明日を描いて
毎日寝てはぐぅたらに過ごす日々にも徐々に慣れ始めて暫く、当然私とおじさんの関係性に変化はなかったものの一つだけ日常の中で変わったことがあった。それは……、
ちゃぽん…
「アルティナ、熱くないか?」
「ん…、うん。大丈夫、…だと思う」
おじさんに横抱きに抱えられながら無駄に広いとも取れる浴槽に浸かっていく。未だこれだけは慣れないけど、最初の頃みたいに明らかな拒絶反応がなくなっただけ大きな前進だろう。
時は少し前に遡る。
今の生活に慣れてきたとは言え、私が唯一克服できない課題があった。
それは言わずもがな、お風呂である。視界に映すだけで過去がフラッシュバックし、お湯に身体を浸けることなどもはや夢のまた夢という状態であった私を見かねておじさんが妥協案を出したのだ。
いつまでも神術に頼りっぱなしでいるのは良くないし、お世辞にも清潔とは言えない。ある程度の匂いなどは消せるだろうが感染症などの免疫が弱まるのは実証されてるから心配になるのは分かるけどさ。
だから今まではたまにお湯で濡らしたタオルなんかで身体を拭いてたんだけど、なんとかこの状態を脱却しようと言うことで考えられたのが此方の案だ。
言わば『おじさんんと仲良しお風呂大作戦』‼
我ながらネーミングセンスは酷いと自覚しているがこれ以上のものが思い浮かばなかったから致し方ない。
この作戦の内容はいたってシンプル。
おじさんが私を抱っこしてお風呂に浸かる! 勿論お風呂用の服を着けたまま、肌が見えるところは基本ない。
ちなみに浴槽だけど流石に部屋にあるのは二人では入りきれないのでこの宮殿内に新しくお風呂場を作ったらしい。
何でも私が最初にお風呂を拒絶したときから一案として考えて作っていたらしい。もう此処まで来ると恐ろしい程の実行力だと流石の私でも常々思う。
しかも外部の発注業者などを入れないために皇室の裏組織の精鋭部隊を動かしたと言うから今度こそ頭を抱えた。
アホな子程可愛いと言うけど、このお馬鹿さ加減は絶対に卵に伝染させないようにだけはさせておこう。うん。
完成したその日に早速この作戦を実行したけど、最初は分かっていてもやっぱり駄目だった。お湯を見るまでは大人しかったけど、いざ目前にすると全力で身体が拒否した。
ガタガタと目に見えて震え始め、バタバタとおじさんの腕の中で無我夢中で暴れまくった。なんでそうしてしまったのか今でも記憶はあやふやだけど、「これは嫌だ」と本能が全力で逃げたがったんだと思う。
そうして私が抱える心的外傷が思っていたよりずっと深いものだと気づいたおじさん達はいきなりお風呂に浸からせるのではなく少しずつ慣れていかせる方向に変えた。
まずは洗顔用の小さな桶にお湯を入れてゆっくりと手を浸けていく。このときは勿論おじさんが手を握っていてくれてどうも本番に条件を一緒にする為らしい。
この作戦が功を奏したのか、手から順番に足や顔と言った各部位に分かれて慣れさせた結果私は無事お風呂に浸かれるまでになったのだ。
それでもおじさんがいないとまだ全然無理だけど何はともかく良かった。このままじゃ池や川に突き落とされた時点でGameOverだったから。
前世じゃ病気に掛かる前は泳ぎは得意な方だったけど今世はトラウマの方が勝っちゃうから危ないんだよなぁ…。
ちゃぽちゃぽ…、ぱしゃんっ
お風呂に浸かっている間はお湯を弾いて遊んだりしてるけどその間におじさんが髪を洗ってくれるんだよね。速すぎて本当に自覚ないんだけどちゃんと髪がツルピカになってるから手際も良い。
まさに完璧すぎて文句の付けようもない出来栄えにいつも感嘆している。おじさんて一体どこに欠点と呼べる場所があるんだろう? 不思議だな〜…。
お風呂から上がったら寝間着に着替えてそのままおじさんが魔法で髪を乾かしてくれる。
膝らへんまで伸ばした白銀の髪は乾かすまで熱の調節も合わせて凄く時間がかかるからその間に色々とその日あったことを喋るのが日課だった。
「今日はね、ユディットと魔力調節の訓練をした後にピクニックしたの。美味しいスコーンを焼いてくれて、苺のジャムをたっぷり塗っていっぱい食べたわ」
「そうか。だからこんなに頬が膨れたんだな?」
私の髪を乾かしながらもう片方の手でぷにっと頬を突くおじさん。むきゃっ! レディーに向かってなんて酷い!
