表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
裏ルートの攻略後、悪役聖女は絶望したようです。  作者: 濃姫
第五章 新たな生
133/175

満腹の歓び

 水から這い上がるみたいに、胎盤の中から目を覚ます。重い瞼を開けて、身体を起こそうとするにも力が入らなかった。


 ふかふかのベッド、あの地下室のように人工的でない柔らかい明かり、そして何より…、


 「…起きたか?」

 

 声の方向に首を傾ければ、クマが酷く今にも泣き崩れそうな大好きな人がいる。私が求め続けた人がいる。『幸せ』を形容するにはこれ程とない空間だった。


 夢と言うよりは意識空間に近い場所にいた私は結局シルティナとたもとを完璧に断つことができなかった。彼女とはあまりに近づき過ぎたのだ。


 深い傷跡が長期間に渡って徐々に浸透して、【融合】に近いのだろうか。ともかく植え付けられたあの忌まわしい記憶を消すことを叶わず、人間不信も治ったわけじゃない。

 もちろんおじさんを除いた話ではあるが…。


 返事を返そうにもそうそう気力が出ない為ギリギリ動かすことのできた右腕を引き摺りながらおじさんの腕の裾を握る。


 もう怖がったりなんてしないよ。だから大丈夫。

 そんな思いを込めて驚いたおじさんに目線を向ければ、とうとう堪えていた涙を零してしまった。


 確かに私もおじさんに再会してあの目線を向けられたことが今でもトラウマだから、まして拒絶でもされたら相当なショックだっただろうな…。


 おじさんに身体を起こすよう頼んで胸に寄り掛かる。身長差で丁度心臓の音が聞こえる。少し早くて、それでいて静かだ。


 言葉を交わさなくても、ようやく帰ってきたという実感が私達の間にはあった。それは二人だけに通じるシンパシーとも言えるもので、私を支える大きな身体がどうも心地よい。


 誰かにもたれかかるなんて強制じゃなければなかったことだから、少し自分の弱さを吐き出せた気分だ。恐怖や不安を考えない時間だって何年ぶりだろう。


 暫くしておじさんがそっ…と私の手を握った。伝わる温もりが、どうも心地を震えさせる。どこか遠い目で抱えた私の手を見つめるおじさん。


 あぁ…、そっか。実感がないんだ。

 突然の行動の真意は同じ立場にあるからこそすぐに理解できた。まるで蜃気楼のように消えてしまう夢のようで、確かな証拠を欲している。


 初めは自己嫌悪と歓喜に溺れた。

 たとえ一度であっても、裏切ったと憎んだこと。後悔して、自分の醜さに嫌悪した。そして同時に貴方の胸の内にいるという事実に歓喜した。


 だけど今は、そんな私を嘲笑うかのように足元が崩れ去るのではないかという漠然的な恐怖がほとんどの思考を占めている。


 人間の感情はそうそう上手く行かない。【聖女】という役に落とし込めていたときはまだ楽に思えたことも、一度枠から外れるとこうも道を反れるものか。


 私達はあまりに長い間離れ過ぎた。それ故に求め過ぎた。

 枯渇した心はお互いを全身から渇望し、その成れの果てに空虚が待っていた。だから、埋め合わなきゃ。欠けて崩れた心を、二人で…。


 長い事二人で静寂に溶け込み、私は心音の心地よさに揺られそのまま眠りについてしまった。次に目が覚めたときには隣でおじさんが優雅に本を読んでいる。


 私が起きたことには気づいているみたいだけど、部屋にはペラ、ペラ…と一定の間隔で本をめくる音だけが聞こえた。


 私も目覚めたばかりは頭がボーっとして何も考えられなくなるから全く構わないけど、やっぱりおじさんの深いクマが治っていないことが気になる。


 どうせ私が眠ってからも此処で見守ってくれていたのだろう。その気持ちは何よりも嬉しいが、私にとっておじさんの健康以上に大切なものなんてない。


 ぐッ…と自分の身体を這い起こす素振りを見せるとすぐさまおじさんが背中に手を当ててサポートしてくれる。


 私はおじさんの片手のハンデを奪った隙を逃さず両手をおじさんの頬に当てた。

 もちろん軽くだけど、想像以上におじさんは驚いたみたいで目をパチクリさせて可愛い。触れる程度にクマをなぞって少しだけ叱責する。


 こんなになるまで私を大事にして欲しいなんて言っていない。互いに大事に思い合うからこそ、私の心配する気持ちも分かってほしかった。


 まぁ寝込んでいたせいか相変わらず声は出せずに視線だけで訴えることになったわけだけど、口をむっ…、とすねてみると存外通じるものだ。

 

 一時悩んだ結果おじさんは渋々コクリ…と頷いた。

 すると後はこのシュールな状況を笑う他ないわけで、琴線が解けたみたいにくすくす…っとおじさんの可愛さに思わずはにかんでしまった。


 おじさんは何とも言えないような、だけど楽しいならそれでいいと言うように微笑みを返す。う〜ん…、あれだけ荒々しかった(?)おじさんの影は今じゃ見るまでもないや。


 前は確かに髪も髭も無造作に伸ばして手入れもしてなかったし、雪山で籠もるいかにも狩人みたいな風貌だったのに今では柔らかさの中に他者を従える優位者の品格を持っている。


