追憶と願い
朧気だった記憶の底から次々に思い起こされる欠けたピースが繋がっていく感覚が生々しく身体を伝う。そしてたった一つの真実だけが、頭の中を冴え渡って明瞭と浮かび上がってくる。
それは遠い昔…、私がまだ正常だった頃のこと。
聖国の友好国で長年親交のあった王国が魔物大発生に陥り、帝国も聖国と同様の理由で援軍を送った。
帝国は『油田』の貿易国である為支援は惜しみなく続き、過去に類を見ない一ヶ月という最短記録で事態を終結へと導いた。
それは帝国の威信を広めるのに一役買ったことは言うまでもないが、その裏で名もなき一人の騎士が影で大きく暗躍していたことは数少ない人間しか知ることのない事実だった。
魔道士が存在するこの世界で、最前戦に配属される兵はほとんど捨て駒のような扱いに等しい。自らを肉盾として魔法詠唱が完成するまでの足止めが仕事だからだ。
たとえ詠唱が完成するまで耐えたとしても、その放たれた高位魔法によってもろとも吹き飛ばされる。
だから最前戦に派遣された兵を治療すること自体少ない。死んだ人間は生き返らせることなどできないのだから…。
だけど彼は違った。あれは戦いなんかじゃない。
単純な殺戮という言葉が彼一人を表すかのように、泥のように浴びる返り血と相反するように自身の身体には傷一つ付けずいつも飄々と帰ってきた。
そんな彼を訝しむどころから注目する人間が誰一人としていないのが、当時は面白かったのかもしれない。
彼は何より身を隠すのが上手かった。
仲間を変に助けることもなく、魔物を殺すという仕事を忠実にこなす。ある意味人間の失敗作では在るが、実力だけは過分にあった為結果犠牲者を減らしたのは事実だろう。
聞けば自ら最前戦へと志願したようで、私からしてみれば死に急いでいるようにも見えた。
思い返してみればこのときの私は結構ぐちゃぐちゃで自分の味方として彼を取り込みたいという気持ちもあれば【死】を追従する同士を見つけた歓びもあったっけ…。
まぁその時は私が一方的にちょっと気になった程度でそれまでだったんだけど、魔物大発生が一区切りして片付いた後に話す機会があったんだよね。
皆が急ぎ早で帰還の準備をする中、そこから少し離れた穴場であろう草原の丘でポツンと一人呆然と向こうの山を見ているユス卿に、私は人目を盗んで会いに行った。
丁度聖都に戻る準備に皆追われてたから監視もゆるくなっていたから少し身軽にするだけで簡単に抜け出せたものだ。
突然隣に座り込んだ私に気づいても何の反応を見せないユス卿に応じてしばらくはお互い言葉を交じわすことはなかった。
日が少しずつ傾いてきた時、私は空を見上げて「もうあまり眩しくないな」なんて思いながらふと口に出したのはなんてことのない会話だった。
「今日はそよ風が気持ちいですね」
当然返事はなかったけど、そよ風に靡く髪がまるで踊ってるみたいで私は存外そっちに夢中になっていたからあまり気にしなかった。
もう言ってしまったものは仕方がないしこの際何でもいいから喋ってみようと思って続けた会話はほとんど一方的だった自覚がある。
「失礼ながら先日卿の戦いを拝見させていただきました。とても綺麗な剣筋でしたね。ある程度知識として様々な方を見てきましたが、卿のように一太刀で魔物を討伐する御方は初めてです」
勿論それにはオルカやラクロスなんかを抜いたっていう一言がいるけど、実際彼ら以外であれ程綺麗に魔物を葬り去る人間は初めてだから嘘じゃない。うん。
まだこのときは彼の存在だけで名前までは知らなかったから卿と呼ぶ他なかったけど…。
それにしても、ありのままを晒け出すことなんて滅多にないのに相手が私に無関心だからか気が楽に話せた。普段は聖女の立場とか色々あるからこんな気の抜けたことも言わないからね。
「与えられた任務をそれ以上もそれ以下もなく忠実にこなす。先日の卿の姿はまるで、私が思い描いた理想の騎士そのものでした」
