続く幸せと暗雲
過去を打ち明けてからずっと、変わらず何気ない日々が続いた。
朝遅くに目を覚まして、おじさんと一緒にご飯を食べて、魔法を習って、暇になれば本を読んで、お日様の隣で昼寝をくつろいで、なんてことない幸せな日々。
一人孤独に涙を流したあの辛い夜も、今では嘘のように消えて無くなった。悪夢に苛まれることも、叫び起きることももうない。
たまに吐きそうになることがあるけど、後遺症の一種として考えれば安いぐらいだ。こんなことでこの幸せな生活が保たれるな胃の内容物全部吐瀉できる。
さわわ、っ……
そよ風に揺れる長い白銀髪が、踊るように周りに靡いた。そんなはしゃぎ様を優しく整えてくれる大きな手の持ち主は、言うまでもなくおじさんだ。
「ありがと、おじさん」
「体調が悪くなったらすぐ言うんだぞ。お前はいつも無理をするから全く心配するこっちの「はいはい。ちゃんと言うから、折角ユディットがお菓子焼いてくれたんだから早く食べよ?」」
一度心配しだしたら中々終わらないおじさんの小言を遮ってユディットが持たせてくれたランチバックを片手におじさんの手を握る。
今日はおじさんと初めての庭園でのお出かけだ。訓練場を外すと初めてのおつかいならぬ初めての外出である。まぁまだこの宮殿の中なのは仕方ないとして…。
何十年と幹の育った大きな木の木陰に敷物を敷いてふわりとランチバックから甘い匂いを漂わせる焼き菓子を一つ手に取る。
大好きな苺ジャムがたっぷりと塗ってあって生地もサクサクでカスタードも少し入っているのか堪らない美味しさに今日も感動する。
おじさんはあんまり甘いものが好きじゃないのかモンブランをこっそり食べてるのがまた面白いし可愛いんだよね。
「美味しいか?」
「ふん(うん)! らっれゆりっとはふくっへふれたおはひらもん(だってユディットが作ってくれたお菓子だもん)」
「美味しいのは分かったから喉に詰まらないようにちゃんと噛んで食べるんだ。それとお茶も飲むんだ」
「ふぁ〜い(は〜い)!」
おじさんの過保護が嬉しくてニマニマしちゃうけどこれはちょっと自分でもキツイぞ。
でも、だって、おじさんが格好良すぎるんだもん!
あのモサモサのおじさんも大っ好きだけどこっちはそれから十歳ぐらい若返った二十代でも全然まかり通るぐらいの顔の良さだ。
気だるげな雰囲気の中に確かに感じる大人の余裕が凄まじい。安心感が大きいというか、色気が絶大だと言うべきか、いやまぁそんな目で見ることはないけど!
おじさんにとって私はたぶん歩きたての五歳児に見えてるんだろう。接し方がまさに五歳児のそれだもん。しかも問題児の五歳児。
恋愛で繋がってるわけでも、血筋で繋がってるわけでもない、誰かに説明すればあやふやな関係。だけどそれでも、私達はいつもお互いの心臓の鼓動を共有していた。
私の悲しみや慟哭は全ておじさんの元へ渡り、おじさんの孤独や虚しさは私の元へ流れ着いた。片方を失くせば永遠に感じることのできないそれを、私達は幸せと呼ぶのだ。
気がつけば私はおじさんの隣でうたた寝をしている最中だった。
持参したお昼寝用の枕を頭に敷いて、おじさんの声を子守唄に優しく髪を撫でる手が心地よくて…。
「まだ寝ててもいいぞ」
「…ううん。もうちょっと起きてる」
「そうか。…アルティナ、何処か行ってみたいところはあるか?」
「ん〜…、今はないかなぁ。こうしておじさんといれるだけで幸せだしね」
おじさんと再会するまでは、ずっと何処かに逃げ出したい気持ちで溢れていたのに可笑しいぐらいにすっからかんと消えてしまった。
だってそうでしょ?
ずっと家に変える道を探して、ようやく自分のベッドで休めたのにこれ以上外に出たいなんて思わない。誰よりも大切な人がいる家以上に望むことなんてないんだから。
私の返事におじさんも同調の意を見せて、次のときにはすっ…と遠い空の先を見つめた。
「…、アルティナ」
「なに?」
「…海を見るだけでもいいし、商業都市で買い物をするでもいい。いつか、この広い世界を二人で出掛けてみないか?」
「うん! おじさんと二人なら、何処にでも行くよっ」
今は私だけ【聖女】の仕事も何もしてない状態だからおじさんは相変わらず仕事に忙殺されそうな勢いで皇帝として真面目に働いてる。
だけどもし、何のしがらみもなく自由に生きることが出来るなら、そのときは…。
「あぁあ…、おじさんのせいで私夢がいっぱいで欲深くなっちゃったよ」
「欲深いぐらいがいいじゃないか。幸せに生きてる証拠だ」
「…うん。私、今すっごく幸せ!」
にぱぁっ!と笑えばおじさんも釣られて笑う。
…あぁあ、酷いや。こんなに幸せで、初めて生きていたいって思えたのに…、私の身体は刻々と死へのカウントダウンを進めている。
無理やり蘇生を繰り返し挙句の果て限界まで甚振られたこの身体は、外側だけ見れば綺麗なまま内側はボロボロに壊れた。
あと最大で何百、最低で何十回と死ねば身体が回復に間に合わず内側から破壊されていくだろう。
そう簡単に死ぬ事態にならないことは分かってる。通常人間が許された死の機会は一度きりだということも、もちろん分かってる。
だけど、そういうことじゃないのだ。私にとって何千と経験した死はあまりに軽く、もはや呼吸と同じ程度にすら感じる。
肉体的な話なんかじゃない。本当の【死】。
