閑話 とある部下の愚痴 2
・ 【オルカの部下視点】です。
聖女様専属の神官というのは、神殿に仕える者なら誰しもが憧れる地位だ。
しかし実際にその配属の権限を握るのはオルカ大神官であり、末端の神官が目指す道のりとしては絶壁に近いだろう。
入れ替わりの多いこの職務に一貫として就く人間と言えば、皆一人しか思い浮かばない。ハイト・クルフェル。聖女様と神官の仲人として名高く、神力も上級神官並みに保有している。
だからこそ聖女様の側に仕えていないときでも、彼は神殿内を歩くだけで注目を集めていた。
誰にでも平等で正しく、真に神官として相応しい人間。一見その様に評価される彼が普段何を考えているのか。やはり仕事のことか、それとも聖女様のことか、そう噂立つのも不思議でない中彼は全く別のことを深刻に悩んでいた。
仕事辞めたい…。
元々内気な性格と怠け者な性だと自覚している彼だが、精神的な限界まで追い込まれていた。
聖女様がお休みになられて自室に戻ると同じ古株のレデが秘蔵のワインを何本も床に散らして先に楽しんでいた。
苛立ちとともに隠しナイフを眉間目掛けて放つが後数mmの距離でピタリと止められる。
「そんな怒んなって、ハイト」
「帰れ」
「まぁまぁ、そう言わず一杯飲めよ」
若干酔っているのかこの状態のレデはしつこい為仕方なく勧められたワイングラスを手に取る。
これが別の人間だったら武力行使も厭わなかっただろうが、まだ比較的常識人のレデには何やかんや甘いという自覚がある。
「んで? 何をそんなに悩んでるんだよ」
聖女様のお付きの者同士顔を合わせる機会は他と比べて多いが、まさか悩みがあると分かった上で話しかけるとは思わなかった。
ハイトは揺れるワインをぐッ…と飲んで理性を緩めようとし、ポツリポツリと話し始める。
「最近聖女様が食事を召し上がらないんだ。今まではオルカ様の指示通り最低限の食事を摂取していたのに、今じゃ何もお召し上がりにならない」
「あ゛ー、なるほど。そんで?」
「仕事もなさらないし、生きる気力が追いついてない」
「オルカ様が一線越えたのは四日前だろ? んで、それから毎日事に及んでいらっしゃるからまぁそりゃ壊れるだろ」
四日前。早いようで、随分長いとすら感じる年月だった。オルカ様が越えようと思えばとっくに越えれた一線を自制なさっていたことも驚愕だが、その余波が今に至るのだろう。
「行為を行う為に本来の食事量にしろと命令されたが、無理に食べさせようとしても吐いてしまうんだ」
「お前な、聖女様のこと本物の神か何かでも思ってんのか? 確かにオルカ様の執着に耐え得る身体を持っているとは言え、精神の面では俺達のようにそう簡単にはぶっ壊れてないんだ」
何を当たり前なことをと呆れ顔をするレデの頭を一度叩き割ってやりたかったがどうせ避けられることなど分かりきっているので諦める。
だがレデの言う通りぶっ壊れてないと語るには今までの積み重なった聖女様の仕事量が法外すぎた。
「今まで此方が心配する人仕事に執着していた人だぞ? 絶対に公務を疎かにすることなんてなかったんだ」
「オルカ様の床事情なんて興味はないがヤるにしても最低5時間は致してるんだろ? 普通に寝不足だ」
誰だって主の床事情など聞きたくないしそれが聖女様が相手とならば尚更である。想像することすら烏滸がましい分際でそれを察するなど分不相応も甚だしい。
レデは他の奴らに比べれば多少マシなものの頭の部分ではネジが何本か外れている為そういう線引きもないが仮にも聖職を務める身としては下賤な話だ。
「下劣な発言はやめろ。しかしそれに気づいたところでどうすると言うんだ」
「さぁな。オルカ様に自重しろとも聖女様に身体を作れとも言えねぇだろ」
「死にたきゃ一人で死ね」
そんなことを言った日には魔物改造の実験体か餌にでもなっているだろうによくもペラペラとそう口が開くものだ。いっそのこと清々しいのか?
