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⑵『観念の破綻と再生』
⑵『観念の破綻と再生』
㈠
自己の観念が破綻すると言う、或る不可思議から、我々は難しい世界へと没入するのである。それは、少なくとも、小説家にとっては、とても危険な瞬間なのであって、観念の破綻の先に、恐怖が入り混じって、どうにもこうにもならないという、不可能の壺に入ってしまう。
㈡
それにしても、海岸沿いなどを起想すると、絶えず絶え間ない波の音が、耳に入って来るような、不可思議な感覚に陥ることが、どうにも心地よいことが、観念では謎の現象である。観念が捉えているのではなく、身体が捉えていることを、何故か、観念で文章にするという、錯覚がある。
㈢
そしてまた、その聴覚は、感性を再生していると言えるだろう。無作法に取りざたされた、感覚的思念は、不可能という可能に置いて、実験的に破綻と再生を繰り返すことで、脈々と我々の先人から後世に渡って、受け継げられて行くことが、美的要素の印なのである。