素敵な贈り物
男と過ごす時間が増え、昼夜逆転した生活を送る男はある日お菓子とは別にもう一つのものを持ってきた。
何か紋様のようなものが全体に入り組まれている卵(?)に警戒しながらもコツン…と触れてみる。
私が中々手を出しそうになかったからか狸寝入りを止めた男が長い睫毛をのそり…と開き、あの日以来初めて目が会う。
しかし特段何を言うわけでもなくただ目を開けただけで互いに時間が過ぎるのを待つかのように次の一手を打つことはなかった。
果たしてこの卵がどんな意味を持つのか。まさか食用と言うわけでもあるまい。見るからに新鮮さを失った濁りが交じってるし。
不思議なのは紋様に関してだけで後は一般の卵と何も変わりはない、というか少し大きいぐらいだ。通常の1.5倍サイズの希少な鳥類の卵だろうか。
もう一度男の目を見てコツン…と卵に触れると、ようやく男が口を開いた。
「…『死ごもり』した竜の卵だ。上手く孵化できず親龍が捨てた所をハンターが盗み、皇室の宝物庫に代々保管されてきた」
一瞬思考が停止した。皇室の宝物庫? そんな場所にあるモノをこの男はどうやって入手したというのか。
と言っても男の様子からして別に丁寧に扱っているわけでもなさそうだし…。竜の卵なんて【聖女】を就任していたときですら伝説の一説とでしか聞いたことがない。
確かに昔読んだ絵本に書かれていた絵と卵の紋様はどこか似たところがあるが、それを何故私に渡すのかが理解できない。
いくら『死ごもり』した卵と言えどその価値は図り知れず、所有しているだけで一種の箔がつく代物だ。竜の卵など一生に一度お目にかかれるだけで奇跡に等しいのだから。
理解しきれないといった???の視線を送ると男は何やらその反応が面白かったのか珍しく口元を緩めた。
「価値はあるが飾りとして扱うより孵化できるならさせた方がいいだろう。『死ごもり』と言っても込める神力と魔力が足りなかっただけだ。もし不足していた量を補い孵化させられればその分強い個体が生まれる」
…なるほど。『死ごもり』と言うが実際に死んでいるわけではなくただ生まれる前の段階にあるというだけか。ならば男が私に卵を渡した理由も納得できる。
竜に及ぶような神力や魔力を持っているとは自分でも思えないが私の助力があれば孵化させられる可能性は上がるかもしれない。
言わば私の力が必要だったと…。理由のない善意より対価を求められる方がずっとマシなはずなのに、何故だろう。あまり気分は良くない。
私は隣においてあるお菓子に目をくれることもなく、静かにベッドに戻っていく。男も私を引き止めることも訳を聞くこともない。ただ最初の立ち位置に戻っただけ。
我ながら面倒な性格だと思う。親切や慈善は嫌うくせに、いざ利用されるとなったら人間のように拗ねるなんて…。
「…気に入らないなら焼こうが煮ようが好きにしていい。だが、人間は嫌だろう。お前に心の許せる存在でもできるならと要らぬ世話をした」
ふいっ…とそっぽを向いた私を真っ直ぐと見て、嘘偽りなんてない言葉を吐く男が今は憎らしい。何故そうも私の心をいとも容易く揺さぶるのか。
今の話だと孵化に協力させる訳ではなく、まるで私へのプレゼントをしているみたいじゃないか。それも、人間を怖れる私を思って…。
卵を懐へ仕舞おうとする男の手をガッ…と急いで止める。ぐいッ…と力を込めて卵を取り返そうとして、男はすんなりと卵を放した。
「…………ダメ」
「…⁉ 良かったのか? 他に欲しいものがあるなら何でも」
私が初めて喋ったのを聞いて男は何処か興奮気味に問いかけるが、ブンブンと首を横に振って卵を胸に強く手に握り見せた。他のものじゃもう嫌だ。これがいい。
『死ごもり』だろうが何だろうが関係ない。この卵は絶対私の手で孵化させる。そして男が言った通り私の味方にするんだ。
初めて手にする、絶対に私を裏切らない味方。ずっと望んでいた。嬉しくて小躍りでもしてしまいそうだ。そんなハシャイでいるところを男に見られて気恥ずかしさが襲う。
…でももう前みたいに嫌な感じはしない。男の見つめる木漏れ日のような瞳が、私の心をくすぐるだけで恐怖や不安を感じることなんてない。
あぁあ…、もうそろそろ認めなきゃいけないのかもしれない。私がとっくに男に気を許していること。
さっきも手が重なったときに感じた人肌を振り払おうとは微塵も思わなかったのだから、これ以上維持を張ることはできないしする必要もない。
