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代行人生

作者: 蒼乃小春

もし自分がもう一人いたなら貴方は何をさせますか?


 

 大都市東京。その中でも都心五区の一つとして数えれる渋谷にその店はある。大通りから一本横道に入っただけで極端に人通りが少なくなる道。その道を進むと何の変哲も無い飲食店が見えてくる。飲食店と隣の雑居ビルの隙間から伸びる道を進む。壁を這う無数の配管は所々煙を吐き、ゴウンゴウンと唸る室外機は仁王の様な圧迫感を覚え、窮屈さをより感じさせた。路地を突き当たりまで進むと道が左右に分かれている。

「確かここを……」

 手元にあるメモには“突き当ったら右に曲がれ”と書かれている。曲がった後も何度か同じ様な突き当たりに出くわした。簡素なメモに繰り返される状況はシンプルが故に不安を煽り、自分でも浮き足立つのが分かる。きっとこういう心理になる事も中途半端な客を店に近付けない工夫なのだろう。今すぐ現実に戻りたい衝動を抑えながら歩を進める。程なくしてお世辞にも綺麗とは言い難い小さな建物が姿を表す。

 『人材代行派遣会社』そう書かれた店の看板は今にも崩れ落ちるのでは無いかと思うほどに。中華屋の裏辺りに位置するこの場所。周りをビルに囲まれているせいか外からは見えない様になっている。

 店に入るとすぐにカウンターの奥に座る一人の男が目に入った。男は熊の様に大きく、剃髪された頭部からも男が組織の人間である事は明白であった。鍛え上げられ隆起した筋肉によって着込んでいるタキシードははち切れんばかりだ。

「おい、お前ここまでどうやって来た」

 威嚇とも取れる口調に思わず身体が強張る。

「正直に言わないと、死ぬぜ」

 はっきり喋れる様に一度咳払いをしてから深く息を吸う。

「表の中華屋でラーメン+半炒飯セットのラーメンを上海焼きそばに変更。会計時に1円多く払い、領収書を頼みウミホシと名乗る。そして領収書と一緒に行き方が書いてあるメモを渡された。あとはメモに従っただけだ」

 二人の間に沈黙が流れる。実際の時間にしたら20秒も経ってはいなかったはず。五分、いや十分だろうか。それほどに長く感じた。その証拠に額には汗、着ていたシャツは肌に張り付き気持ち悪いほどであった。

「あんたみたいな若い人がここまで来れるとはな」

「名前はなんて言うんだ、兄ちゃん」

 さっきまでの怖い雰囲気は何処へいったのか男は突然気さくな感じで話し出す。

「柴田雄一だ」

「良い名前じゃねぇか。俺は蛇神龍鬼(へびがみたつき)だ、よろしくな!」

 自分の名前が特段良いものと感じた事は無かったが褒められると悪い気はしない。ただ、蛇神龍鬼と言う恐ろしい名前を聞いた後では素直に喜べない。

 そんな事を考えていると蛇神は矢継ぎ早に話を続けた。

「柴田は誰の代行を買いに来たんだ?ここまで来たって事はそういう事だ。一般的な注文はネットでやっているからな」

 この店は人材代行業、簡単に言えば何でも屋の様なものでクライアントの要望を達成できる人材を紹介するのが主な仕事。仕事内容はアルバイトのヘルプ、家事、デートの相手から芸能人がマスコミを撒くための囮など多岐に渡る。登録されている人材は様々なシチュエーションに即戦力で対応できる様に訓練されているらしい。非凡な人が多く、その為か金額も高くなりがちだ。それでも労働人口の減少が著しい日本では引く手数多らしく、ここ十年で人を使う業界において急激に知名度を上げている。

「私は自分の代行を買いに来た」

 蛇神が言ったそういう事とは裏オプションの事だ。裏オプションの場合は代行=他人の人生を生きると言う意味になる。つまり、ここで人身売買の取引が行われる。

「自分の代行とは珍しいな。理由と使用用途を教えてくれよ。代行に必要な情報なんだ」

 珍しい。この言葉が“初めて”で無かったのは同じ様な注文をする人がいた事を容易に想像出来た。

「よく何もかも上手くいく人生はつまらないと人は言うが寧ろそれを私は望んでいる。もし自分がもう一人いたら自分が苦手な事を代わりにさせたいと思った事は無いか?ここで買う奴には俺の代わりに柴田雄一を生きて貰う。そして俺は海外にでも行って自由気ままに暮らしたい」