「……違います」
小さく、それでいてよく透き通った声で初めて声に出した否定の言葉。初めて明確な意思を持って答えたユス卿に私の興味はさらに惹かれた。
「私は…、自分が何の為に剣を振るうのかが分かりません。だから、騎士になる資格がありません」
淡々と語るユス卿に、ヒロインであれば何と言っただろうか。「貴方はそんな人じゃない。貴方の強さは弱い民を守るためにある」とだとでも綺麗事を吐くのか。
だけど私は、そんな生易しい言葉を吐く気にはならなかった。そもそも【資格】だなんて、前提から間違っているのだ。
「卿は…、騎士に必要なものが何だと考えていますか?」
「強靭な肉体、堅実な精神、清廉な心だと教わりました」
模範的な回答を述べるユス卿に心は感じない。教わったことをそのままに口に出す、まるで機械だ。
それは彼の魅力とも言えばそうなんだろうけど、人によっては好き嫌いが分かれる性格でもあるのだろう。
「そうですね。ですが…、騎士とは旧来人を殺す者のことです」
変わらぬ面持ちで不意に此方へ視線だけが動いた。どうやら思惑通りユス卿の興味を引いたらしい。
考えれば当然だろう。
先程まで理想の騎士だと夢に浸っていた幼い少女が全く変わらない笑顔でその真逆のことを言い放ったのだから。
「剣は守るためではなく、殺すためのものです。主の命令なら殺しも厭わない、卿、貴方は先ほど【資格】がないと仰られましたが私の見解は真逆です。貴方こそ騎士に相応しい方はおりませんよ」
自分の意志もなく、保つ基盤もないから適当に見つけた任務で補っている貴方は魔物を葬るときも隣で昨夜食事を共にした仲間が死んだときも、顔色一つ変えなかった。
正確には私はそんな貴方の凡人の間で隠れ潜む狂気に惹かれたのかもしれない。
だって貴方は、同じ狂気を持ったオルカ達のように無駄に人を傷つけることをしなかった。誰でも彼でも助けないかわりに、誰に迷惑を掛けるでもなく一人で生きていた。
それはある意味、凄く純粋とも思えた。
人を殺しても感情を抱かない化け物が己の快楽の為に人を傷つけない可能性はきっと限りなく低い。間近でそんな化け物達を見てきた私には、よく分かっていた。
「……聖女様は不思議な御方です」
「それは初耳ですね。卿も私が御会いした方の中では随分と不思議ですよ?」
「よく言われます」
「ふふっ、私達真逆ですね」
口元に手を当てて笑う口角を隠す。私が本当に面白いと思ったときだけする、滅多にしない仕草。
仮初の敬称だけ付けるくせに全く敬う気がないのがなおさら面白い。
彼はきっと必要とあれば誰に対してでも膝を折るのだろう。心の内では誰一人として仕える気もないくせして…。
不思議なんて、良い意味で言われたのは初めてだ。
よくオルカ達に常人とは違うという比較の意味で使われたあまり好きじゃないい、どちらかと言えば嫌う言葉のはずなのに。
ユス卿に言われる言葉はどうも嫌じゃなかった。たぶんそれは、彼が本心から言うそのままの言葉だから。そうじゃなきゃ、こんな気分の良さはない。
「…聖女様は笑うととても可愛らしい御方です」
少し風が強くなってきたと思っていたとき、不意打ちで言われたせいか内心飛び上がるぐらいに驚いた。文字通り心臓が跳ねついたのだ。
それにユス卿がお世辞を言うわけでも冗談を言う性格とも思えない。ということはこれは…、いや、考えるのは止めよう。
多分ユス卿の中では子どもの頃によく誰にでも言う言葉の内に過ぎないだろうし。
「それは普段は可愛くないということですか?」
「不躾でなければ、無理をなさっているように見えます」
どうせならとからかうつもりで言ったことが直球として返ってくることは今までの経験上一つもなかったため逆に一本取られてしまった。
その目から不純物は感じない。本当に、思ったままを言ったのだろう。なんとも彼らしくて思わず苦笑してしまった。
