【聖女】消失
自分がいつも立っていた壇上、そこには自分とそっくりの【聖女】の格好をした人がいる。
聖女が二人同時に存在するという【原作】から逸脱したあり得ない現実に、ぐわんと世界が揺らぐ音がした。
何故今まで気づかなかったのか。何故自分は死ねなかったのか。いつも身に着けさせられた仮面にローブ、声を変形させる魔道具。私に完璧になりすます私ではない誰か。
運命は異分子を省く。それがシステムの原動力として動いている。だから死の運命に逆らったものに二度と安寧は訪れない。どうして、気づかなかったのだろう。
いつの日か知らぬ間に思考の外に追いやってしまっていた事実。私が不在時でも何の滞りも無く進んだ業務。顔はさながら声も、髪も秘匿にされ続けた理由…。
【原作】で聖女シルティナに関する情報は少なかった。ただ歴代最高峰の神力を持ちいつも顔を隠し生活しているという設定だけ。
だけどもし、読者も知らない裏設定があったのならば…?
もし、もし聖女のすり替えが公然の事実としてあったのならば…?
あぁ…、私こそが偽物じゃないか。私自身が一番私が今生きていることの全てが、罪だ。ようやく辿り着いた真実は最後の最後まで私に微笑むことはなかった。
膝から崩れ落ちそうな私を三匹の獣達はケタケタと嗤いながらご馳走の気配を伺っている。そして料理を完璧にするために最高のスパイスを一つ。
「シルティナ。あの中身はね…、ニーナだよ」
オルカが私を抱き寄せて言った言葉。 嘘だッ、って叫ぼうとして、声が出なかった。だってそれを事実と仮定した時、全ての辻褄が合ってしまっていたから。
ニーナ。姓がない、私が孤児院から引き取ったただ一人の友達。そして私の醜悪な願望の犠牲になってしまった少女。私が殺したも同然の、既にこの世に存在するはずのない人間。
そんな彼女は私と成り代われるほどの神力の持ち主に、同じ性別、年齢、時期、全て当てはまってしまった。
「ニーナはシルティナに身の程知らずに嫉妬していたんだ。だから僕が協力してやったんだよ」
ゃ゛めて…。もうコレ以上私を傷つけないで。抉らないで。私に残された最期の思い出を、二度と奪われることのなかった友達を汚さないで‼‼!
「ニーナはお前のことなど好いていない。聖女の地位もない。お前の居場所はもう何処にもないんだよ」
パリンッ……
それは私が壊れる音か、私を縛っていたものに対する崩壊か。何方にせよ、それは、私の魂が完全に解き放たれた合図だった。
躾と称された期間、何故何事もなかったかのようになっていたのか。本来であればオルカから貰うことのなかった防御のブレスレッド。
全てが繋がった。今まで何度も、何度も何度も何度も何度も提示されていた警告塔。
見ない振りをし続けた卑怯者への代償。ラクロスが私を殺しに来たあの日。私はラクロスに殺される、…はずだった。
それが【正しい】運命だった。間違っていたのは世界じゃない。運命から外れたのは、私の方だ…っ、
死の運命を過ぎてしまったがゆえに、死ぬことが出来ない。だから【原作】もとうの昔に自分の手元から離れていたのだ。
あれほど固執していたはずなのに、蓋を開けてみれば空っぽだったなんて誰が受け入れられようか。
いや、それすらも受け入れなければ前には到底進めないのだろう。過ちを認め、過去を悔いて、希望を自らの手で断ち切る。
もしこれが誰かの台本の上で成り立っている物語であるのならばとんだ喜劇だ。きっと創作者はヘドを煮詰めたような人間なのだろう。
【原作】に固執して人を殺しかけた。人の道理を捨て悪事を見逃した。これが私の過ち。
死ぬ為に生きた。その為だけにこの地獄よりも地獄な十年を耐えた。これが私の後悔。
【原作】をなぞることでその延長線上にある私の死を夢見た。唯一の逃げ道だとこの十年の間思い続けた。これが私の希望。
一個一個が大切に育てられたものだ。私を更なる絶望に陥れるために入念に仕込んでできた種たち。その念願の思いは叶って私を崖っぷちまで追いやった。
死ぬ方法も、耐えた十年も、宝物だった思い出も、一瞬にして消え失せた。私に残されたものは文字通り全て奪われた。
だけど私は、その悔しさや嘆きを感じる前に怒りが沸騰した。胸が焼け焦げそうなほどの、喉が焼けるような激情。
それはオルカやラクロス、イアニスといった者達に対してではない。ならばこんな状況を作り今もどこかでほくそ笑む【神】とやらか。それも違う。
