第2章、おかしな休日③
「私たちは、こちらでお食事の用意をさせて頂きます。」
使用人の一人が三人の元へやってきてこう言った。
「分かった。僕たちが捕らえた魚もいくつか焼いてくれ。ああそうだ、立派なやつは夕食用に除けておいてくれ。」
「かしこまりました。」
こうして、使用人たちは三人の傍を離れた。
「どうしますか、お昼ご飯まで。」
クレーメンスはアスカルトに問う。
「そうだな…。持ってきたお弁当があるから、魚を焼くくらいで大した時間は掛からないだろうからな…。」
「あまり離れず、時間を潰せそうな場所なら……、この崖上の小さな花畑じゃない?」
シェラトリスは、すぐそばにある、少し険しい崖のてっぺんを指差した。
「今の季節季節なら、珍しい植物が生えているかもしれませんね!」
クレーメンスは乗り気なようだ。
「よし、あそこに行こう。」
「「「―――土よ」」」
三人は一斉に魔法を使用する。
三人の魔力を帯びた言葉に反応して、足元がボコボコと盛り上がり始めた。
「「「道となれ」」」
ゆっくりと盛り上がりが大きくなる。
足を踏み出すごとに、そこに土の足場ができる。三人は崖上を目指して歩き出す。
クレーメンスの慎重な足取りに、シェラトリスとアスカルトは歩調を合わせ、その後ろに付いていく騎士たちもゆっくりと足を進める。ただ一人、安全を確かめるためにロウランドだけは先へ進んだ。
「大丈夫です。」
一通り見渡し歩いたところで、ロウランドは三人に声を掛けた。
クレーメンスは早々と地に足を着けた。その後をアスカルト、ロウランドに手を差し出されたシェラトリスが続く。
「すてきな所ね!」
「ええ、風が気持ちいいです!」
シェラトリスとクレーメンスがはしゃぐのをよそに、アスカルトはなぜかしゃがみこんでいる。
「どうしたんですか、アスカルト様。」
屈みこんだロウランドに、アスカルトは勢いよく何かを吹き掛けた。
「うわっ!!」
ロウランドは得体の知れない粉のようなものを被る。
「何す―――っくしゅ!!」
ロウランドは何か言いかけて、くしゃみを始めた。それも、なかなか止まらない。
「まあ、何をしてるの、アスカルト!」
ロウランドのおかしな様子に気付いたシェラトリスは、アスカルトに問う。
「これだ。」
ニヤリといたずらっ子の笑みを浮かべて見せたのは、くしゃみが止まらなくなることで有名な植物だった。その植物に向かって息を吹きかけると、タンポポの綿毛のように粉が一斉に飛び散り、それを鼻や口に入れてしまうと、くしゃみが止まらなくなる。
「子供みたいなことをされますな、アスカルト様。」
老騎士が愉快そうに笑って言った。その間もずっと、部下はくしゃみをしている。
「ロウランド、これを。」
クレーメンスは、持っていた植物を差し出した。まさに今、採取したばかりのもので、異物消しの効果を持つ。
「ありが…っ、ございます。」
ロウランドはくしゃみをこらえながら受け取り、それをすぐさま口に放り込んだ。
「…。」
呆れた目で、シェラトリスはロウランドとアスカルトの二人を見た。
「からかうのも悪戯するのもほどほどにね。」
「何のことだ?シェラトリス。」
アスカルトは、満面の笑みを浮かべる。
「はあ…。息ができなくなるかと思った…。」
一人呟くロウランド。すぐに表情を改め、クレーメンスに礼を言う。
「ありがとうございました、クレーメンス殿下。おかげで助かりました。」
「良かったです、ロウランド。ちょうどシェラトリス様と摘んでいたので。」
「なるほど…。シェラトリス様、ありがとうございます。」
「ふふふ。まさかすぐに役立つなんてね。」
老騎士は、ロウランドの背をバンバンと叩いた。
「まだしばらくは渡さなくても大丈夫でしたよ。」
楽しさを隠さずそう言い放つ上司に、ロウランドは何か言いたげな目を向ける。
「そうだぞ、クレーメンス。渡すのが早すぎだ。」
アスカルトは老紳士の冗談に乗った。
「それは悪ふざけが過ぎるわよ、アスカルト。」
シェラトリスがたしなめるように言ったが、その顔は呆れかえった表情だった。
実は、アスカルトとロウランドは乳兄弟である。
ロウランドの母は、ロウランドの妹が生まれた一か月後に、アスカルトの乳母として王宮で働いていた。そのため、アスカルトが少し大きくなってから、遊び相手としてロウランドが選ばれた。五つ年上のロウランドは、遊び相手にしては少し年齢が離れていたが、ゆくゆくはアスカルトの騎士にと、周囲から期待されていた。
今でこそ公の場では、主従の関係として少し距離を取った態度を取るが、子供の頃の感覚は今でも残っている。それゆえプライベートでは、くだけた調子で接している。
このような状況に慣れていたシェラトリスは、アスカルトとロウランドが何か揉め始めたのを放って、老騎士―――ジェイクに向き直った。
「困りますわ、ジェイク。」
そう言いながらさほど困っていないようなすましたシェラトリスの様子に、ジェイクは笑った。
「申し訳ございません、シェラトリス様。」
ジェイクもまた、さほど申し訳なさそうに謝った。
ジェイクはアスカルト付きの騎士を束ねる隊長だ。
アスカルトがクロノタトン家に住むことになった時も、ジェイク率いる騎士隊・アクアは付いてきた。そのため、アクア隊とクロノタトンもまた気心知れた仲である。ちなみに、ジェイクがアクア隊の中でも特にクロノタトンと仲がいいのは、白髪の妻と娘がクロノタトン家で働いており、アスカルトの騎士となる前からお世話になっていたからだ。
「もうっ、お二人のことなんて知りません。シェラトリス様、行きましょう!」
クレーメンスがシェラトリスを呼んだ。シェラトリスとジェイクのやり取りの間にも、アスカルトとロウランドのからかい合いに巻き込まれていたため、少しうんざりした様子だ。
「そうね、あの人たちはおいていってしまいましょう。」
シェラトリスは笑顔で返した。そして、崖を降りるために二人は魔法を発動させた。
「お二人ともー、クレーメンス様とシェラトリス嬢に置いて行かれますぞー。」
ジェイクが声を張った。
二人はすぐにクレーメンスとシェラトリスの後を追った。
崖の下からは、いい匂いが漂っていた。
「アクア」は、「アスカルト・クルシェン・アーチェスト」の頭文字から。王族はそれぞれ自分の騎士隊を持っています。もちろん、クレーメンスもあります(ククア隊)。
ちなみに、アスカルトのフルネームは一度だけ登場しましたが、覚えていた方はいるでしょうか?
〈追記〉
「クロノタトン家」と言った場合は、シェラトリスたちクロノタトン侯爵家の血筋の者、もしくは屋敷そのもの、「クロノタトン」と言った場合は、シェラトリスたち+クロノタトン家に仕える使用人たち、というように使い分けて書いています(たまに表記ミスしているかもしれませんが…)。