第3章、待ちに待った日⑤
「おめでとうございます、クロノタトン様。」
ほとんどの生徒が〈書〉の扱い方について指導を受けるためにホールに残る中、教室に戻ろうとしていたシェラトリスに一人の生徒が声をかけてきた。
「スティルグ様も、おめでとうございます。」
「ええ。これから、〈古書持ち〉同士、よろしくお願いします。」
そう言って緑目の青年はにこりと笑った。
シェラトリスとは別のクラスに所属しているレイベル・スティルグという名のこの青年は、シェラトリスの後に〈古書持ち〉だと判明した人物だ。スティルグ伯爵家の長男であり、学校では学年主席として有名だ。
家が代々、白髪の魔女を迫害から守ろうとする〈白擁護派〉であることもあって、周囲から少し浮いている。その上、レイベルはスティルグ伯爵家の正当な血筋ではないという噂もあり、シェラトリス同様、他生徒から良い扱いをされていない。
今まであまり関わったことがないが、数少ない〈古書持ち〉同士として、これを機に親睦を深めたいのだろう。
「オリジナルの〈書〉が持てなかったのは残念ですが、〈古書持ち〉だと知れたのは嬉しいですね。」
「ええ。家族に自慢できます。」
レイベルははにかんだ。
「それにしても、今年の〈古書持ち〉が一人でなくて良かったわ。心細いですもの。」
「ええ、本当に。…そういえば、今年はもう一人いましたね。」
「私はその方の名前を知らないのだけど、スティルグ様はご存じですか?」
「いえ、私も詳しくは…。ただ、同じ学年ではなさそうですよ。」
その時、後ろから足音が近付いてきた。
二人が振り返ると、そこには痩せた小柄な娘が。肌は白く、少し顔色が悪そうだ。しかし、黒い目が何か訴えるように見つめていた。
シェラトリスは、声をかけてみることにした。
「ごきげんよう。」
「ご、ごきげんよう…。」
か細い声の返事。
「私たちに何かご用でしょうか?」
「は、はい。」
娘は礼を取った。
「ワタシはメロディ・アンドロと、申します…。先ほど〈古書持ち〉だと判明したので、お二人とお近付きになれればと…。」
聞きなじみのない家名。シェラトリスは自分より家格が低いのだろうと察した。この国では、基本的に、同格かそれ以上の家名は必ず覚えることになっている。
「ありがとうございます。私はシェラトリス・クロノタトンです。」
「レイベル・スティルグです。どうぞよろしくお願いします。」
レイベルの態度から、メロディの家格はレイベルよりも低いようだ。
そして三人は、歩きながら話し始めた。
「大丈夫ですか?具合が悪いようですが…。」
シェラトリスが尋ねると、メロディは困ったように微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。ですが、いつものことなのです。ワタシは身体が丈夫ではないので…。儀式も本来なら昨年に受けるはずでしたが、つい最近まで学校に行くこともできず、一年遅れてからとなってしまいました。」
シェラトリスとレイベルの二人は、メロディの学年が異なるにも関わらず儀式に参加していた理由が分かった。
「ワタシはここで失礼します。またお話しさせていただければと存じます。」
「ええ、ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
学年が違えば教室の場所も違う。メロディはまもなく二人から離れた。
しばらくしてレイベルが口を開く。
「…思い出しました。アンドロは子爵家ですね。あの家は昔、騒動があったと聞いたことがあったので、少し覚えていました。」
それを聞いて、シェラトリスも少し思い出した。
(幼少期に騒がれていた子爵階級での事件…。ある家の一人息子が財産の多くを持ち逃げした事件かしら。だとすると、現在も行方不明のその人物は、きっとメロディの父親ね。)
「そうでしたか。」
メロディもまた苦労人のようだ。そう思いながら、シェラトリスは相槌を打った。
そんな話をしていたところで、六年生の教室があるエリアに到着した。
「では私はここで失礼します。」
「ええ。ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
二人はそれぞれ、誰もいない教室へ入って行った。
この時はまだ、多くの者が知らなかった。
これから多くの事件と厄災に巻き込まれるシェラトリスの運命を。
それを予感していたのは、ただ一人。
その人物はいつも、シェラトリスを近くで見守っていた。