支配からの逸脱
・【オルカ視点】です。
昼に行われた建国パーティーから随分時間が経ったのか、既に日は沈み窓の外は暗闇で覆われている。
長い眠りから目を覚ましたシルティナは、何も言わず起き上がることもしない。
「……………シルティナ」
声を掛けても、返事の一つすら寄越さないことに苛立ちが募る。拒絶か、あるいは相応の黙秘か。何方にしても一人で自己完結したシルティナを許す気はない。
「シルティナ…、皇帝とはどんな関係なの?」
明らかに何か関係があるはずだ。でなければ、あの様にシルティナが聖女の立場で取り乱すことなどありえない。
「……さぁ、何のこと?」
数分に渡った間を置いて、ようやく返した答えは俺の神経を逆なでするかのように適当なもの。どれだけコケにすればシルティナは気が済むのか…。
「シルティナ。ちゃんと、言って」
「今日初めて知った人のことをこれ以上どう言えば良いの? いい加減放して」
掴んだ手を強めて再度促したが、それでもはぐらかすことを止めない。
パーティーの時のような動揺は完全に落ち着き、異様な冷静さを保つシルティナの様子も気になるが無理やり吐かせる方法なら幾らでもある。
自ら言う気がないのならどれだけ時間を掛けようが吐かせれば良い。そう思って竦めた首を上げると真っ直ぐとシルティナと目線が合った。
「…それよりオルカ、私の言ったこと忘れてないよね? 第一皇女の件、ちゃんと進められてるの?」
一瞬何のことかと戸惑ったが、そう言えばそんな約束をしていた気もする。とっくに無効になったも同然と思って放置していたが、使えるようならと保険に残しておいた言わば使い捨てだ。
「……できてるよ。だけどシルティナも覚えてる? それができたら俺に全部くれるって」
シルティナの首に手を当てると、ようやく繋がれたような安堵がどっ…と襲う。シルティナを躾ける為に行っていた行動も今では手のひらで踊らされている気がするから空恐ろしい。
「ねぇ、キスしてみる?」
首に手を当てられた状態で、いつ締めてもおかしくないことを知っているはずなのに。それでもシルティナは仕方がないと呆れ笑って軽い、触れるだけのキスをした。
それは今までの深く長い口付けに比べればあまりにも短く、拙いもの。なのに一番甘くて、物足りなさと同時に細胞が喝采を上げて喜んでいる。
「いいよ。私の全部をあげる。だからちゃんと、…私を愛してね」
恋人として、愛を求め返されたのはこれが初めてだった。今までの一方的な愛とは全く違う、心が通い合うような充足感に血が沸き立つ。
シルティナが好いてくれる。俺を愛してくれる。その事実だけで心は永住的に満たされた気がした。
沢山いい子を繕うし、「待て」もできるお利口な犬になってもシルティナが求めてくれるなら何でも良かったのかも知れない。
何にせよ、この時の俺は無様な程舞い上がっていたのだ。初めて愛した人間から愛を与えられたと思い込んで、結果全てを失う羽目になった。
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シルティナをイドの祭日の祭りに誘い、全てが盤上の駒のように上手くいくと信じて疑わなかった自分を殺したい。
幾十日にも及ぶ凌辱と破壊により既に【聖女】としての自我を手放し堕ちたシルティナをより完璧にするための仕上げは、見事に破綻した。
それもシルティナ自身によって今まで慎重に積み重ねてきた全てがひっくり返されるという失態だった。
計画は何事もなく進むかのように思われた。当然外に連れ出そうとシルティナに逃げる気力などない。
祭壇の儀が始まるまでの間世間一般の恋人らしいデートを重ね、ほんの少しの自由を与えたのが間違いだったのか。
「なん、で……」
予想通り愕然と壇上に立つ偽物を見上げるシルティナ。
思わず殺したくなるほど慕っていた友が本当は裏で俺と繋がって裏切っていたと知れば簡単に壊れるはず。
「シルティナ。あの中身はね…、ニーナだよ」
「ニーナはシルティナに身の程知らずに嫉妬していたんだ。だから僕が協力してやったんだよ」
「ニーナはお前のことなど好いていない。聖女の地位もない。お前の居場所はもう何処にもないんだよ」
今この場でシルティナを支えるのは、古くも長い永遠に色褪せあるはずのないまやかしの友情に過ぎない。だからその強情な枷を思い出ごと塗りつぶしてしまえば抵抗する意味を奪えると思った。