 一朝一夕で身につく物でもない、生まれながらにして持ち合わせる天性にして至高の才能。

 長年大陸唯一の帝国皇帝として座に座るだけはあるけどこの調子じゃまともに休みを取っていたのかすら怪しいや。


 おじさんなら仕事が終わった瞬間私の捜索に全力を費やしていた可能性だってなきにしもあらずだし…。実際私がおじさんだったら絶対そうしてるからね。信頼性に至ってはピカイチだよ。


 くぅうぅ〜〜……


 おじさんの目元に触れて無防備となったお腹が小さくも可愛らしい音を鳴らす。一瞬静止し我に返った直後あまりの恥ずかしさに顔が茹でタコのように真っ赤になって、今度はおじさんが笑う番だった。


 「くっ、はは…。そうか、こんなに可愛い顔ができたんだな」

 「〜〜っ…!」

 

 声にもならない声で訴えるけどおじさんはただただ笑うばかりでまともに取り合ってくれようとしない。

 ふんっ…とへそを曲げてしまった私に立ち上がって頭を撫で「少し待っていろ」と言って部屋を出てしまった。


 うぅぅ〜…、私のお腹の馬鹿。よりにもよっておじさんの前で鳴ることないじゃない。

 すっかり感動的な場面が台無しになっちゃったし、()()()()()だったときもだったけどなんでこんなに堪え性がないんだろう…。


 お腹を抱えてうずくまっているとおじさんがその手に出来立ての料理を抱えて部屋に戻ってきた。

 香ばしい匂いが部屋中を満たし、私の鼻腔も虜にする。美味しそう…、じゅるりと思わず涎を流してしまいそうな程の料理が私の前に差し出される。


 「胃に優しいコーンシチューだ。熱いからゆっくり食べるんだぞ」

 

 コクン…と頷きそのままスプーンを取ってシチューをすくい取ろうとするも、カシャンと音を立ててグラグラと不安定な力で握ったスプーンをトレーに落としてしまった。


 「ぁ゛……、っ」 

 「…そうだったな。そんな顔をするな、考えるに至らなかった俺のミスだ」


 思ったことが顔に出てしまったのかおじさんが慰めてくれるけどこのままじゃ折角の出来立てのシチューが食べられない。

 

 用意してくれたおじさんにも悪いし、何よりお腹が空いて食欲が限界なのに目の前の食事にありつけないというのがより一層悲しかった。


 口惜しい顔でシチューと睨めっこし、スプーンとなんとか格闘しようとする私に静止の声を掛けたのはおじさんだった。


 「お前が無理をする必要はない。俺が手伝うからそう悲しい顔をするな」


 最初は何をしようとしているのか分からなかったけど、私が強引に持とうとしていたスプーンを取ってシチューをすくい私の口まで運んだ辺りでようやくその意図が分かった。


 分かった、けど…。これは恥ずかしい。とても恥ずかしい。

 一応まだ成人はしてないけどそれでも私はもう十六歳で子供じゃない。それなのにこんな、餌やりみたいな…っ。


 私が羞恥する意志とは裏腹にお腹が空いたと暴れる身体にキラキラとしたおじさんの瞳。というかおじさん私が恥ずかしがってるのちょっと分かってやってるよね⁉


 ぅ゛ぅう〜…、本当に本当に嫌々だけどもうなるようになれとパクっ…!とシチューを口に入れる。


 とろり…としたまろやかな味わいに後味を残す丁度よい濃厚さ、私の好みピッタリな味付けにビックリするが一口食べてしまえばもう恥じらいなんてなくそのまま半分完食するまでおじさんの手づからの食事が続いた。


 けほっ…、あぁ〜もうお腹いっぱい!

 こんなに食べたのはいつぶりだろう。孤児院でもあまり満腹になるまでの食事はなかったからもしかして異世界初かもしれない。


 勿論ラクロスなんかの強制的な食事を除けばだけど…。そもそもアレは満腹というより無理やり胃に詰め込む拷問みたいなもんだから満腹感なんて遠い夢の話だったけどね。


 ぽこぽこと今度はお腹から満腹の合図が鳴って、さすってみるとお腹が膨れているのがよく分かった。

 いつも薄っぺらだった私のお腹がようやく満たされる日が来ることにも感動だし何より満腹という状態がこれ程までに幸せを感じるとは思わなかった。


 睡眠と仕事だけが唯一の逃げ場だった社畜のような生活をしてたらそりゃ感覚はバグるだろうけど、()()()一緒に取る食事にこそ意味があるんだろうな。


 一人で食べてもその料理の本当の美味しさなんて分からないし、自分を脅かす人間と食事をしたところで味がする訳もない。


 私って今まで本当に何の幸せも感じてなかったんだ…。改めてそんなことに気づくと日常の幸せの重みを痛感する。


 誰かが当たり前に享受していることでも、また別の誰かにとっては永遠に叶わぬ夢なのかもしれない。見方によってその差に違いはあれど、手を伸ばしても届かないことなんて五万とある。


 それをいかに乗り越えるか。一歩も踏み出せない人間がその場で泣き言を垂れたって意味のないことだ。

 

 だから私は、一歩ずつ踏み出してみよう。一人じゃ勇気が出なかったことも、今は隣に貴方がいるから…。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