「…卿はなんとも可愛らしい方ですね。貴方と喋るのは凄く疲れる気分になります」
畏まった姿勢を崩して思い切ってぐぅーっと両手を足と一緒に前に伸ばしてみる。普段じゃ絶対にしないことだけど、もうバレてるならわざわざ猫を被る必要なんてない。
「申し訳ございません」
「大丈夫ですよ。別に嫌味じゃありません。卿みたいな真っ直ぐな人は初めてだから、扱い方が良く分からないただけです…」
飾り気のなくて、変にへりくだらないで、私を私として真っ直ぐ見つめてくれる人。
だけどおじさんのように肩を寄り添うような人でも心を預け入れるような人でもない。何処までも他人で、気楽な人。
もしかしら、この人ならという願望があったのかもしれない。以前その醜い願いがたった一人の友達を死に追いやったのに、私は諦めが悪いから…。
「…、卿。もし貴方が誰もが認める最高の騎士になったとき、私のお願いを一つ聞いてくれませんか?」
「…断言はできません」
「そういう貴方だから余計信頼できるんですよ。……全部、壊して欲しいんです。跡形もなく、未練もなく、本当に全部。そしたら私は、きっと自由だから…」
風に吹かれるまま、私は思いの丈を全て吐き出した。強く吹いた風に交ざった冷たさからもうすぐ冬が始まることを告げられる。
私の事情を知らない彼からしたらおかしなことを言ってるんだろうけど、私の望みは本当にそれだけだ。
【聖女】という運命を全うして死に遂げたい気持ちも、この雁字搦めのしがらみを全て壊し尽くして逃げ出したい気持ちもある。
どっちとつかずだから、ずっと弱いままなのに選択することすらできずにいるくせに自由になりたい思いだけは人百倍ある嫌な人間だ。
「それは物理的に不可能ですね」
「っ、…ふふ。えぇ、そうね。確かに不可能です」
間髪入れず応えた彼の答えはまさに、辛気臭い考えのまま思考が停止してしまっている私にとって一番説得力のあるものだった。
誰にどんな慰めの言葉を掛けられても納得できるはずのなかったものが面白いぐらいにアッサリと解決してしまったのだから怖いや。
そんなことを話していたらもうすっかり遅くなってしまった。どうせもう皆私がいなくなったことに気づいて探し始めてる頃合いだろうし、帰らなきゃ…。
…言い訳するのも面倒くさいなぁ。
また【聖女】の仮面を付けて、笑いたくないのに微笑んで、綺麗な中身のない言葉を繕って、何のためにやってるんだろう…。
駄目だやこれ。久しぶりに弱音を吐いたせいですっかり心が滅入ってる。私って強い衝撃とかにはある程度強いのにこういう横からの奇襲は弱いんだよなぁ…。
よし、切り替え切り替え!
私は完璧で、清廉で、純粋で、高潔な皆に優しい、【聖女様】。…よし!
「そろそろ私は戻ります。皆さんが探し始めていると思いますので」
「はい」
すくっと立ち上がった私を顔を見上げて追いかける彼の視点が、最初とは明らかに違うことに満足しながら私はまた完璧な仮面を貼り付けた。
「卿の活躍を楽しみにしていますね。どうか、良い余生を過ごせますように」
「…聖女様らしからぬ祝福ですね」
「あら、そうですか?」
良い余生を過ごせますように。
いつか死ねる人間に対して送る私なりの最大限の祝福の言葉だ。死ぬまでの時間に良い暇つぶしを作れればいいですね、そんな思いが込められている。
私のように気が狂いそうな程の悠久とした時間ではなく、限られた時間だからこそ色褪せぬ日々を…。
そうして私達はその場で別れた。これからももしかしたらまた交わることがあるかもしれない。その保証はどこにもないけど、確証はいらなかった。
会えればいいし、会わなくてもいい。
そんな考えだったからかな…、あの日ユス卿が私を助けてくれたとき思わず恥も外聞もなく泣きじゃくったのは…。
途中から追憶の視点から当時の視点に変わっています。分かりにくくてすみません(汗)。