だがそれは、全てにおいて間違いだった。何が全て手のひらの上だ。思い上がりも甚だしい。 シルティナは常人の型に嵌められるような人間ではないと、気づくにはあまりにも遅すぎたか。
あの日肌を差すような冷たい雪風になびかれながら出会ったのは、子供が今に溺れている状況でただ静かに此方を見つめる視線の持ち主。
その瞳にはありありと軽蔑や冷然、さながら呆れが浮かんでいる。
初めてだった。人間に興味を示したのは。
それまではずっと面白い殺し方ばかり考えて、生身の人間に感情を抱いたことがなかったのに。
この可愛い生命体はたった一人でそれを成し遂げた。同族ではない、しかし確実に此方側の稀な人間。最初の印象はそんなものだ。
試しに首を締めた辺りでシルティナが死に恐怖を持たないことが分かった。むしろ喜んで受け入れる、そんな姿に更に好奇心はそそられる。もっと新しい顔が見たかった。
この無駄に飄々とした顔を怖れ、懺悔し、激情する様が見てみたくなった。
容姿もシルティナであればちゃんと生身の人間として感じ取ることができた。美しい顔が苦痛や吐き気に歪む姿は愛おしさが限界を超えるほどまである。
されどそんな楽しい時間も長くは続かない。膨大な神力を生まれながらに持ち合わせていた俺はそのまま神殿の大神官候補として引き取られることになった。
お気に入りの玩具を一時的とはいえ失った苛立ちと言えば相当なものだ。
念の為シルティナに基礎的な神力の使い方を教え込んだが、面倒事を嫌うシルティナの性格上内部抗争が水面下で行われるう神殿へ向かうとは考えづらい。
シルティナへの溺愛を見せびらかし散々種を植え付けておいたとはいえ、少なくとも神殿入りするまでに数ヶ月は掛かるだろう。
それまで我慢できるかと言えば、一度砂糖の味を覚えてしまった子供のように難しいことだ。
ただ結局は思い描いた通り数ヶ月の内にシルティナが【聖女】として神殿に入り、俺は会えなかった分の物寂しさを全てシルティナにぶつけた。
そんな頃にはすっかり元の気丈さを失くし怯え泣くか弱いシルティナになっていたが、ふとした時に見せる見下すような上位者の瞳が俺を捕らえて離さない。
最初はそのプライドごとバキバキにへし折ってやりたかった。だが時が経つに連れ、どれだけ手を尽くしても屈しない意志に腹が立った。
俺のような者ならいざしらず、一般の人間が拷問に等しい痛みに耐え得る基準は大体ある一定に決まっている。
その水準がどれだけ抗おうが決して越えられない壁だとして、シルティナの意志を保っていたのはまた違う何かだった。
人間が自分の為に苦痛に耐えるというのは案外難しい。自分のことであればこれ以上の苦痛を受けるよりもより良い条件の元へと転がるからだ。
だが他に何か目的がある場合、例えば家族が人質に取られでもしたらそれこそ死んでも耐え続ける。自分の痛みよりも家族に気概が及ぶことを厭うというくだらない理由で。
そしてシルティナはその部類だった。己ではない、別の何かの為に文字通り命を賭けて意志を保っていた。
俺でさえ向けてはくれないその真っ直ぐとした眼差しを、俺ではない別の誰かに向けている。
これ以上に不愉快な思いはない。俺には空っぽなガラス玉のような瞳を向けておいて、預かり知れぬ所で柔らかい微笑みでも浮かべているものなら想像するだけでも無理だ。
だからより一層趣向を凝らして肉体だけでなく精神面でも追い詰めた。シルティナに近づいた者をあえて野放しにし、ある程度心を開くようになったら目の前で殺したりもしてやった。
家族の治癒のお礼としてシルティナに花を渡した子供は一家丸ごと謎の事故として処理し、毎日の仕事に励ましの言葉を掛けた孤児上がりの下級神官には暴力沙汰を何件も起こしている有力な貴族の後妻として片付けもした。
こうしてシルティナに味方を着けることを徹底的に排除し、シルティナ自身自分でその可能性を排除した。
己に近づけば俺に消されることを考慮したのだろう。そして俺はそれがシルティナの優しさ故だと、馬鹿げた勘違いをしていた。
誰に対しても優しい? 見ず知らずの他人を気に掛ける?
俺が惚れた女がそんなつまらない人間なワケがないだろう。
「はっ……、あはッ、アハハハは。アハハハはっツツ⁉?!!!」
完全に狂ったのか幻影魔法があるとはいえこんな公衆の真ん中で嗤い声を上げるシルティナ。
このまま堕ちる、そう思っていた俺はシルティナの指に嵌められた【封印】の聖遺物が雷のようにパチパチと光を鳴らしてることに気づくのが一瞬遅れた。
バチッ、…バチバチバチッ?!?!!!