 蛇神は興味ありげに話を聞いていた。

「なるほどな。とりあえず注文は受けるが最短でも一年、前金は3億払って貰うが良いか?」

「それで構わない」

「他に質問は?」

 聞きたい事はあった。しかし急に話を振られると出て来ない。

 やっと絞り出した質問が

「最初はほとんど喋らないと思ってたが意外と喋るんだな」

 あまり踏み込んだ事は質問しても答えてくれないだろう。

 この質問でさえも機嫌を悪くする可能性はあったが無難ではあった。

「そりゃあ、接客も兼ねているからな。ここまで来る客は大抵、代行を買う人達だ。明るく話しやすく無いと会話が成り立たない。書面の情報だけじゃわからない事は沢山ある」

 それならもっと接客に適した人がいたのでは無いか。普通の人だったら顔を見ただけで逃げ出す怖さだ。ここまで裏に踏み込んで無事に返してくれるとも限らないが。

 記憶の抽出やら契約書などを書き終え、店を出て元の中華屋の通りに出た時には日が暮れていた。


 一年半の歳月が流れた。最初の頃は一年も待たないといけないのかと悲観していたが時が経つのは早い。移動するのに車に乗り込んだ途端、携帯が鳴った。まるで一人になるのを見計らっていたかの様なタイミングだ。携帯の画面には知らない電話番号が映る。恐る恐る着信に出て携帯を耳に当てる。

「今夜代行人を届ける。家に帰ったら届けるまで電気をつけるな」

 それだけ言って切れた。

 家に帰っても指定された通り電気を付けずに待つ。遂にこの日が来たんだと興奮した。0時を回る頃インターホンが鳴った。玄関には大男ともう一人、覆面を被り素顔が分からない人がいた。その二人をリビングに通す。覆面を取るとそれは蛇神だった。と、言う事はもう一人の覆面が自分の代行人か。確かに背格好が似ている。蛇神が覆面を取れと命じる。その顔は私だった。思わず声が出て腰を抜かす。似ているなんてものでは無い。まるで鏡写しだ。顔も体も声も全て柴田雄一そのものだ。

「俺はあんたが気に入ったからうちの商品の中でも特にスペックの高いやつを選んだ。遅れたのはその為だ。その代わり大概の事はこなせるはずだ」

 これからはお前の所有物だから好きに使って良い。ただ処分する時だけは連絡しろとの事だ。蛇神はそう告げて夜の闇に消えた。確かに柴田雄一が二人と知れるとやばそうだ。

「流石に自分が同じ場所に二人いるのも気持ちが悪いな」

 そう思いながらもその日は仕方なく眠りに着く。目が覚めた翌日は日曜日だった。何の変哲も無い休日。自分が二人いる事を除けば。最初の柴田雄一の私はこの日の為に鹿児島県の奄美大島に別荘を買っていた。島でのんびりと暮らしたいと思っていたからだ。家や仕事のことはもう一人の柴田雄一に任せ、奄美行きの便で飛んだ。

  もう一人の柴田は要望通り、非常に優秀で今までの柴田を知っている人からはまるで別人の様だと良く言われた。企業を立ちあげてから数年で会社の株価は急激に伸び、敏腕社長として名が広まる。ある日、世界的実業家のドン・カレド氏のパーティーに招待された。会場には自分が霞むほどに名の知れた大企業の社長達が豪華な食事や会話を楽しんでいる。その中でも一際輝く女性を見つけた。確かに綺麗だが妙な懐かしさを感じていると背後から一人の若い男が話しかけてきた。

「お前も狙っているのかい?やめとけよ、ここにいる様なやつは金しか持ってないからな。誰も釣り合わないさ」

 馴れ馴れしく話してきた男はアルマーニのスーツを着こなし、腕にはロレックスが光っている。言動のせいで未熟に見えるがその風貌からも、それなりの実力があって呼ばれているのだろう。

「あの女性は誰なんだ?」

「お前知らないのか!?このパーティーの主催者のドン・カレド氏の一人娘、ミレー嬢だぞ?小さい頃から病弱で数年前に死んだと噂されていたが、二年前から急にパーティーに出れるほどに回復したらしい」