「おいおい、折角相談に乗ってやってるのに酷い奴だな。まぁ、今の調子でいけば順調に聖女様もぶっ壊れるんじゃないか?」
「………はぁ。最近そのせいで頭が痛いんだ」
レデの言葉に俺は頭痛がしてこめかみ辺りを手で押さえる。確かにこのまま行けば間違いなく聖女様は正常な認識を失うだろう。しかしその皺寄せが来るのは…、
「他になんかあんのか?」
「…これだ」
見せるべきか迷うが覚悟を決めて懐から大事に取り出してみせたのはいつぞの日か聖女様に渡された刺繍の入ったハンカチ。
「なんだ、女からでも貰ったか?」
「いや、当たってはいるが…。聖女様からだ」
「ゲホッ?! ゴホッ……、おい冗談だよな?」
「だからこんなに悩んでいるんだろう」
「マジかー…」
たった一枚のハンカチ。何か気に入った女でもできたのかと好奇心が疼いたレデだったが、次の一言でそのハンカチの価値は一気に変わる。
下手をすればこのハンカチ一枚で自分の命が終わるかもしれないという事実に、静かながら冷や汗をかいていた。
「待て、一旦ストップだ。…一応確認だが聖女様はお前に好意なんて」
「ない。大方嫌がらせのようなものだろう」
このハンカチを渡された時のことを思い出すと今でも内心緊張する。普段何事にも関心を寄せない聖女様の瞳がほんの少しの悪戯心に揺られ俺を通してオルカ様を見つめていた。
かの御方らの間に挟まれるなど死んでも遠慮したいが、長年聖女様の専属として仕えてきて初めて目線があった日だった。
その粛々とした美貌に溢れるは凛とした佇まい。一応教育係や補佐も努めてきた身だがあれはもう天性のものだろう。
そしてそのほんのりと色付いた唇から放たれるのは悪魔の如き囁きなのだから笑えない。
たとえお前がどうなろうと微塵も興味がないと言うかのように、喜々として死を歓びそうな聖女様の手前断るなんて真似できるはずもなかった。
「だよな! うん! …はぁ〜、ッ。どうすんだ、それ」
「どうしようもない。今は大切に保管しているが情報は既にオルカ様に渡っているだろう」
当然俺以外にも聖女様の監視はあぶれる程存在する。あの場にいた他の者がその日の内に報告を済ませていると思って間違いはない。
間違いはない…、が、やはりあの場の人間を全員殺しておけばよかったかと考えても仕方ないだろう。
「った〜、にしても聖女様は相変わらず俺等のこと分かってんな。何が一番嫌がらせかってこれは酷いだろ」
「今はまだオルカ様の機嫌が宜しいから問題ないが、もしもの時が強すぎて胃に穴が空きそうだ」
「いやぁ〜、まぁな。そんときゃ俺が苦しまずに殺してやるよ」
「……本気で考えたくなるから止めてくれ」
確かに他の奴らに殺されるより俄然としてマシだが、それでも死にたい訳じゃない。このハンカチだって一刻も早くオルカ様に献上したいが聖女様の言付けがあればそれも叶わない。
「…偶然失くした、なんて通じないか」
「オルカ様なら血なまこになるまで探させてその場で首ハネそうだな」
「………」
お互い主の思考が下手に読み取れてしまう分考えるだけで気力を使い果たしてしまう。
どうにもままならないのであればこれ以上考えるのも億劫だと空になったグラスに更にワインを注ぎ込み一気に飲み干した。
結局その日は翌日二日酔いに酷く悩まされるまで飲み、鬱蒼気な日常とは隔絶した夜を笑い明かした。
そしてまさかこの数週間後、シルティナが失踪し怒れる魔王の後始末に地獄を見ることになるとは休職を夢見るハイトには知るよしもなく…。
書いてて分かった。私この視点が一番書きやすい!
さながら推しを見守る壁。最も主人公達に近くてこの距離感が絶妙に良い! これぞヲタクよ!
社畜根性! ヲタク根性!