記憶の追随
「アルティナ。やはり体調が良くないのだろう。今日はもう寝るんだ」
ユス卿を前に呆然としていた私をおじさんが心配してくれる。その間にユス卿はまじまじとした視線を消してしまい、あの視線の意味をこれ以上尋ねることはできなかった。
「…ご体調が優れない中申し訳ありませんでした。私は下がります」
「う、うん…。…あの、ユス卿」
「はい」
寝ながらになって本当に申し訳ないんだけど考えるより先に部屋を出ようとしていたユス卿を呼び止めてしまった。
ユス卿の一歩引くその姿が、壁を作っているように感じてしまったからなのか何故か分からないけど彼と話すこと自体不思議にも楽だったから…。
「また、…会ってくれますか?」
私の問いに、ユス卿だけでなくおじさんやユディットまでも驚きの表情を隠せていない。
自分でもおかしいことを言ってる自覚はあったけど、どうしても確信が欲しかった。
おじさんみたいな特別な存在という訳じゃない。ユディットみたいに時間を掛けて心を許し始めたのでもない。
だけど、初めてなの。おじさん以外にここまで物言わぬ懐かしさを覚える人間なんて…。
「…はい。護衛騎士ですので、今後も側に仕えさせていただいます」
凄く簡潔でそれでいて必要最低限の答え。でも、彼らしいとも思った。
「それでは、失礼します」
「うん」
ユス卿が部屋を出るのを見送ると、すぐに両者の質問攻めにあった。一体どうしたのかと、一応体調が悪いという名目で下がらせたのにそんな病人にグイグイ迫りくるのはどういう了見か。
「おじさんもユディットも! 一旦落ち着いて」
「あ、あぁ。だがあの男がアルティナと面識があったなんて」
「それが…、分かんないの」
「分からない…?」
「うん…。話してると既視感っていうか、懐かしい感じはしたんだけど嫌な感じはなかったからそれが不思議で。過去のこと話せば分かるかなって」
「聖女だった頃の面識か。ユス・ラグナスの過去の経歴は異質だからな。確認しきれてない部分で関わりがあったかもしれない」
「そっか…。とにかくまた明日話してみるよ。もしかした私の勘違いかもしれないし」
ところで、ユディットは何をしてるんだろう…?
さっきから一人で服の内側から取り出した暗器を綺麗にこれでもかと高速で磨いてるけど。あれもう削る勢いじゃない?
「ユ、ユディット? 何してるの?」
「あぁ、お嬢様。何でもありませんよ。ただあのクソ野郎を一瞬でこの世から葬り去るために今から念入りに準備を…「ストップ! ストッーープ‼!!」お嬢様?」
「お嬢様? じゃないよ! そんな可愛い顔でも首をかしげても駄目!」
「え、えぇ⁉ お嬢様〜ー…、駄目…、ですか?」
「駄目〜ーー‼! お願いだからそんな物騒なことやらないでよ⁉」
「ぅ゛ッ…、はい。ごめんなさい、お嬢様」
全く、いつもは文句の付けようもない完璧な侍女なのにたまにこうやってちっちゃくなって可愛いからずるいったらありゃしないや。
ちょこんと怒られてしぼんでしまったユディットの頭をぽんぽんと撫でればすぐに復活するからあんまり真に受けてはないけどね。
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「ユス卿、おはようございます」
「はい」
相変わらずぶっきらぼう、というより無愛嬌?なユス卿との挨拶も慣れてくるとちょっとした表情の変化も見れぬようになってきた。
ユディットはもう歯ぎしりしそうな勢いでユス卿を見つめてるけど、端から見れば美人が片思いしているように見えなくもない状況だ。
勿論こんなこと言った日にはユディットは泣き崩れながら私から離れなさそうだけど…。
どうもユス卿が護衛騎士についてから対抗意識がバチバチなのかユディットの一人相撲が続いている。おじさんのときは何の問題もなかったのに、なんでユス卿は駄目なんだろう?
「今日は一緒に庭園に行きませんか?」
「私は皇女様の護衛を担っていますので、行きたい場所があるのでしたらお側をお護りします」
本当に与えられた仕事以上のことはしないなぁ。
庭園に散策に出ても一歩後ろを下がって歩くし、たまに花に目をやりながらも私がふと視線をやると必ず目が合うし、ここまで来るともはや人間味がないというか…。
いや、これが普通なのかな?
私の周りが今までおかしかっただけでこれが主人と護衛の正しい立ち位置?
確かに【聖女】だった頃はこんな距離だった気もするけど、あの時は私もわざと人を避けてたし入れ替えも激しかったから一々顔も覚えていない。
そういう意味では比較対象もいないわけだけど…、仕事とプライペートをハッキリさせたいだけなのか素でこれなのかだけ気になるな〜。
ユディットはユス卿と隣にすると殺気立つからお留守番させてきたしおじさんも公務で来れないから二人きり、いざ意識すると何か話す話題もないや。
そういえば私って積極的に人と関わるタイプじゃなかったし社交性なんて【聖女】として必要最低限しか身に着けてない。
大体何もしなくても相手の方から話しかけに来るから自分で話題を繋ぐ必要もなかったのがここに来て災いするなんて…。
というか、そんなこと考えてたらいつの間にかかれこれ一時間散策してるし、そろそろ足が疲れてきたや。
あれ? ちょっと待って。
考えている内にだいぶ屋敷から離れた場所まで歩いていたようで、辺りを見渡すと全く見覚えのない場所に立っていた。
えぇ〜…、この庭園どれだけ広いの。一時間歩きっぱなしだったはずなのにまだ際限なく広がってるみたいだし、帰るとしたらまた一時間歩かなきゃいけないわけでしょ?
