最初の絶望
入場口から階段を下りるとすぐに見知った顔ぶれの貴族がこぞって列をなした。
されど特に親しい間柄でもなければ、あちらも様子見と言ったようで決して深堀りすることはなく適当に相槌を打って話が終わる程度。
何か明確な意図を持って近づこうとした者も私の饒舌な会話かオルカの(物理的な)突然の体調不良で追い出される為秩序を維持しつつも聖国としての面子も守っていた。
しかしこのパーティーの主役はパーティーの予告時間から有に一時間を過ぎても未だ顔を現すことがない。そしてそれがさも当然とばかりに和やかな談笑が繰り広げられる会場。
これが帝国二十九代皇帝カフス・フォン・ラグナロクの影響力。
それは決して彼を軽視しているから出るものではなく、彼こそが全ての決定権を握っているからこそ予定時間に遅れようと全くの問題をなさないということ。
噂や報告書である程度はその実績を知っていたつもりだけど、いざ帝国に身を置き実際に感じるのとではまるで違う。
いくら【原作】の設定があろうと、皇帝にここまで強い権限を持つ国など大陸中を見ても帝国以外存在しないだろう。
『帝国の偉大なる太陽 カフス・フォン・ラグナロク皇帝陛下のご入場です』
ようやくか…と人目顔だけでも確認しようと思ったが、ふと強い視線を感じてそちらへ振り返る。皆が皇帝に向かって頭を下げ視線を向けている中、一人だけ私を盗み見ている人間。
その特徴からして、私は誰だかすぐに検討がついた。ヒロインであり、第二皇女 エルネ・フォン・ラグナロク。初めての出会いのときでは考えられない場所で、私達は今立っている。
そして何故此方に視線を向けるのか少し考えれば分かった。私の隣に立つ男が大方の原因だろう。
パートナーとはいえ互いに節度を持った距離を置くのが通常だというのにこの男は一瞬足りとも離れることなくしつこく私の側に張り付いている。
グラスを交換するときでさえさりげなく何か見せつけるような仕草をするのだから彼女が疑いの視線を向けることはむしろ正常だ。
私が焚き付けたとは言え、この状況では浮気現場を目撃したかのような心境にほんの少し同情する。そうこう考えている内に皇帝の本格的なパーティーの開始が声が響き、またザワザワと賑わいを取り戻す会場。
私はまた貴族達への挨拶を再開しながらたまにエルネに視線を映せば細々とした人数での会話をしているだけで到底強固な派閥を作り上げているようには見えない。
特に会話している面々を見れば全て若い貴族令嬢で成り立っており例えそれが重要な役職を持つ家紋の娘だったとしても実際の影響力で言えば薄いだろう。
「…聖女様。先程から目線がある方へ向いているようですが、気になりますか?」
冷静にエルネの置かれた立場を分析していると唐突な横槍が入った。
私の一挙一動を常に観察しているオルカなら気づくのも当たり前なのだろうけど、その物言いはまるで自分のためにエルネに嫉妬でもしているのかと言うようで癪に障る。
「えぇ。何せ十六年振りに姿を現した皇女殿下ではありませんか。置かれた環境はどうあれ、とても強い意志を持った方で素敵だと思いますよ」
「おぉ。我が帝国の皇女殿下が聖女様にそのようなお言葉を頂けるとは恐悦至極でありますな」
「聖女様が特定の人間に関心を抱く言葉は初めてではありませんか? それがエルネ皇女殿下とはいやはや、嬉しい限りですな」
先程まで談笑を繰り広げていた貴族が私の言葉に喜々として話すが褒めているようで自国の皇女に対する敬遠の念は全く見て取れない。
それにそんな言葉を吐けば隣の大魔王の怒りを買うことは分かりきっているというのに、何も知らず可哀想な人達だ。
案の定彼らは突然と吐き気と目眩がすると言ってその場を立ち去ってしまったが、残されたこの空気をどうしてくれよう。
誰もが納得するような返事を返しただけなのにそれだけで責められる私の気持ちを誰か考えたことはあるだろうか。
いや、もうここは敢えて無視しよう。どうせあとで散々鬱憤を晴らされるのだから今気に病んだ所で仕方がないのだ。
大体の挨拶を終えた後どうせバレているのだからと今度は堂々とエルネのいる方へ顔を向けると、既にその姿はなく何処へ行ったかと探しているとウィイターから赤ワインの入ったグラスを貰い何処かへと目指すエルネを見つける。
何処へ行くつもりなのかと目線を追えば、皇帝の座る壇上まで上がるのが見える。グラスを渡そうと思ったのだろうか。
しかし【原作】で皇帝は本物のエルネを見つけた時点で酒に関して一切手を付けることや止めたはずだ。それ以降大規模なパーティーでも酒を控えているとお描写があった。
まさかエルネを冷遇する以外にも細かな違いが現れはじめているというのか、当初の目的通りそのまま様子を見守り観察を続ける。…そのはず、だったのに。
初めて目にした皇帝に、するりと手をすり抜けたグラスが重力に従って床に落ちた。
パリン……ッ
グラスが地面に触れた拍子にガラスは塵尻に割れ散らばり、高価なカーペットには真っ赤なワインが染みつき始めている。
周囲の人間は何の騒ぎかと視線を向けるが当の本人は意識を切り離したかのようにただある一点を食い入る様に見つめていた。
………………ナん、で…?
私が視線を向けた先にあったのは、焦がれ悶えたあの人…。もう二度と、会うはずのないあの人だった。
ワナワナと半端に開いた唇が震えるのが分かる。だって彼は、此処にいるはずのない、いてはいけない人だ。それも、あの座にだけは座ってはいけない人。
視界が反転したかのように、気持ちが悪い。馬車酔いに似た強烈な刺激が脳を揺らす。
誰かが私を強く掴んで何かを言っているけど肝心な言葉は何一つとして聞き取れず、私は外界と意識が切り離されたように突っ伏していた。
こうしている間に周囲の雑音は一層と広がり、野次馬を集めている。それもそうだ。私は今まで公式の場で一度も失態を犯したことがなかった。一つのミスが自分の立場を脅かす獣への餌となったから…。
だから、皇室の戦勝パーティーでグラスを落としその場の収集もつけないことなんて、あり得なかった。そのはず、なのに……っ。
「……ティナ…。…シルティナ…っ」
私の名前。社交の場では滅多に出さないはずなのに、オルカは人目も気にせず私を呼んだ。それほど切羽詰まっていたのだろうか。その顔からは焦りや困惑、醜い憤怒が渦巻いていた。
大方私の関心を名も知らぬ人間に取られたことに対する怒りだろう。だけど今、そんな彼を相手にしている時間も、余裕もなかった…。
固まった私と、私の名を必死に呼ぶオルカ。元々目立つ私達の騒ぎはさらに広がり最終的に彼の視線さえも、此方に向けられる。
その目は酷く冷めていて、あの日の思い出すらいとも簡単に塗りつぶしてしまいそうで初めて痛みや暴力以外で、恐怖を覚えた…。
ちょっと展開が無理やり過ぎたかも……、。