第5章、再び王宮へ⑤
「…っ!!?」
シェラトリスは後退りした。
「大丈夫じゃ、クロノタトンのお嬢さん。その鎖と護符を剥がさねば魔法など使えん。」
アーリンが落ち着いた声で告げる。
(いや…。)
シェラトリスは怯えた顔で周囲を見る。その手が〈古書〉に伸ばされる気配はない。
「取りなさい、シェラトリス。」
エングレンは静かに命令した。シェラトリスが嫌がろうとも、確かにその〈古書〉はシェラトリスのものになってしまったのだ。
〈書〉を持つことは全国民の義務である。これは、ハーシュの時代に〈書〉を持っていなかった平民の多くが抵抗することもできずに死んでいったことから生まれた法だ。
(いや…っ!!)
信じられない物を見る目で〈古書〉から目を離さず、首を振るシェラトリス。明らかな拒絶。シェラトリスがここまでうろたえているのを見せるのは珍しい。
「―――クロノタトン侯爵令嬢、取るんだ。」
ロードリーの“王としての”命令。
さすがにそれは拒否できなかった。
震えながら腕をそろそろと伸ばす。しかしその手は、〈古書〉との距離三十センチメートル以内には入ることができない。足が、動かない。
(何で…何で、ハーシュのなのっ?)
心臓の音が聞こえるほどの、上手く呼吸ができないほどの、恐怖。
涙が乾くほどの、噛みしめた唇から血が滲むほどの、憎悪。
(どうして私が、“白ノ魔女”の〈書〉を……!!)
これがただの〈古書〉なら素直に喜んで受け入れただろうし、他の〈禁書〉でも、仕方ないと諦めて受け入れただろう。だが、ハーシュの〈古書〉だけは。
(どうして、どうして“白ノ魔女”が……!!)
幼い頃から迫害を受ける“白ノ魔女”が、よりにもよって、その元凶である魔女の〈古書〉を。
「―――シェラトリス。」
不意に温かな手が自分の腕を掴んだ。
「……アスカルト。」
アスカルトは優しい笑みでその手をリードした。
「大丈夫だよ。」
一歩。
「僕らがいる。」
また一歩。
「君に降りかかる禍があるのなら、僕らが取り除く。」
ダンスに誘うかのように自然に。
「君が悪に吞み込まれそうなら、僕らが闇を払う。」
ゆっくり、ゆっくりと。
「―――大丈夫だよ。」
シェラトリスの手が、〈古書〉に触れた。
「……。」
鎖の冷たさ、紙の乾き。ただそれだけが伝わる他、何もない。
見た目がおどろおどろしいだけの、ただの本。
アスカルトの手が離れた。しかし、まだ傍に付いていてくれるらしい。肩へとその手は移動した。
友人の頼もしさを感じながら、シェラトリスは〈古書〉を手に取った。
「悩まないでくださいね。」
「心配しないでください。」
「安心せい。」
ロマとメイシーとアーリンの三人が、〈古書〉とシェラトリスの手に触れた。
「シェラトリス。」
名を呼ばれると同時に頭に軽い重みが。見上げると、シェラトリスの頭に手を乗せたロードリーが微笑んでいた。
シェラトリスは渋々決意した。この〈古書〉の新しい主になるとことを。
「〈悪を断ち切れ〉」
「〈善となれ〉」
「〈新たな風よ〉」
「「〈栄光をその手に〉」」
眩い光と共に、鎖が外れた。
風と共に、護符が散った。
―――現れたのは、邪悪さの欠片もない、何の変哲もない灰色の〈古書〉だった。
(えっ……。)
派手な差し色も飾りもない、ただの灰色の〈古書〉。
シェラトリスは拍子抜けした。大罪人の〈書〉ならば、もっと派手か、おどろおどろしいものだと思っていたのだ。先ほどまでの封印状態の方がよっぽど恐ろしい。
「〈古書〉に惑わされず、お前がしっかりしなさい。」
エングレンが静かに告げた。
シェラトリスははっとして〈古書〉を見つめた。
そして、強い信念を持って返事をした。
「はい…!!」
(私は、お前のようにはならないわ。)
それは、大罪人ハーシュへの挑戦のような決意だった。
〈追記(2022年8月10日)〉
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