私は無理に人を恐れなくていい。人間全てに恐れを抱けばそれこそ縛られていた頃と何も変わらない。心を預ける先を持っていても誰も何も怒らないのだから、やりたいようにやればいい。
「…………ぁりがと」
「あぁ。…ようやく笑ってくれたんだな」
涙ぐむのを堪える男の言葉に、私も初めて気づいた。
そっか。笑えたんだ…、私。【聖女】じゃない、もう取り繕う偽りの笑みでもない、本当の笑顔。
貴方が救ってくれた。貴方の優しさが、気遣いが、真っ直ぐとした心が傷ついた私の心の欠片を拾って元に戻してくれた。
…どうして忘れていたんだろう。貴方はいつだって、私を守ってくれた。誰よりも真摯に、私と向き合ってくれた。
まるで雪が朝日を浴びて融けるかのように、大切に埋めて隠した記憶が解けていく。私の宝物。
ねぇ、おじさん。やっと、見つけたよっ。
溢れ出る止められない涙に、おかしいぐらいに心臓が高鳴っている。これは本当に、私の感情なの? それとももっと別の…。
突然起きた身体の異変に対応しきれず、ふらり…と視界が揺れる。そして足の力を瞬間的に失った私はそのまま崩れ落ち、最期に男の手が此方に伸び向かったのが見えた。
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私達は二人、確かに存在していた。辺りは一面と真っ白で果てしなく続く空間に、お互い向かい合って立っていた。
何方かが私で、何方も私という不思議な概念の上に成り立っているその空間は、そう長くは続かないことを理解していた。
「ありがとう。最期の時間を私にくれて…」
「……もう、苦しくない?」
「…うん。まだ他の人は怖いけど、彼が心をくれたから。やっと、温かいって感じられるの」
おぼろげながらもシルティナを形どる思念体は心臓の辺りを両手で当ててまるで鼓動を感じ取るかのようにい安らかな微笑みを浮かべた。
「そっか…。暫く眠りにつくの?」
「そうすると思う。ようやくぐっすり眠れそうだから、後は貴方に任せるわ」
そう言った彼女は、以前のような怯えた目を消して強い意志を瞳に宿いている。そして何より、心からの慈しみに溢れている。それはまるで、巣立つ小鳥の背を押すような…。
でもきっと、それが本来のシルティナという人間なのだろう。本質にあるべき心の気高さを、今ようやく取り戻したのだ。
「うん。…おやすみ、シルティナ。良い夢を」
「おやすみなさい、 。どうか…、私の分まで幸せに生きてね」
私とシルティナは同じで、そして違うことをシルティナは理解していたのだろうか。最期に呼ばれた名は、随分と昔に忘れ去った真名だった。
私でさえ忘れていたことをどうやって知ったのか、もうシルティナは答えてはくれない。いつの間にか姿形を消してしまったシルティナと、取り残されてしまった私。
…最期の約束、守らなきゃだな。
シルティナと初めて交わした約束、それは何処までも温かみに溢れて優しい願いだった。
どんなに辛くとも、苦しくとも、決して意志を折ることはなかった私が知る限り最も気高い少女。貴方が私の幸せを望むのなら、この世界の誰を踏みにじってでも幸せな人生を送ってみせる。
貴方が最期まで抱え持っていた謙虚も誠実も捨てて、完璧な『幸せ』を貴方にあげる。もう誰も貴方を傷つけさせたりしないし、馬鹿にさせたりもしない。
たとえ自ら望んで悪に堕ちてでも、最期まで諦めなかった貴方を救うわ。だからどうか…、誰にも邪魔されることなく安らかに眠っていてね。
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【イド視点】
『あぁあ、終わっちゃったね』
『終わっちゃったね』
『でも可哀想だね、シルティナも』
『うん。可哀想だね』
『凄くおもしろかったー』
『「茅崎 紡」を起用してよかったね』
『人間のなかで一番魂の純度が高い人間を選んだもんね』
『前にも何度か自分を犠牲にして世界を救っているからその分突出してたね』
『流石【神】の器になれるだけあるよー』
『シルティナの魂輪廻に戻してあげたいけど神域に奪われちゃったからなー』
『もう遊べないねー』
『ねー。丈夫で壊れない玩具なんて中々ないのにね』
『でもまだあの神達と奴らとの戦いは終わってないよー』
『そだねー。前はあぁなっちゃったけど、今度はどうなるんだろー』
『楽しみだねー』
『ねー』
シルティナ視点で最期「見つけた」と言ったのはシルティナの記憶が封印されその狭間から出てきた幼い頃のシルティナです。だから別人格(?)と言うわけではありません。