限界を訴えるかのように電撃のような音を鳴らす指輪に、脳が信号を発する前に広がった衝撃波。
金色の神力が輝かしく放たれて、幻影魔法すら打ち破って身近にいた人間ごと巻き込むように呑み込んだ。
ビキ…、? パッ、キン……、、
激しい神力の衝突で視界が霞むが、その音からして聖遺物が破壊されたのだと気づくには十分だった。聖遺物を破壊する程の神力量、だが言ってみればそれだけ。
このまま押し切ればいずれは神力は底を見せる。そんな甘い考えを見せたせいか、続いて起こった現象を理解するには多くの時間を要した。
一歩シルティナに近づいた瞬間、目眩と共に訪れる世界の揺れ。ボタボタと垂れ流される鼻血が、確かな警告を放っていた。
シルティナの神力量は詳細には分かっていない。大まかな指数として【聖女】の水準に十分足り得るとされているだけで、明確な基準は出されなかった。
だが所詮人間に有せるだけの量など分かりきっている。龍のような異種族でない限り、体内に保持できる神力はそう警戒するような量ではない。
だから油断した。まさか聖遺物を破壊してなお、引き上げられる神力を持っているなど予想もしていなかった。そんな力を持っていたのならとっくに俺の手から逃げ出すこともできたはずだ。
それをしなかったと言うならその可能性だって十分に排除できる。だというのに…、この果てしない神力は何だ。
合理性だけを追い求めてきた思考はとっくに停止し、今はひたすら自由を謳歌する狂えるかつて鎖で繋いでいたはずの駒鳥が目に焼き付いて離れない。
「あはははあh、アハッ。あ゛ハㇵhッ…??!!!」
可笑しそうに嗤うことを止めないシルティナは、生き生きと瞳を輝かせてあれ程嫌っていた殺戮を愉しんでいる。
本来の姿を取り戻すかのように、頬を紅潮して快楽さえ覚えているシルティナにこのままでは駄目だと本能が叫んだ。
まるで一生届かない場所へ行ってしまうかのうような焦燥だけが募って、シルティナの身の周りを囲う高密度な神力の結界に手を踏み入れる。
ただどれだけ神力で保護しようと結界の内に入ろうとする時点で手は裂き切れ一瞬にしてズタボロのなれ果てへと変わった。
皮膚は火傷を負ったかのようにドロドロに溶け崩れ、筋肉繊維さえ壊して骨を剥き出しにする。それは防御と言うよりは容赦とはかけ離れた無差別な攻撃だった。
長らく感じることのなかった痛みにまともに機能を果たさない身体は神経質になりながらも、我を忘れた怒りで1mmずつ確実に手を伸ばす。
「シルティナァァァアァァああ゛ぁ゛……nッツ!!!!!」
分け目も振らずに叫んだ声に一瞬だけ視線を移すシルティナ。しかしそれは、もう用済みとなったモノを見るかのような怯えも、怒りも、何の感情もない瞳だった。
ヒュッ…と息が詰まる。完璧だと思っていた支配は、その不完全さを告げていとも容易く崩れ去った。
そして空を見上げすっ…と目を閉じるシルティナ。狭間れた神力の間で、指先だけでも触れようとする愚かな人間を嘲笑うかのように次の瞬間には消えていた。
今まで積み上げてきた愛情という名の鎖をあっさりと捨てて、俺の元を去っていった駒鳥。
まるで自然に帰ると言わんばかりに自由に飛び立ってしまったシルティナに、沸騰しそうな身体とは真逆に冷めていく思考。
このまま自由に飛び立っていくことを許すのか? …それこそあり得ない。
ずっと俺のモノだった。自分のモノが奪われたり逃げられたりするものなら、いっそ壊してしまった方がいい。
深く、それこそ血液中の酸素でさえも深く吐いてゆっくりと戻していく。
次の機会を望むのは選択を見誤った愚者の思考だ。そして俺は見誤った。だからこそ驕りを捨て、この命を削ってでも見つけ出してやろう。
今度こそ勝手に外すことなどできない特注の首輪で繋いで、足の建を切って、だるまにでもして、逃げ出せないように…。
因みにニーナの一件はシルティナが自分を嫌っていることを知った上での行動です。
最近では遂に恋愛的な好意に発展していますが初めは完全な所有欲と好奇心でした。なので殺したとしても「勿体ないなぁ…」ぐらいで終わってましたね。
最初からの一目惚れも好きですが設定上いくら口説いても惚れない女が好きなのでそういう設定にしています。
最期シルティナは素性が割れないよう仮面を着けていますが視力が段違いに良いオルカ達は視線ぐらいは分かります。
純情サイコ男主人公(?)ですが果たしてシルティナに相手にされることはあるのでしょうか。じゃがりこ片手に見守っていきましょう。