その頃の小さな弟
・ 【ノース視点】です。
【聖女】様がいなくなった。
一月前まで数日置きに連絡が来て聖女様との交流があったのに対し、今は丸きり連絡がない。
最期に公務以外で聖女様に会った時、明らかに酷く疲れた様子で何かに怯えているような目をしていた。
今では声はかけられずともたまに公務で見かけることがあるが、何故だか隠しきれない違和感に僕は侵されている。
誰もが疑問を抱かず日常化するその風景に、僕の心の奥底で叫びあげている猛烈とした違和感。
直接調べることはできなくても、遠目からでも分かってしまう、本来であれば絶対にあってはならない疑惑。
僕を救い、家族として大事にしてくれた聖女様の消失と【聖女】と偽り聖女様の模倣をする偽物の存在。もしこれが事実であれば神殿内を揺るがす大事件に他ならない。
でも、僕ですら違和感の持つことを他の誰もが気づかないことなんて本当にありえるのか。その答えは否だ。
世話付きの神官や聖女様と少なからず親交のある教皇閣下、そして何よりあのオルカ大神官が気づかないはずがない。
それならば僕の気にし過ぎだとでも言うのだろうか。【聖女】様のすり替えなどという事実は最初からないと、言うのだろうか。
最近ようやく常時召喚が可能となった眷属の黒猫アウノラを抱き抱え、聖女様と一緒に過ごした日々を思い返す。
決して色褪せはしない日々。そして僕の人生に初めて色というものを着けてくれた聖女様との初めての出会いを…。
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「…遅くなって、本当にごめんなさい」
初めて聖女様に出会った時、当時の僕はガリガリに痩せて薄汚かったにも関わらず膝をついて頬に手を当ててくれた。
その触れられた手から伝わる温かい鼓動とともに慢性的に感じていた肉体的な痛みは消え去り、その手の主が天からの救いと気づくまでそう時間は掛からなかった。
それからも僕の我儘を聞いてくださって、神殿で暮らし始めた後も変わらずに面倒を見てくれた聖女様はいつも思いやりを持っていた。
聖女様は、優しくて温かい。誰に対しても平等に接し、微笑みを絶やすことがない。だからこそ、危ういと僕は思った。
【完璧】であり続けることがどれ程難しいか孤児でありながら『精霊使い』となった僕には分かる。たった一瞬の隙が命取りになるほど閉鎖的なこの場所で、一度も聖女様の悪い噂を聞いたことがない。
身分が下の者と接する時、お酒に酔った状態である時、仕事が溜まって休みが取れない時、人は決まって周囲に自身の苛立ちをぶつける。
どれだけ口を閉ざそうが人の口というのはあまりにも軽く、それ故に生活しているだけでも数多くの噂が入ってくる。中には根も葉もない噂もあるだろうけど、一度もその情報源として上げられないのが聖女様だ。
その崇高な地位にあるからかもしれないけど、きっと皆分かってるはずなんだ。あの人はとても綺麗で、言葉で語り尽くせるような人じゃないということを。
仮面やローブでいくら隠しても存在から滲み出る高潔さは隠しようがない。神殿に入って色んな人を見て、僕の世界は広がったけど未だ聖女様を超えるような美しい人は知らない。
皆が崇め立てている。神の化身と言っても変わらない、生きた現人神。聖女様を忌避していた人が辿る道はいつも二択だった。
忽然と消えていなくなるか、その毅然とした姿に惚れ込み盲信的な信者と化すか。だけど例え後者でも、無事翌年に姿を会わせたことはない。
本殿から地方の教会に左遷されたか、それとも…。こんなことを考えてしまうのも神殿の裏側に足を踏み込んでしまっている証拠に違いはない。
もし下手に勘ぐりを入れていると報告されてしまえば僕の命が明日まで持つかすら疑わしいこの魔境だ。
