優しい白昼夢
ザッ…、ザッ……
庭園の一部である草木の生えたお昼寝スポットを、今日はただ歩いている。
いつもなら庭園を先に鑑賞した後に眠くなり次第此処でお昼寝するんだけど、今日はその過程をすっぽかして此処に来た。
おじさんはお城に仕事に行って、ユディットはお留守番させておいたから正真正銘私とユス卿二人だけの時間だ。
さて、どう話題を切り出そうか。
悩んだ私は暫くは何も言わずに歩いて、ふとピタッと立ち止まった。
後ろを歩くユス卿は勿論それに合わせて一定の距離を保って止まる。今日に限って少し強い風が吹いて、草木の揺れる音がこの静寂を掻き消している。
そしてクルッ…と振り返った私は、真っ直ぐとユス卿の灰色の瞳を見て口を開いた。
「ユス卿、私達…、一度会ったことがありますよね?」
「…お久しぶりです、聖女様」
そう言うと同時に深く頭を下げたユス卿。
…やっぱり、最初から気づいていたんだ。気付いた上で、気付かない振りをし続けてくれていた。きっとそれが、ユス卿なりの優しさだったんだよね。
ごめんね。私の我が儘でずっと振り回して、ろくに対価も支払わず逃げ続けた。
初めておじさん以外に見返りを求めずに救いの手を差し伸べてくれた唯一の人間。それだけで私には十分だったのに…。
「その節は、どうもお世話になりました。諸事情により聖女の地位はなくなりましたが、今はアルティナ・フォン・ラグナロクと名乗っています」
「…では、今聖都にいる聖女様は」
「彼女はまた新たな聖女です。私の名を騙った、全く別物の…」
聖女だった名残か名を名乗る際に完璧なカーテシーを見せて、にっこりと笑う。
それは聖女の時代を懐かしむような貼り付けの笑みと、私の代打となったニーナを嘲笑うような含みの在る笑いだった。
今更どうなろうと知ったことではないが、最期に素敵な置き土産を渡したのだから今までのようにとは行かないだろう。聖都に住む民たちも皆、少なからず無事で済むはずがない。
此処では一貫として外部の情報が入ってこないから詳しいことは分からないけどそうであってほしいと願うのは、卑怯だろうか。
「まだあの場所は腐っているのですね」
自分の醜さに嫌気が差しているとユス卿の突然の言葉に一瞬驚き固まって、気づいたときには笑い声が響いていた。
「…っ、ふふ。あははっ。ユス卿でもそんな風に思うんですね」
「あの場所は異常に空気が濁っていましたので」
うーん、確か前におじさんからユス卿は魔力も神力も全く持たない特異体質でだけど五感が異常に優れてるって言ってたっけ。
その空気の濁りとかも、たぶんユス卿にしか分からない感覚なんだろうなぁ…。動物で言う野生的勘、的な…?
「う〜ん、まぁほとんどは正解です。まだ純粋な子もいるにはいますが、何も言わず置いてきてしまったので後はどうなるか分かりませんね」
「…大切な存在ですか?」
「……さぁ、どうでしょう。大切な存在だとしたら、どうするんですか?」
「保護に迎え行きます」
「…いいえ。大切な存在なんかじゃありません。あの子はあの子できっと何とかするでしょう。それだけの力はありますし、いつまでも守ってばっかりじゃ彼のためにもなりませんし」
わざわざユス卿が危険を犯してノースを迎えにいったとして、万が一追跡でもされたら此方への視線が当然向かうだろう。
折角の魔物大発生を起こして捜索の目を緩めたとしても、そんなことになれば全部水の泡だ。
私だけが危険に陥るならば考える猶予はあるが、そこにおじさんも含まれるなら当然拒否する。私の第一優先は変わらずおじさんで、それ以上も以下もないのだから。
それにノースの為というのも一つある。神力があれば必ず神殿に属さなければならないその中、特に精霊の【祝福】を持つものは神殿が保護するという規約がある。
代々その伝統に従っていたせいか【祝福】の力を完璧にマスターするには神殿の書庫に眠る本が必ずと言っていいほど必要なのだ。
いくら私でも【原作】にないことまでカバーできるはずもないし、ノースの力を強くするという一点においては神殿以上に適する場所はない。
そのメリットを掻き消す程の不安要素はあれど、あれだけの力を持つならオルカもわざわざ殺すことなく活用する術を選ぶだろう。
そしてノースもむざむざ駒にされる程の人間じゃない。適度状況に適応し、なんとか抜け出す機会を得るかもしれない。
ここまでは完全に私の推論上での出来事だが、今はこれが最も妥当な考えなのだ。
一時とは言え私を慕ってくれていた子だから突き放すのは少し心苦しいけど、守ってばかりではお互いに良いことがないことも良く理解している。
何も知らない人間からしたら無責任だとか無情だとか言われるかもしれないなぁ…。私も事情を知らなければ指を指して糾弾する立場の人間になったかもしれない。
まぁ過ぎることは仕方がないのだ。物事を解決することもできない中途半端な善意は無用な産物なのだから、嫌と言うほど冴えきった勘を今は信じてみよう。
「ユス卿。お互いにこのような再会にはなってしまいましたがどうぞこれからも、よろしくお願いしますね」
手を差し出して、友好の握手を求めるけどユス卿はじっと差し出した手を見つめて固まっている。…ぁ、流石に握手は馴れ馴れしすぎたかな?
宙に浮いたまま行場をなくした手はまるで冷や汗を掻くみたいに爪の先から凍っていく気分だ。
いつこの手を仕舞えばいいのか焦っていると私の手の下にさらに手を添えて、ぎゅっと確かに握ってくれた。
「…敬語は外して下さって構いません。それから、この命に賭けて生涯をお守り致します」
握手のために差し出した手は片膝を付き忠誠を誓う姿勢になったユス卿によって手の甲にキスされる。
…どぅしよ、くすぐったいや。風になびく髪のせいか、それともユス卿から感じる温もりのせいか。どっちにしろ心の奥からくすぐられるような、悪くない気分だ。
「もう聖女じゃないよ?」
「構いません」
「優しくもないし、威厳もないよ?」
「構いません」
「私が、…ユス卿の知る過去の私じゃなくても?」
「構いません。皇女様は、皇女様です」
「…そっか。分かった、ユス卿」
私はきっと、与えられるだけの忠誠に対する対価を払ってあげられない。それは私が自分勝手で、傲慢な人間だから。
それでも、私をこうやって何度も信じてくれる人がいる。そんな人の為に私は生きてみたい。無理に殻に籠もるより、笑って、『普通』な幸せを手に入れてみたい。
それからは二人、自然の音に流されるまま静かな時間を過ごして特に何をするでもない時間を刻んでいった。
たまに庭園の中にあるブランコ仕様の背もたれ付きソファに座って、疲れて寝てしまった私をユス卿がそっと抱っこして部屋まで運んでくれた。
きっと、こんな日常つい数週間前までは予想だにしていなかった。そんな考えすら奪われていたから。
だから、これはたぶん夢だ。神様とやらが最期に見せる白昼夢。残酷なまでに優しい、亡者に与えられる最期の慈悲。
あぁ…、幸せだなぁ……。
弱まりつつある日差しをユス卿が背中で隠して、草木から香る自然の匂いに身を寄り添いあって、私はゆっくりと瞼を閉ざした。
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