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ゾンビ男  作者: 野松 彦秋
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どん底から見える景色

令和時代の作者が、昭和を生きた祖父の人生を振り返りる私小説。

私、佐藤信彦はもうじき44歳になるゾンビ(生ける死体)男である。

去年の暮れ、妻子と別居。10年振りに独りになった。


正直、妻に関しては未練もなく、自分と離れる事で私といた時よりも幸せになって欲しいと思っている。

ただ、一番悔しく、後悔しているのが連れていかれた娘である。親を一番必要としてくれる9歳の娘智花は、もう私の手の届く所にはいない。


故郷(中国 広西省)へ帰った妻は、娘の状況は何も伝えてこない。

私のほうから、聞けば教えてくるのかもしれないが、何も伝えてこない妻の心の根底にあるものを

恐れ、またそれから始まる彼女とのお互いを傷つけあう闘争の日々を想像し、連絡をつける事ができない弱い男である。


何時、再び娘と会えるのかわからないが、一つ確実に言えるのが父親を無条件に信じてくれる9歳の娘とはもう2度と会えない現実を考えると正直消えてなくなりたいと思う時がある。


独りでの生活が始まった日から、今日まで自分の人生での出来事がすべて虚しく思う日々が続いている。

私は、今の状況に絶望している。こんな自分は生きている価値があるのかとも思う。

思い描いていた人生と、今の状況の差は何なのかと真剣に思い悩み、今後生きていけるのかという問いに対し全く自信が沸いてこないのである。


今私は、今後人生を生きていく為に方向性を見失っている状況である。

娘がいる時は、娘の成長が自分の生きる目的を与えてくれた。

智花ちゃんのお父さんという名称が私の心地よい呼び名であった。


今は何もなくなってしまったのである。

極端に言えば、私は生きる目的を失った者、唯『生きている亡者ゾンビ』のような存在である。


私が死に行くその日まで私は、ゾンビ男であり続けたくない。ただそうなる可能性も決して低くない。

現状を変えず、変えようという努力をしてない自分を考えると、もうその道しか無いのかとも思う。


娘を見送った日から、半年間、寂しさを紛らわせるように仕事をこなしてきた。

仕事場と家を往復し、独り食事をして寝る、朝起きると仕事が待っている。仕事をする時間が、孤独から解放されるのである。


独り家に帰り、食事をする時だけ、唯働いているだけの自分の人生を空しく感じる時がある。

虚しさを感じれば感じる程、その日の酒量は増えるのである。

そんな日を何日か過ごしたある日から、私は10年以上前に亡くなった祖父の事をよく思い出す様になった・・・・。



祖父の名前は、三郎。








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