そんな常人にはとても耐えられないほどの緊張感の中で日々を過ごす強烈な圧迫感。その全てを抑え込んで座る【聖女】の座に、聖女様が望む幸せは本当にあるのだろうか。
少なくともあの日、崩れ落ちるように膝をつき泣き伏せた聖女様の姿を見ればきっとない。
極々稀に見せる、壊れかけた姿を見るたびに胸が張り裂けそうになり優しく気高い聖女様が声も上げずに涙を伝わせるその姿が秘められた神殿の闇を垣間見せる。
誰にも弱音を吐くような方じゃないのに、ある日を堺に崩れた姿を露わにした。
光を失った瞳に死にそうな表情で「…つらい」と涙を流すのだから、聖女様が抱える『それ』は僕なんかでは到底理解もできないようなことなんだろう。
聖女様が抱えきれないようなこと、そしてそれをするにあたって聖女様を害する存在がいること。その事実をこの神殿では恐ろしい程完璧に隠しきっている。
聖女様に神殿へ迎え入れられ、最初に言われた言葉。『本当の意味では誰にも心を許してはいけない。此処は恐ろしい怪物が住み着く巣窟だ』、と。
孤児であることを見下す貴族出身の神官のを案じての事だと思っていたけど、それが全く別のことを指していたと気づくには少し遅過ぎた。
まるでもう二度と戻れない地獄につれてきてしまったと言わんばかりの後悔と同情を含んだ眼差しで僕を寝かしつけた聖女様は、あのとき何を思っていたのだろうか。
時折見せる寂しく傷ついたような顔は過去を繰り返す悲しみだというのか。聖女様自身に聞かなければこの謎の正体は永遠に神殿に潜む怪物によって葬り去られてしまうだろう。
それでもあの方は絶対に隠し貫き通す。僕には守らせてくれず、一人で全てを抱え込む。限界まで抱え込んで自らを犠牲にし終わらせるつもりであることは薄々気づいているのだ。
「大きくなったね…、ノース」
「…聖女様?」
「もう守ってはあげられないけど、ちゃんと頑張るんだよ」
お願いです、聖女様。待ってください。何もかもを一人で背負わないでください。その一握りでも僕に明け渡してください。
それすらも許してくれないのなら…、どうかそのように無理をして笑わないでください。辛いときは心に従って涙を流し泣いてください。
聖女様のたおやかに微笑む表情が一番見慣れているはずなのに、僕にはいつも苦しそうに見えていたんです。だから、だからどうか、自分の心を偽ってまで【聖女】を貫かないでください。
あんな遅い時間帯に一人、人気の少ない離れで誰かを待っていた理由も、滲むように泣き腫れた目をしていた理由も分からず地に足をつく人間とは思えないほど軽い足取りで去っていった時、追いかければ伸ばした手がそのまま聖女様を消してしまう気がした。
最期の別れが言わんばかりに無理に取り繕ったようなほほ笑みでぎゅっと抱きしめられた強い感触は嘘のようにあの夜の名残すらも消してしまった。
何一つの記憶を残さないように、抱きしめ返そうとしてもするりと抜けて…。
僕の命よりも大切な人。初めて優しさを、温もりを、居場所を与えてくれた母のように強く姉のように進むべき道を示してくれる人。
貴方がいつか心の底から笑えるように、もう二度と悪夢に脅かされないことを願ってる。これ以上僕のたった一人の家族が悲しみで喉を枯らさないように…。
ノースの年齢は現時点で11歳(うろ覚え)とシルティナと大体4歳差です。
思いつきで執筆したキャラですがこの年齢差なら今後のシルティナの相手役にどうかなとも考えたことがあります。でも基本これ恋愛系(?)じゃないし家族間のほのぼのがテーマなのでボツにしました。
これからノースの扱いをどうしようか構想中ですが味方なら影でのサポート役、敵ポジなら光堕ちもいいと思ってます。
五章から展開全く決めてないので今後キャラの性格が激変することもあると思いますが男キャラは信念を貫いて全うにクズにするつもりなので今後とも御愛読よろしくお願いします。