欺(あざむ)かれた心
…私の生きる【全て】。貴方は私の心臓で、永遠に手に入れることのない唯一。そんな貴方が、どんな運命か私の目の前にいる。
この衝撃を、どう言葉にできようか…。いや、できるはずがない。私の【全て】が私を殺すと知ったとき、人は否応なく壊れるという選択肢以外持てないのだから。
後ろにあるテーブルに手をついてなんとか体勢を保っているが、その手もガタガタと震え後が持つかと言えば心もとない。
こんな時だけは上半分だけでも仮面で顔が隠されていることに感謝する。
もしも素顔を全てさらけ出していたのなら、この異常事態を観衆の面前で晒してしまう結果になってしまっただろうから…。
私の突然の挙動には人目が集まり、自然とその視線の矛先である彼にも注目が集まる。
彼の周りにいる臣下や皇女が何事かと此方へ視線を向け、渦中の中心に巻き込まれた彼は微動だにせず私の目線を冷めた目で見下ろした。
対して私も彼と同様、オルカや他の上級神官に幾ら声を掛けられようとその視線を外さない。
貴方は九年前とは全く別人の姿形で、それでもなおその存在が私の心を大きく揺さぶっている。
私だって、どんな形であろうと貴方をもう一度この瞳に映せたことが死ぬほど、もう死んでしまいたいと思うほど、…嬉しい。
誰よりも会いたくなかった貴方が、私が何よりも望んでいた貴方が、…ッ。
…だけど九年ぶりに会った貴方は、絶対に許されない至高の座に座っていた。貴方は私を裏切った。私を欺いた。貴方は、私を殺す【皇帝】だった…。
現実を受け止めるだけの余力はなく、思考が安定しない。
ねぇ、なんで…ッ? 貴方だけは、貴方だけは私を裏切っちゃ駄目だったのにっ…!!!
私がなんとか保っていたずたぼろの世界はグラグラと大きく揺れて、悪魔と毒を吐いた男にすら身体を任せている。あぁ…、本当に。…最悪だ。
「ォル、カ……っ。助けッ……、タスケテ…っ」
誰でもいい。縋る相手に後を託して、ふっ…とそのまま意識を飛ばした。
気を失った私の身体はオルカの胸の内に収まり、彼が最後までどんな顔をしていたのか、確認する術はなかった。
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私が次に目を覚ました場所は、真っ暗なベッドの上だった。豪華な天蓋が付いたベッドは、あまり見覚えがない。
それでももう思考する気には到底ならず、生きる気力がすっかり抜けた生きる屍の様に天蓋を見つめた。
右手には人肌の体温がともっている。それが誰のものか、詮索する気はさらさらない。どうせその手の主は決まっている。
ふと外を見るともう太陽は沈み夜が明けていた。建国パーティーが始まったのは確かお昼だから、どれだけ眠っていたのだろう。
「……………シルティナ」
ほの暗く、掠れた声で私の名前を呼ぶのは、…オルカだった。私の目覚めに気づいたのか、伏せていた顔を上げて獣の目で私を捕らえた。
私はその視線から反らす気にもなれず、じっと目線を会わせる。少しクマができていて、見るからにやつれているのが分かる。
それでもパーティーと同じ衣装な為日付は変わっていないのだからどれほど精神的負担が大きかったのか…。普段ならいい気味だと嘲笑うが、今はもうそんな気は起きない。
「シルティナ…、皇帝とはどんな関係なの?」
ドロドロに混じった、ヘドロよりも濁った瞳から見せるのは強い嫉妬。それはきっと、私が最後に放った言葉にあるのだろう。
オルカがどんなに酷い所業を行っても【助け】は乞わなかった。それが私の意地のようなものだったから…。
どんなに痛くても、どんなに苦しくても、どんなに涙を流して叫んでも、『たすけて』の四文字だけは心に留め頑として口に出さなかった。
…それを言ってしまえば、また私は弱く、守られることを望む弱者になってしまうから。
そんな自分になることだけは許せなかった。あの人の記憶に残る強く自由な私が奪われることだけは、何をもってしても許せなかったのだ。
言ってしまえば落ちぶれた子どもなりの、精一杯の虚勢だった。
だけど今日…、そんな長年貫いてきた意志は硝子のように塵尻に砕け散った。まるで全てが運命の手中であると、今までの努力を嘲笑うかのように…。
私の世界は崩壊した。全ては所詮虚像に過ぎなかったのだ。私が【私】でいる理由も、…もうなくなった。