私が今この怒りを叩きつけたい衝動に駆られる相手は、他でもない私自身だ。
私が一番許せないこと。私の【唯一】に不義を働いた。目に見えぬ偽りに踊らされ、彼を疑い、憎しみ、怨嗟した。
どれ程の罪過だろうか。それこそ、私が一番呪い憎悪した人間そのものじゃないか…。
どうして、気づかなかったのだろう。いや、そんなことを考えてしまう時点で私は終わっていたんだ…。途端に湧き出る虚無感と脱力感だけが此処を現実だと思い直させてくれる。
「はっ……、あはッ、アハハハは。アハハハはっツツ⁉?!!!」
狂った私の嗤い声が場違いなまでに周りに澄み渡る。これもまた幻影魔法の影響かこれだけ騒いでも視線が集まらないことに逆に不快感を感じる。
私の背後は塗り固められているし、そもそも【封印】の聖遺物のお陰で神力は使えない。こうして私が完璧に壊れた後、またあの檻へと連れ戻されるのだろう。
だけどそれは…、私の本質を本当に彼らが理解できていればの話。【原作】の枷を失った今、私を縛るものはもう何もない。
聖者として守り貫いた正統性も何もかも、今の私にはない。彼らが想定した上で切り捨てた選択肢。こんな大勢人がいる場所で、決して【封印】を解くことはないと見誤った対価。
バチッ、…バチバチバチッ?!?!!!
金色の色を纏った神力が【封印】を打ち破って放出する。制御を失ったままに放出された神力は当然周囲に血の雨を降らせた。
その影響で幻影魔法も打ち破られたのか、あの偽物に向いていた視線は全て奪い集まった。オルカ達も無差別に放出される莫大な質量の神力に太刀打ちできないでいる。
ビキ…、? パッ、キン……、、
ヒビが入り完全に壊れた聖遺物を見て、私は何を思ったのだろう。そのまま逃げても何も問題なかったはずなのに、あろうことか神力の放出を更に引き上げた。
今までは永遠に供給され続ける蛇口から器の分だけ使っていたのを、蛇口の補給元から全て取り出してきたみたいだ。
ただそれだけ、被害は当然拡大することになる。放たれた神力は見境なく周囲の物を巻き込みこの祭日には相応しくない血の雨が振った。
私は全身返り血で染まり、歴史に残る大量虐殺者の完成だ。大人も子供も男も女も貴族も聖職者も平民も、全て平等に死んでいく。
きっとこれは【悪】だ。私の内にずっと潜んでいた、【悪】。本当はずっと願っていた。本当はずっと、怒っていた。私にばかり災禍を押し付ける、人間達に…。
だから制御を失い暴走する神力は攻撃的に人間を襲い四肢を断絶する。響き渡る絶叫に、私が受けた苦しみの百分の一でも味わえばいい。
苦しみ耐え藻掻く私に救世主としての偶像を押し付けた者達には、それと同等の対価を支払うのだ。
「あはははあh、アハッ。あ゛ハㇵhッ…??!!!」
止まらない嗤いが木霊して、私を害する危険要素を徹底的に取り潰していく。見慣れた聖騎士達は為すすべなく屍となり、その姿がまた可笑しくて感情が高ぶる。
なぜこんなことをしているのか、自分ですら分からない。だけど、止まれないのだ。止めようとも思っていない癖に、私はこの感情の波に押し流されたままにするのが心地よかった。
鬼の形相とはこのことか、腕の二・三本失ってでも突破しようとする獣も、誰よりも純粋な神力を身に纏った私に触れることどころか近寄ることすら叶わない。
「シルティナァァァアァァああ゛ぁ゛……nッツ!!!!!」
血だらけに伸ばされた手は可視化された濃密度な神力によって遮断され、私を散々に苦しめた忌まわしい力が初めて私を守った。
そんな呆れる事実を実際に体験して、最初からこうしていれば良かったさえ思う。本当に、最初からやり直すことができるのならば…。
そしたら鳥籠に入れられることも、羽をへし折られることも、瞳を抉り出されることも、肉を引き裂かれることもなかったのだと、今更ながらに思ってしまうのは人間として残るほんの少しの後悔か。
あぁ、くだらないや…。そう思って見上げた空は、この惨劇には分不相応なぐらい綺麗な青空が広がっていた。
追伸 シルティナは自分の心の思うままに神力の放出を引き上げましたがもし躊躇していた場合即刻オルカ達に押し詰められて普通に詰んでいました。
これぞ手段を選ばない最高の主人公! 私の理想の聖女様(*^^*)!