 彼の話が終えるのとほぼ同時にミレー嬢に近づき、話しかけた。

「何処かでお会いしませんでしたか?」

「お言葉は嬉しいのですが、お父様がお決めになった相手がいますので」

 そういうつもりは微塵もなかったのだが状況から考えてそう思うのは無理もない。ふと視線に気になるものが入ってきた。それは彼女の首筋にあった。思わず彼女の首に手が伸び、髪を避けた。

「これは施設の・・・」

 その瞬間、会場に乾いた音が響いた。同時に左頬に衝撃が走る。一瞬何が起きたのか理解できなかったが、左頬にわずかな刺激とじんわりとした熱が帯び始めていた。会場はどよめき、私は警備員に捕らえられた。騒ぎを聞きつけたカレド氏がミレーの元へ駆け寄る。

「何があったんだ」

 ミレーは父親の耳元で囁いた。

「彼は関係者よ。傷の事を知ってた」

「そんな、まさか・・・決まりはあるだろ!」

「詳しく聞く必要があるわね」

 警備員に連れて行かれる途中、私は、柴田雄一になる前の自分を思い出した。彼女は施設にいた時、自分と同じ特別プログラムにいたのを覚えている。しかし特別プログラムの人間は買われた後、互いに気づく事は無い。何故なら代行する人物に顔を変えるからだ。しかし彼女はそのままだ。警備兵の足が止まり連れた行かれた部屋に着くとカレド氏とミレー嬢がいた。

「どうして君は施設のことを知っている?」カレド氏は柴田に問いかける。

「どうしても何も自分はそこにいて客に買われた」

 カレド氏とミレー嬢は顔を見合わせて驚いた様子だ。

「それより君は何故昔のままの顔なんだ?」

「外では施設のことを口外することは許されない。それを破った貴方に話す事は無いわ」

 とは言っているが正確には代行人は客の情報を話してはいけない。そのルールを知ってかカレド氏が話し始める。

「私には一人娘のミレーがいた。小さい頃から病弱で五年前に天国へ旅立った。どうしてもミレーを忘れられない私はミレーの代行人を頼んだ。その時彼女を紹介され驚いた。まるでミレーが生まれ変わったのかと錯覚したよ」

 顔が変わっていない理由はわかった。しかし、消されるはずの傷があることに疑問を感じていた。

「貴方が気になっているこの傷はねあとから付けたの。結局誰かの代行をしていても過去は変わらない。自分がどんなに裕福な暮らしをしていても奴隷であることを忘れない為よ。貴方は優秀すぎるが故に代行に染まり過ぎて忘れてしまっているみたいだけど」

 カレド氏のご意向で何もなく帰れることとなった。

 帰り際にミレーに話しかけた。

「俺たちはずっと代行を続けないといけないのか?」

「そうよ。裏の世界で自由を求めて逃げながら生きるより、表の世界で不自由な方が幸せなの。裏の世界で生きてきた人なら皆知っていることよ」

 それが彼女と交わした最後の言葉だった。彼女は芯の強い女性だ。他人の人生を生きる代行をする立場にありながら自分の意思を持っている。柴田雄一になる前の自分はきっとそこに惚れたのだろう。

  ある日の昼下がり、自分は渋谷にある中華屋で半炒飯と焼きそばを食べていた。

「九百八十円になります」店員が年季の入ったレジスターを打つ。

「領収書ください」一円多くお金を渡す。

「お名前はどうしますか」

「ウミホシで」ウミホシ。漢字で書くと海星、ヒトデと読み人手が欲しいという隠語だ。中華屋を出て路地を進む自分は、この道を通るのが初めてだ。だが、柴田雄一という名の人間が通るのは二度目になる。目的の店に近付くにつれてあの日、彼女に言われた事を思い出していた。色んなことを考えたが他人の人生を生きる代行人を辞める事は出来なかった。辞めたところで自分らの様な商品に他の人生なんてない。元の自分は存在しない事になっているのだから。他人の人生を代行しなければ生きていけない仲間は多くいる。彼等を救うためには誰かの代行をさせてあげなければならない。最後の角を右に曲がると見えてきた『人材代行派遣会社』と書かれた建物。奥には熊のように大きい男。「ご用件は?」威嚇とも取れる低い声。

 柴田雄一はその問いにこう答えた。

「代行を買いに来た」



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