寄り添いあい
翌日、男はテーブルに置き残したコンペイトウが無くなったことに気づいたのか今度は別の布袋をテーブルに広げた。
今度はコンペイトウじゃないけど、何のお菓子だろう。また小さくて丸っこい。
「帝国の主流菓子で卵と砂糖を混ぜた『ボーロ』だ。乾燥させたものだから水と一緒に食べたほうが良い」
…まるで私が食べる前提で話していることにムッ…とする。確かに昨日は空腹の限界だから仕方なく手を付けたが今日という今日は男の思惑通りにはさせない。
ベッドの端に身を屈めてそのまま膠着状態が続き、男はまた素知らぬ顔で持ってきた書類に手を付け始める。それと同時に一粒『ボーロ』を口にした。
帝国に関しては忌避していたせいもあるけど『ボーロ』なんてもの聞いたことがない。もしかして庶民の間だけで流通しているお菓子なのか。
昨日のコンペイトウも相まってどんな味なのか気になって、じっと見つめてしまう。男が食べて毒入りの可能性はなくなったけど、それでも手のひらで踊らされているようで気に入らない。
たかが人間の男一人に弄ばれている感覚に自分自身怒りを覚える。…しかしこの男本当に何なのだ。
昼にずっと寝に来て暇なのかと思えば書類を夜まで目に通すこともある。魔道具か何かで緊急の連絡が入ったときは嫌な顔をしても部屋を出ていく。
思いの外自分勝手ではなくちゃんと立場に立つ人間としての仕事をこなしているのか、クマは絶えないが仕事を投げ出さない辺りまだマシな人間だな。
それに人間の中でも特に顔が整っている。基本的に容姿を気にする性格ではない私が思うのだから一般で言うと芸術的価値に値するのだろう。
だけどそんな整った容姿をいくら持とうと中身が腐っていたら全部同じだ。こうして今は油断させているだけかもしれない、いつ豹変するか分からないのだから気を許すなどまずありえない。
ましてあの怪物達は皆揃って顔が整っていた。怪物と化しつつある己も世間からの評価ではその部類に入るのだから、なおさら信用できない…。
その日の夕方、男が運んできた夕食とともにまたテーブルに『ボーロ』が置いていかれ男が部屋を出ていった。
コンペイトウの残りならまだ手を付けていない為半分近く残っている。だからわざわざまた新しく手に取る必要なんてない。…そのはずなのに。
すっかり好奇心に駆られてしまった私の脳は早くも誘惑に屈したようだった。知らず知らずの内にまた一粒パクっ…と口に入れてしまう。
…私はそれ以上何も言うことなく無心にボーロを口に入れ続け、結果パンパンになった頬と格闘する羽目となった。
そしてようやく理解したのだ。お菓子は全てを制する、と。
例え子供の小競り合いであっても、国家間の対立であっても、お菓子があれば全てが解決する。それだけの魅惑がお菓子には詰まっている。
【聖女】の間公務でお菓子を食べることはあったけどそれはあくまで職務の一環としてだった。
繰り広げられる壮絶な国家間の対話の中食べるお菓子など味覚も何もあったものじゃない。ただパサパサとして呑み込むという行為に奮闘するだけだ。
でも純粋に味わうお菓子は違う。ゆっくりと融けるように甘さが舌を絡め取り、食べている間だけでも幸せが私を包み込む。
長らく感じることのできなかった、人間として正しい幸せの感じ方。
生きることに感謝するように、人を助けて歓びを感じるように、私は初めて『食事』を取って幸せだと感じた。
男の言った通り口の中で水分を奪っていくボーロに魔法で創った水を飲みゆっくり喉に押し流していく。
改めて感じる満腹感。ぽこっ…と少し外に出たお腹をそっとさすって見れば大量に水を飲んだせいかぶくぶくと音がした。
とにかくその日もボーロを丸ごと隠し、翌日にはまた新しいお菓子が置かれる。
そんな生活が続いたある日。男はいつものようにまた見せつけるかの如く一粒二粒口に取り後は残す。だけど私はその日、大きな一歩を踏み出すことを決めた。
男は連日の書類仕事が続いていたが珍しく眠りについている。
書類も持ってきていないことから本当に寝に来たのだろう。クマも酷いし半ば倒れ込むようにソファに寝に入ったなら当分起きる心配もない。
その様子を確認して今まで男がいる時間はずっとベッドの隅でシーツに絡まって身動き一つしなかった体を、初めて動かした。
ゆっくり、そっ…、と男に気づかれないよう最大限音を消して近くに歩み寄っても男の眉間は少しひそめるだけで起きる気配はない。
男が今日もテーブルに置き残した新しいお菓子、『氷砂糖』をちょいっと触って口に放り込む。安定の美味しさにもはやこの日常が慣れつつあることがビックリだ。
前だったら男に近寄ることですら考えられなかったけど、別に寝ているときなら平気なのかも知れない。
もう二週間近くこの部屋で過ごしているけど何もしないし、美味しいお菓子を毎日くれるし、私が考えるような悪い人間じゃない気がする。
