第6章、用意されたアドリブ④
今回は「魔女の敵」はお休みです。
思わずクレーメンスの腕を引き、後退させるシェラトリス。レイベルもとっさに二人の前に出て庇うような姿勢を取った。
しかし、三人は何も心配する必要はなかった。
「こらっ!」
そう言ってレイジオンの襟を後ろから掴み、馬車の中へと引き戻した人物がいたからだ。
白髪に紺色の目というシェラトリスによく似た色で、シェラトリスは一瞬だけ自分の親戚かと考えた。シェラトリスの兄と言われても納得しそうな色の近さであるが、顔は全く似ていない。
さて、なおもクレーメンスに手を伸ばし暴れるレイジオンに、その人物は…
「これを食べてください。ほら、甘いマカロンですよ。」
有無を言わさず、ピンク色のマカロンを口へ突っ込んだ。
「むぐっ。」
レイジオンがもごもごと口を動かしている間に、シェラトリスたちは手招きされて慌てて馬車に乗り込む。
「…。」
やがてレイジオンは大人しくなった。ぼーっとどこかを見つめている。
「―――初めましてシェラトリス・クロノタトン様、クレイ・クロノタトン様、レイベル・スティルグ様。」
レイジオンの首根っこを掴み、あまつさえお菓子を口にねじ込むという荒業をしたその人物が、話を始めた。
「私のことはヴァリオとお呼びください。レイジオン殿下専属の医者です。」
「ヴァリオ様…ですか、先ほどはありがとうございます。」
クレーメンスは努めて初対面を装った。先ほど兄に飛びつかれそうになった瞬間に助けてもらった時は、思わず「ヴァリオさんありがとう」と言いそうになったが。レイジオンの行動はいつも突飛で驚かされる。
「いえ、あれが私の仕事ですから。…先ほど殿下に差し上げたマカロンは鎮静剤の入ったものです。効果はあまり長くは続きません、あまり強いものを摂取し続けると身体に悪いので。」
そう言ってちらりと隣のレイジオンを見た。
レイジオンはぼーっと窓の外を見ていた。
「今回、私も同行することになりました。男が増えてクロノタトン嬢は気が休まらないとは思いますが、出発の際にはレイジオン殿下専属の女性騎士が二人増えますので、もうしばらくご辛抱ください。」
ヴァリオが告げた通り、出発直前に女性騎士のアドリーヌとアーサラが乗り込んだ。アドリーヌはレクア隊の隊長で、アーサラはその従姉でレクア隊の副隊長である。レイジオンの狂人ムーブに随分慣れている。
こうして、レイジオン、シェラトリス、クレーメンス、レイベル、ヴァリオ、アドリーヌ、アーサラの七人は、混沌とした一日を共に過ごすことになった。
それはそれは酷く奇妙な時間だった。長時間、閉鎖空間で狂人と過ごすというのは、それはそれは大変な苦行である。
まず、出発してから十分後には薬が切れてお喋りになった。
クレーメンスを「天使様」と呼び、天使の羽根で作ったというクッションを使うよう「女王陛下」のシェラトリスに献上した。王子に跪かれて困るシェラトリスの助けに入ったヴァリオに向かって「お祖父様、英雄の話をしてください」と要求し、話が終わったかと思うともう一度と催促した。それが七回も続いたため、ヴァリオの声はすっかり枯れてしまった。
ヴァリオが喉薬を飲んで休んでいる間、「飽きた」と言って空を飛ぶ馬車のドアを開けて降りようとした。ドアには難しい魔法がいくつも重ねて掛けられていたはずだが、それを無理矢理にも解錠してしまった。
騎士とレイベルで必死に止め、シェラトリスとクレーメンスはレイジオンの口に鎮静剤入りのマカロンを口に入れた。その際、「もうお菓子は要らない」と頑なに口を開かないレイジオンに食べてもらうため、「とってもおいしいですよ」とシェラトリスは自ら同じ物を食べて見せた。
意識が薄れるシェラトリスを、騒ぎに気付いて戻って来たヴァリオが回収し、その隙にクレーメンスがレイジオンの口にマカロンを放り込んだ。
その十分後。正常に戻ったシェラトリスは軽くヴァリオらに説教されたが、レイジオンがお喋りに戻ると、皆が警戒態勢に入ってそのことを忘れた。
「お腹がすいた」と言うレイジオンにサンドウィッチを差し出せば、「これじゃない」と駄々をこねてキャンディーを用意させ、サンドウィッチに挟んでガリガリ音を立てて食べ、シェラトリスとクレーメンス、レイベルの三人はドン引きした。
その後、「喉が痛い」と言って炭酸ジュースにマスタードを入れて飲み始めた時は、三人の顔が真っ青になった。
その後しばらくは黙っており、急に大人しくなったと逆に警戒するシェラトリスらだったが、「歌を歌って」とレイジオンが騎士に頼むと、デスボイスが響く激しい歌にも関わらずすやすやと寝息を立てて寝始めたレイジオンに呆気にとられ、薄ら恐怖を感じた。
レイジオンが寝ている間にと、六人は急いで昼食を取ったが、レイジオンは三時間も昼寝をした。
起きたのは唐突で、まだ寝ていると思っていたところ、いきなり立ち上がって「ハーシュ様、万歳」と白ノ魔女を讃える演説を始めた。白髪の一族であるシェラトリスの前で大罪人を讃える行為に周囲はぎょっとしたが、シェラトリスはただただ疲れて眩暈がするだけだった。
このように、シェラトリスたちは、絶えずおかしな言動を取るレイジオンに思考を乱された。
長くて半日程度の行程を一日掛けて移動したのだが、もし休憩を一時間ずつ交代して取るようアドリーヌが勧めてくれなければ、シェラトリスたちも気が狂って、レイジオン同様、「空に浮かぶ城に行ってみたい」などと口走っていたことだろう。
到着して早々、少し疲労が見える顔でヴァリオは、
「私とレクア隊で殿下を監視していますので、お三方はクロノタトン侯爵夫人とスティルグ伯爵の元へ行って休んでください。シルバーベルズ城の警備体制が整い次第、私たちも他の者と交代します。皆様、本当にお疲れ様でした。」
と言って、労うように微笑んだ。
アドリーヌとアーサラの二人に至っては、全く疲れを見せない。さすが、いつもレイジオンの相手をしているだけある。
一方、笑顔を取り繕うことすらできないシェラトリス、クレーメンス、レイベルの三人は、その言葉に喜んだ。三人がどれほど体力と精神を消耗したかと言うと、ヴァリオからのありがたい申し出に、シェラトリスとクレーメンスが涙を溜め、レイベルが天を仰いで小さくガッツポーズをするほどだった。




