことを考え色々思考を巡らせていると、扉をノックする音とともに皇宮主治医が到着したとの報告が入る。
「陛下、緊急にお呼びだとお伺いいたしましたが…」
「…ぁあ、ティオニス・ニューティクルト。患者は此方だ」
必ず一人で入室するよう言付けた後で、彼女を診せる。
皇宮主治医の中でも名医と名高いティオニスは今年で六十を超えるがそれでも歴代で見ると若い方だ。
実力も申し分ないが、何よりその名を高めたのは奴のある特殊な才能からだった。
過去に負った傷や神術や魔法で治した傷すらも見ることのできる観察眼。本人が気づかない内部の傷も見ることが出来るためその力は重宝されてきた。
そして長年に渡って皇族にい仕えてきたせいか突然彼女を見せても何一つ疑問を口に出すことなく命令したことだけを的確に行っていく。
「お身体に触れても?」
「最低限の接触で済ませろ。手先だけだ」
たとえ意識を失っているとはいえ、無断で身体を触らせるのは医師であろうと許しがたいことだろう。そう思って最低限の触れる許可だけを出し、診断を待つ。
しかしいつまで経ってもティオニスは彼女の手を離すことなく、徐々に険しい表情へと変わっていく。
すると今度は席を立って少し離れたところで見守っていた俺の方へ向き直り、珍しく命令以外のことで口を開いた。
「僭越ながら、陛下はこの御仁とどういったご関係でありましょうか」
「なに…?」
「お答え次第では、…治療はできかねません」
ハッ…、治療ができないだと?
ふざけたことを抜かすこの男をどう殺してやろうかと一瞬頭によぎるが、少なくとも帝国内で最も腕の立つ医者だ。頭を冷やすことに全力を使いながら、息をゆっくり吐く。
「…理由を言え。まだ胴と首が繋がっていたければな」
「ではお聞きしましょう。一体どのような大罪人を連れ帰ってこられあのですか」
奴の言葉が言い終わる寸前、剣が医者の首筋にプツリと触れる。その剣心の先を後数mm押し込めえば大動脈を掻っ切り即死させることもできる。
「どうやら自惚れが過ぎたようだな、ティオ二ス。まさか俺が本気でお前を殺さないとでも思ったか?」
「陛下も御存知の通り、私には触れた患者が今までどのような怪我をし、神力で治された箇所でさえ見通すことができます。それでも人間が耐えうることのできる限界は決まっており、以前派遣された戦場で最も勇敢に戦っていた騎士でさえせいぜい致命傷になるような傷が一つ2つほどでしょう。ですがこの御方は、まるでないのです。治されていないところなど、一つも…」
何か恐ろしいモノを見るような、不憫な目線を彼女に向けるティオ二ス。皇帝の就任時から側に仕えている家臣だからか、その言葉に偽りが含まれているとは到底思えなかい。
が、そんな事実をどう認めればいいのか。認めてしまえば、俺の中の何かが全て崩れ落ちていく気がした。
「そんなことが現実的に可能なワケがない」
「いいえ。負傷させると同時に神力で治すのなら理論的には可能です。しかしそれをするにはあまりに巨大な神力の浪費が必要であり、拷問をされるにしても最も古い傷で10年は経っています」
待てと息を吐く暇もなく、ティオニスは俺の気など知る由もないのか残虐な真実を告げ続ける。
「特に首は何度か折られています。手足も残虐なやり方で綺麗に折られていたりわざと汚い折り方もされています。四肢は何度か焼かれたのでしょう。爪も剥がされています。暴力的に殴られたあざもあれば、喉は何度か潰れています。肺は特に損傷が激しく、血を抜かれたような跡が多数に渡ってあれば、その傷跡を消すかのように自傷の跡も大きくあります」
ティオニスの話の横で、まるで死んだような眠りに深くつく彼女はもう二度と目が冷めないのではないかと思えてしまうぐらい冷たくなっているような気がした。
あの小さく脆い身体で、そんな残虐な所業にどうやってまともでいられようか。
あの日、俺が手を取らなかったばっかりに、無理にでも引き止めてやれなかったばっかりに…、
「それに…、どうやって十五の子供が耐えれると言うのだ」
「それは、想像にかたくありませんが、一つ言えるのはこの方の寿命が残り少ないということです」
「どういうことだッ?!」
寿命が残り少ないだと? ふざけるな。ようやく探し見つけたんだ。これ以上彼女と離れるなんて考えられない…。
「先ほども申し上げた通り、人には誰しも限界があるのです。神でもない限り、決して超えることのできない限界が。近年神力の効力についての研究が進み分かったことなのですが、神力とは人間の細胞組織の回復を早めるだけで、見せかけの再生とでも申し上げましょうか。なので何度も何度も消費サイクルを行えば、いずれは細胞は老化し崩壊してしまうのです。そしてこの御方は、あまりの果てしないサイクルの果てに身体が限界を迎えています。既に吐血の症状は出ていらしているのでしょう。」
「何年だ…。何年持つ⁉!」
胸ぐらを掴む勢いでティオニスに詰め寄れば、苦渋に満ちた顔持ちで言葉を発する。
「希望を持っても、残り五年。方法を使えば、延命は可能ですが…」
「その方法は⁉!」
「代償が必要なのです。陛下の命を削るほどの…」
「やれ。今すぐ」
「いくら皇族の身体であろうと寿命が大きく削れるのですよ?!」
「それがなんだ。この幼い子どもが耐え抜いたことを、痛みもともわないことを俺ができないとでも」
「…いえ。ですが何分禁術ですので時間は必要です」
「最短でどれくらい掛かる」
「…三週間程かと」
「一週間だ。一週間で全て取り揃えろ。でなければお前の首を城門に晒してやる」
「…っ最善を尽くします」
その言葉を言い残して部屋を出たティオニスに目線をやることもなく、俺は彼女の眠る横でそっと手を握り祈るように頭を下げる。
…何故だ。何故お前だけが、この世の何よりも不遇を背負わねばならない。
青白く痩けた頬が、より一層痛々しく映る。
誰もが見惚れるような美貌を持ったお前が、その美貌の下には隠しきれない多くの傷があるのだろう。
あの日、無理矢理にでもお前を手放すのではなかった。お前を犠牲にしてまで成り立つ幸せなど、所詮幻に過ぎないのだから。
せめて、生きてさえいればいいと思っていた。あんな生きた屍のような姿を見たかったわけじゃない。虚脱の瞳で向けられたかったわけじゃない。
頼む。お前が望むことならこの命を賭けて叶えるから、この世界すらも差し出してみせるから。だから、だからどうか、目を覚ましてくれ…。
彼女の手を握りながらこんなときばかりは皇帝の権威も何の役にも立たないなと、またやるせない気持ちだけが増して大きな背中が丸まって見える。
夕立ちと思われたどしゃぶりの雨がまるで天が悲しみに暮れ泣くかのように続く中、かつて現人神と謳われた彼は初めて神に願う。
自らを顧みることもなく誰よりも、何よりも強く、最愛の少女の帰りを待ち望むように…。