ただ意識がある状態での接近はまだ無理なようで、少しでも起きそうな気配があるとすぐにベッドに引き戻ってしまう。
自分がどうしたいのか、私ですら分からない。ただお菓子を食べることができればそれでいいのに、何故わざわざ男に近づく必要があるのだろう。
簡単に解くことのできない疑問に頭を困惑させながら、しかしながら寝顔は怖くなかったと思った。
カーテンで遮光されて涼し気な寝顔が、あの怪物の不気味で中身のともわない笑顔よりは随分とマシだというだけだけど。
それから男が寝に入った後は必ずといって男の眠るソファの近くに近づいた。毒見の件も相まってかこの人間は安全だと脳が錯覚でもしたのか、どうも近くにいると気分がいいのだ。
不思議と静寂の続く時間が嫌じゃない。
今までなら誰か自分以外の呼吸音があるだけでまともに息もできなかったのに対し、今じゃうとうとと眠りこけるまであるのだから大分心に入りこませていると自覚はある。
…いつか顔から発光しそうだと思う顔の良さにムカつきコツン…、と人差し指の先を男のおでこに乗せる。
勘の良い人間だ。既に意識がある状態であろうに、まだ寝た振りを続けている。
いや、目を覚ましたら私が逃げると分かりきっているからだろうが、私も知っていて騙されているのだからお互い様だろう。
最初は明らかに寝に入っていたが、いつからか呼吸音の微妙な違和感に気づいてから実は起きていたことを知った。
しかしそれを指摘すると此方の立場としては気まずい以外の何者でもないし男としては隠す時点でそういうことだろう。
それに存外この奇妙な関係が気に入りつつあるのだ。
あれ程人間嫌いを謳っていたのにたった数週間でこうも早く屈するとは情けないものだがそれでもこのいつ均衡が破られてもおかしくない危うい関係が今の私には丁度良かった。
男と会話を交わすことは一度もない。だけど言わずとも分かるのだ。
私を傷つける意志はないと。私が嫌がるようなことはせず、私の意志を最優先にすると。言葉を交わさずとも伝わってくる絶対的安心。
名前も、身分も、生い立ちだってまるで知らない他人同士だからこそ、唯一心が開ける。
私に何も求めず、何も請わず、何も望まないからこそ、私は安心できる。どこぞの下手な信者よりずっとマシで、人間を生身で喰らう怪物より幾段もマシな人間だ。
まだ全て信用しきった訳じゃないとしても、暫くはここで寝所を落としたかった。
神力も大半が回復し、逃げるには十分な状態だったとしても、…見ず知らずの土地より理由は分からないながらも預かれる好意に甘えていたかったのかも知れない。
今日も今日とて寝た振りをする男に、私は少しずつ溜めていたお菓子を頬張ってそのソファの下でうとうとと眠りに着く。
もう怖くなんてない。むしろ男が来ることを待ち望みつつある自分すら存在している。これで拒絶していると誰が言えようか。…少なくとも私は、この男ならいいと思った。
私が心を許す相手。妥協なんかじゃない。
この男なら、私の休める止まり木になってくれるとある一種の確信とも言うべきか。私にはその確信が明確に見えた。
…今まで進むことしか許されなかった私が、過去を振り返ることなど許されなかった私が、この人間の隣ならもっと広い世界を見渡せる気がした。
肯定も否定もせずとも、私達は何故か通じ合える。まるで前世の強い縁かのように、そう巡り合わせる。だから、嬉しかったのかも知れない。
初めて身を任せられる人間ができて、初めて守らないでいい人間ができて…。
私達はある意味対等だ。何方かが遠慮することもなければ無理に意志を通すこともない。それができて初めて在る【対等】。言葉で言うにはとても簡単で、実現するには程遠い言葉。
そしてそんな存在が、この男だった。心の休ませ方を忘れた私に、一つ、また一つとして教えてくれた。
もし男が無理に声を掛けようものなら私の心は即刻殻に閉じこもっていただろう。
もし男が強引に食事を摂らせようものなら私の食欲不信は悪化の一途を辿っていただろう。
もし男が私をこの部屋に置くだけ置いて姿を見せなかったら私は見ず知らずの人間に囲われるという絶え間ない恐怖に襲われ息を吐く暇もなかっただろう。
だから今はこれでいい。これがいい。
私達の間に、言葉で繕えるような脆く不確かな関係なんていらない。ただ、互いに存在を認めあえるなら、それだけで…。
ぶっちゃけシルティナは顔が整っている人が嫌いです。
自身に危害(暴行・加虐)を加える人間→顔の良い人間的な洗脳思考なので顔が特段整っている人間と恋愛関係に発展することはまずありえません。
ただシワクチャになった年老いた人や赤ん坊を無条件に好む傾向にあると思います。(まだ自立意志が弱いとか単純な作者の好みで)
というか連日の投稿で文脈ぐだぐだになっててすみませんm(_ _)m
休載のタイミング逃してて結構精神弱くなってて…。