今まで歩いてきたであろう道を振り返って見てみるけど、屋敷の姿形すら見えず思わず諦めの溜め息をついた。
ちょっと本気で体力が残ってない。だってまともに歩かず6歳からずっと執務室で書類と睨めっ子してたんだよ⁉ 平均水準の体力すら持ってないのに…。
…どしよ。おじさんが帰って来るまで待とうかな。
んん゛〜…、でも迷惑掛けれないし歩いた道帰るだけだし頑張るしかないや。そう決めて十分も経たずにして…、
「はーっ、はー…、ッ」
これは本気でヤバいかも。足が子鹿みたにプルプルしてまともに力が入んないし膝が笑ってる。これが万年引き籠もりの真価と言わんばかりのやりようだ。
後ろに私の歩幅でついてきてくれるユス卿に申し訳ないや。
まさか自分でもここまでできないとは思ってもなかったというか、そもそもあんな遠くまで行くつもりはなかったというか…。
いや、こんなの言ったって事態が解決するわけじゃないんだけどね。
このままここで座り込む訳にも行かないし、暗くなる前に帰らなきゃユディットが心配しちゃうからなー。
もう一度覚悟を決めてグッ…と足に力を入れて近くにあった草木を握って立ち上がろうとしたその時。
グラッ…
「ぇ…、?」
あ、ヤバい。これ、倒れ…
ポスっ…
体勢を崩した私を受け止めたのは、他でもないユス卿だ。
つい先程まで数歩離れた場所にいたはずなのに、倒れかけた私をそのまま受け止めじっ…と見つめている。
えぇ〜っと…、これはこれでどうすればいいの⁉!
このまま離れるのが正解? だとしてもそれはそれで気まずいし! というかなんでユス卿は私の顔から目を離さないの⁉!
受け止められたときの力がそのまま残って離れようにもビクともしないし、肝心のユス卿は無表情のまま何考えてるのか分からないし!
「…皇女様、もし不躾でなければこのまま私が屋敷まで運んでも構いませんか?」
「えっ⁉! あ、あぁ! …うん。その、ユス卿が良かったらだけど」
「私は構いません。それでは、少し揺れます」
ヒョイッ…と軽々しくも私は抱き抱え上げたユス卿は、その細い身体つきとは想像もできないほど力持ちな気がする。
というか視点が一気に上に上がって怖い。ちょっとこれはミスったな。
オルカによく抱き上げられてるから何も問題ないと思ってたけどよくよく考えれば全部意識が朦朧としてたからそこまで注意深く周りを見ることもなかった。
「…お嫌でないのでしたら私の首に腕を回してください」
「う、うん…」
私が落るのでないかと不安に思っているのが抱き抱えているユス卿にも伝わったのか、細かい気配りまでしてくれてどうも見た目以上に優しい人な気がする。
でも一つ問題があるとすれば、言われた通り首に腕を回すと限りなく顔が近くなってしまうのだ。それも今にも触れそうなほど…。
オルカ達のせいで散々な人間不信と男性恐怖症を併せ持ってるはずなのにユス卿に関しては発動しないから困る。
まるで普通の貴族令嬢みたいになんてことない異性との接触でドキドキするなんて…。いやいや、今更腕を離すわけにもいかないしこれが一番安定するからいいんだろうけど!
ユス卿は揺れると言ってたけど振動は嘘のように少なくて、むしろ一定のリズムで刻まれるものだからうとうとと眠気が襲ってそのまま身を流されてしまった。
それから私がすやすやと眠っている間に屋敷についていたみたいでベッドでぐっすりと眠っていたわけだけど、絶っ対寝顔見られたよね⁉!
うひぁぁあっ‼!
恥ずかしすぎる! 絶対涎垂らしてたしめちゃくちゃ変な顔してた!
相手が滅多に表情を崩すことのないユス卿だからからか余計羞恥心が勝る。何年も聖女としての面子を保っていた癖でこういう何気ない弱い部分を吐き出すのでさえ一苦労だ。
それにしても、ユス卿いい匂いしてたな…。
って、これはホントに変態じゃん! いやでも事実、首の近くから嗅いだことのないアロマに似た香りがした。
あれが自然的な匂いだったら全女子の憧れと嫉妬の的だろうけど、シャンプーという可能性もある。エディスが立ち上げたグラニッツ商会が数年前に販売してたしね。
色んな香りを毎年新商品として出してるからその可能性もゼロじゃない。流石に全種類調べるのはしなかったから確信はないけど。
でも近くで見た限りやっぱりあの横顔には見覚えのある気がする。あの黒曜石みたいな髪に誘われて、前の私も…。
そこまで思考を繋げていたところでバッ…!と起き上がる。凄い鮮明に、思い出した。
…、そうだ。やっぱり私、ユス卿のこと知ってる。だって初めて私を、助けてくれた人だから。
アルティナは抑制されていた分も含めて自分の中でのノリツッコミを楽しんでいます。