「むぅっ…! もうおじさんとは喋んないっ」
「冗談だ。機嫌を治してくれ」
「…そういうおじさんは今日何したの?」
「俺か…? そうだな。…少し目障りなコバエを潰して掃除したぐらいだ。南から繁殖したのか寄生虫のように卵を生むところだったからな」
南…、って言えば確かサリバリウム王国らへんかな。あそこは長年帝国を邪険にしてるし最近はスルタンが天寿を全うしたせいで後継者争いが激化してる。
帝国の弱みを握っておくのはある種の保険みないなものだろうけど、あいにく相手が悪かったみたいだ。この様子だと全部処理したのかな。
「コバエの王様は誰になると思う?」
「…さぁ。考えたこともなかったが、二番目のコバエになるんじゃないか?」
「なんで?」
「一番目のコバエは生き急ぎすぎだ。アレは早死する。逆に二番目は父親の血が濃いのか多少揉まれはするが生き残るだろうな」
「なるほど…。それじゃあ、この国の王様は?」
「やりたいか?」
「いや! 面倒だもんっ」
「それは残念だな。まぁ暫くは他に譲る気はないが、お前がその気ならいつでも言うといい」
からかう気がありありと浮かぶその顔で言っていることは本気なのが余計に腹が立つ。
その彫像品みたいに整った顔を一回でいいから崩してみたいと思うのはきっと不可抗力だろう。いつか絶対に間抜けな顔をさせてやるんだから!
もう乾かし終えたのかブラッシングに入ったおじさんをドレッサー越しに見つめれば、不思議と静寂が包む。
おじさんのブラッシングって一度も引っ掛かったことがないし後で触った時指で簡単に通せるまで綺麗になるから好きなんだよなぁ…。
それとこうして喋らなくなると自然と眠気が襲ってくるからもうこのときからカクンカクンと瞼が重くなり始めてきた。
「…ねぇ、おじさん」
「なんだ?」
「…ううん、何でもない。ちょっと、眠いだけ……」
うとうとして首がすわらない赤ちゃんみたいに頭がこてん…とおじさんの方へよし掛かる。
あぁ、明日は何しようかな。
もうひとしきり庭園も散策したから、刺繍でも始めてみようかな。
ねぇ、おじさん。明日は何しようって考えられることが素敵なことだってようやく気付いたの。
未来を思い描いて夢を馳せることが幸せだって気付いたの。全部、貴方がくれた幸せな贈り物だよ。
「寝たのか…? …おやすみ、アルティナ。良い夢を…」
すっかり眠りについてしまった私を抱き抱えてベッドまで持っていくおじさん。その際にひらけたおでこにおやすみのキスをしてくれるのが私は好きだ。
この日々が永遠に続けばいいのに。そう願った私の想いは、綺麗に輝く欠けた月に吸い込まれて消えていったような気がした。
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う゛ぅうぇえ゛……
連日のように続く吐き気にすっかり参ってしまっている私をユディットが心配そうに背中を擦る。夜も眠りに付きにくいし顔色は酷く青ざめてどこからどう見ても完全に病人の顔つきだ。
聖女だった頃もここまで酷くはなかった。せいぜいフラッシュバックで気分が悪くなる程度だ。まぁあの頃は感覚も馬鹿になってたし正確には分かんないけど…。
うぅうぅ゛ぅ…
だけどそれでもこの体調の悪さは異常だ。目眩に食欲低下、吐き気。最近では主に立っていられない程症状が悪化している。
幸いおじさんは仕事が滞っているのか来る回数も減って体調変化のことは気取られていないみたいだけど、この調子じゃいくらユディット達に口止めしたところで時間の問題だろう。
「お嬢様。どうしてこんなっ…」
「ぅう゛…、ゲホッげほっ‼ ぅぐ゛っk…」
目を腫らしたユディットを慰めてあげたいのにもはやそんな気力すら残っていない。
血は吐いてないからあの症状じゃないんだろうけど、それでも断定はできないからもしそうならどうしようもできないな。
病気でもないしほぼ自然現象のようなものだ。
このままゆっくり死に向かい行くしかできないのか。…せめて、おじさんにはこんな姿見られないようにしないと。
その日は午後になってからおじさんが来る予定だった。
それまでに目元のくまを神力で無理矢理治して、寝癖のついた髪を直して、いつも通りを装った。
庭園で小さなお茶会みたいなものだったから予想以上に花の匂いを敏感に嗅ぎ取って気持ち悪い。
ユディットが折角用意してくれたデザートも一口手を付けただけでそれ以上手が進まない。
「アルティナ、気分が悪いのか?」
「ぇ…? ぁ、…ううん! 全然平気だよ」
「…少し触るぞ」
椅子から立ち上がって私の方まで歩くおじさんが、次のときにはおでこに手を当てて熱を測っていた。
「…熱はないな」
「ぅ、うん! だから平気だってば。ほら、こうして…、っ?!」
無理に立ち上がって健康だとアピールしようとしたのが駄目だったのか一気に視界が揺れる。
ぐわんっ…‼と世界が揺れて、駄目だと思う前に先に身体が倒れていた。それと同時に意識を失い最期に聞こえたのはおじさんが叫ぶ、痛いぐらい悲しい声だった。
あぁ…、駄目。駄目だよおじさん。そんな悲しまないでよ…。
いつか貴方を置いていってしまう私の為に、そんなに泣かないで。
ズキズキと痛みを電波させるお腹を手で抱えて、まだ遠くから聞こえる怒気すら孕むおじさんを想って私はそう願った。