思い返せば、あの日おじさんは私に向かってハッキリ断言しなかった。皇族と関わりがあることも、自身が皇帝であることも。
私を騙したのか? 違う。私が勝手に勘違いして、身の程知らずにもずっと信じ込んでいただけ。おじさんは何も悪くない。
だからおじさんが私と知らずにあの冷めた瞳で私を焼き殺しても、何も悪くない。悪いのは、勝手に信じて、勝手に裏切られたと感じた私だ。
考えれば考えるほど、自己嫌悪に陥っていく。もし誰かがこの筋書きを予め決めていたと言うなら、本当に性根が腐っている。
いっそ最期までピエロのように踊らされた自分を盛大に笑い転げてやりたい。
笑って、嗤って、ワラって…、このどうしようもない衝動をそのままに暴れさせてやれば少しは気分もマシになるのだろうか。
でももうそんなことをやる気もなく、…疲れた。期待して、頑張って、裏切られる。この繰り返しに、私はもう心底疲れてしまった。
「……さぁ、何のこと?」
長く間を空けて、オルカの質問に答えた。これ以上の詮索は許さないと、壁を作るように。
私の手を握るオルカの手に力が入る。その痛みで少しも眉をひそめるがそれ以上の反応はない。もう無駄に耐える必要などないのに、まだ抵抗するのは長年の習慣か、それとも…。
「シルティナ。ちゃんと、言って」
「今日初めて知った人のことをこれ以上どう言えば良いの? いい加減放して」
捕まれた手を引き離そうしてもビクとも動かない。オルカの瞳には更に怒りが灯り、空気が張り詰めて気分が悪い。
「…それよりオルカ、私の言ったこと忘れてないよね? 第一皇女の件、ちゃんと進められてるの?」
「……できてるよ。だけどシルティナも覚えてる? それができたら俺に全部くれるって」
とっくに無効になったとでも思っていたのか、ピクッと反応した後まるで脅迫するが如く首に手を当てて返事を急かすオルカ。
だけどおかしなことにそれが捨てられるのを恐れて、消え入るような切なる声に聞こえた私はなんと答えれば良いのだろう。
まさか今更捨てられるとでも思ったのだろうか? 私を雁字搦めに鎖で縛って釘を刺しても、まだ私が消えてしまうかも知れない不安に駆られているのならこれ程滑稽なことはない。
見た目以上に弱ったオルカに転がすような嘘なんて幾らでも並べようがあるのに、何故かそんな気にはなれない。
それはきっと、今のオルカに自分を重ねているからだろう。全てを投げ出して捧げた【唯一】に裏切られた私に…。今現在、オルカを欺き続ている私に…。
だから、宿敵だと頭では分かっていようとどうしても突き放すことができない。こんな雁字搦めに絡まった運命の下に生まれてしまったのだから…。
私は貴方が嫌い。大嫌い。貴方の死が私の幸せだと願うぐらい、ずっとずっと憎くて仕方ないの。だけど同じくらい、私と似た貴方を哀れんでいる自分がいる。
もうこれ以上すれ違いたくないと、馬鹿げたことを思うくらい…。貴方に私を重ねている。
いっそ最初から貴方を愛せていれば…、なんてふと思ってしまった時点で堕ちたも同然だと思ってる。
私達、本当にどうしようもないわね…。いつだって傷つく方へ愛情を向けている。愛情が返されない方向に、自らが朽ち果てるまで注いでいる。
だから、絶対にハッピーエンドなんかにはなれないの。私達は【悪役】だから。所詮原作を進めるための駒の一つに過ぎないから…。
もしかしたら本当に貴方も、ただ獣に生まれてしまっただけの被害者だったのかもしれない。
「ねぇ、キスしてみる?」
そう言ってオルカの返事も待たずにそっ…と、私はオルカの唇に自分のを重ねた。いつもの濃密なものでもない、ただ触れるだけのキス。私にとってもそれは大して意味もなかった。
すぐに口を離すと、オルカは耳の端を真っ赤にさせていた。表面上は何てことない顔をして、実際は凄く照れているのが分かる。
「いいよ。私の全部をあげる。だからちゃんと、…私を愛してね」
真っ直ぐと濁った瞳のままオルカを見つめれば、心底愛おしそうに私の頬に手を当て撫でる。端から見れば完全なロマンス小説の一節にありそうな光景だ。
だけど、私はやっぱりオルカと同じ熱を返せない。行き場を失った感情だけが、救いを求めて意味もなく彷徨うだけだった…。
半年前に書いていたものを無理やり手直ししただけなので度々?になるかもしれないです!
どうか温かい目で見てやってくださいm(_ _;)m!