私が永遠におじさんと会えなくなること。この身体で、おじさんの隣にいれないことだ。
私はそれが一番怖い。何よりも恐ろしい。
もしまた生まれ変わって、記憶だけ受け継いで、おじさんがいない世界で生きるなんて無理だ。永遠を孤独のまま生き続けるなんて、それこそ死んでるのと変わらない。
ポタ…、ポタッ……
「アルティナ、泣いてるのか…?」
「…ううん。目にゴミが入っただけ。気にしないで」
幸せを感じるほど死ぬのが怖くなるなんて、本末転倒も良いところだ。
きっと私は以前の方が強かった。それこそ、死をも恐れない人間だったのだから。
だけど今は、この幸せにしがみついていたくて弱くなった。たぶん、自分が思ってるよりずっと…。
生きていたいと思えるのは、誰かが思うよりずっと幸せなことだ。この幸せは、本当に心から相手の幸せを願うからこそ返ってくるものだと思う。
たった一人きりで幸せを感じる人間なんて、それこそ寂しい人間じゃないか。
私達が臆病で、卑怯で、脆弱な人間なのだから、支え合うことで生きる意味を見出していく他ないのだ。
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「うぷxt…、゛おぇッ⁉ ゲホッげほっ‼!」
内臓から込み上げる吐き気に思わずむせ上がる。今まで決まって一定の時間帯に収まっていたはずなのに、今では昼夜問わず襲ってくる。
幸いなのはまだおじさんとユディットの二人に気づかれていないこと。咳やくしゃみで誤魔化して後で誰もいなくなったときに洗面台に流してる。
おじさんは仕事の関係上一週間に四日ぐらいしか来れないし、ユディットは勘が鋭い分察してほしくないことは見ない振りをしてくれるから…。
だけどいい加減夜眠れない日々が続くのにはストレスが着々と溜まっていく。夜中に目が覚めるのもそうだけど、その瞬間に感じるのが吐き気なんて最低にも程があるだろう。
゛んん〜xt…、どうしよ。今日はおじさんが来る日なのに、気持ち悪さがどうしても抜けない。まるでお腹の中に爆弾でも抱えてる気分だ。
「アルティナ。顔色が悪いが大丈夫か?」
「う、…うん。へいきへいき。ちょっと昨日眠れなかっただけだから」
「それならなおさら横になっておくべきだろう。少し触るぞ」
その言葉とともにグイッ…と身体を持ち抱えられてベッドに横倒しにさせられた。
イケメンずるい。抱えるとき事前に許可取るのずるい。こんなのされたら素直に言うこと聞いちゃうじゃん。
「…今日お前に紹介しようと思っていた奴がいるんだが、今度にしよう」
「紹介したい人…?」
「あぁ。ユディット・アーナバルトがいるとはいえ、一人だけだと心細いからな。お前専属の護衛を付かせることを決めたんだ」
「どんな人なの?」
「そうだな。この帝国で俺の次に強い騎士だ」
「…それって私の護衛に持ってきていい人なの??」
「当然だ。お前の護衛以上に重要な任務はないからな」
はい、親馬鹿決まり。当然な訳ないじゃん。皇帝の次に強いなら簡単に考えても帝国騎士団長辺りの職にいそうだし、何なら裏で率いる組織のリーダーかもしれない。
そんな人材に任せられる仕事なんて山のようにあるし私の護衛に付かせるぐらいなら少しでもおじさんの仕事量減らしてからにしてよ!
「私のことなら気にしなくていいから、その人を連れてきてくれる?」
「駄目だ。今は身体を休ませないと「いいの。ね? お願いおじさん」…、分かった」
渋々だけど承諾してくれたおじさんに感謝の言葉を言う。
知らない人はまだ怖い、だけどその好意に甘えてばかりじゃ私はずっと成長することはないとも分かってるから。
「入ってこい」
ドアの方に向かって言葉を掛けるおじさん。どうやら既に待機させてたみたいだけど、気配すら感じなかった。
隣に立っているユディットはしれっと素知らぬ顔してるけどたぶん絶対気配気づいてたよね?
いやぁ、周りが自分より明らかにスペック高いと自信なくなるなぁ…。とほほ。
「失礼します」
礼儀正しくも一言入れ部屋に入ってきたのは予想していた屈強な騎士らしい騎士ではなく、まだ年もそう経ってない何処か無口そうな男。
体格は分からないけど背は大きいし身体が細いだけで筋肉は確かにある。特に目を惹くのは前世を彷彿とさせる黒曜石の髪色に灰色の瞳。
ユディットのときと同様相手に見惚れるまでは同じ。でも何故か、初対面の人間には必ず覚える嫌悪感や拒絶反応が出なかった。
もしかして克服した…?と思ってもたぶんそういうわけじゃないだろうし…。
なんでか分かんないけど私、この人のこと知ってる気がする。
「帝国の太陽とその泉にご挨拶申し上げます。ユス・ラグナスと申します」
ユディットと比べればやや短い挨拶を済ませた男が私に視線を合わせると、先程まで全くの無表情だった顔がピクリと動いた。
まるで見知った知人に久方ぶりに顔を合わせたみたいに、まじまじと驚いた顔を見せる。
そして私も、普通そんな目線を向けられれば何とかしてでもその視線から外れたいと衝動が荒れ狂うのに怖いくらいに脈は静かだ。
油断はできない。決して容易に心に入り込ませないこと、それを今一度覚悟して私は彼と向き直った。
まさかこの出会いが、今後私達の取り巻く環境を全てひっくり返すだなんて予想もせずに…。




