第五話 守りたいもの
翌日の昼前、ブライド一行はイグネイシャの屋敷を後にした。
白百合の咲き誇る丘の上から、グレイシアとリオは、旅立つ彼らの様子を見送っていた。
「ブライド様の剣さばきは見事だった」
グレイシアはフーッと息を吐き、鈍く痛む左腕をさする。ブライドに強引に斬りかかろうとして、何度も木刀を打ち付けられた。両足も打たれたし、幾度も転んで地面に叩きつけられた。強く打たれた訳ではないが、きっと体中痣だらけになっているに違いない。
「グレイシアも格好良かったよ。何度もブライト様に勝ちそうになってたじゃないか」
「ブライド様は手加減してくれてたんだよ……」
緑の農地の彼方に消えていこうとするブライド達を見つめながら、グレイシアは呟いた。
「私ももっと強くなりたい。強くなってお父様のような騎士になりたい」
「そんなの無理だよ」
「なぜ?」
グレイシアはムッとして、リオに顔を向ける。
「グレイシアは女の子だもの。女の子は騎士にはなれない」
一歩足を踏み込むと、グレイシアは木刀をリオの喉元に突きつけた。突然真っ直ぐに剣先を突きつけられ、リオは後ずさる。
「女だって騎士になれる!」
青い瞳を鋭く光らせ、グレイシアはリオを睨み付けた。
「遠い昔、軍を率いて勝利に導き、国を救った女剣士の話を、お父様から聞いたことがある。彼女がいなければ、その国は滅んでいた。私も彼女のような強い女剣士になりたいんだ」
「……グレイシアは戦場に行ったことがあるの?」
リオは瞳を曇らせ、上目遣いにグレイシアを見る。
「え?」
「僕は戦争なんて嫌だ。怒鳴り声と悲鳴と血の匂いしかしない。みんな逃げ回って泣き叫んで、後に残るのは、切り刻まれた死体の山だけだもの」
リオは目を伏せた。今でも時々夢を見てうなされる。忘れようとしても忘れることが出来ない生々しい悲惨な光景。
「僕の父さんは、戦争で死んだんだ。何も悪いことをしてないのに、殺されたんだ。母さんだって……戦争さえなければ、死なずにすんだのに」
「私は、皆を守ために剣士になるんだ。罪のない人を殺すわけじゃないよ」
グレイシアは、ゆっくりと木刀を下ろした。
「グレイシアには分からないんだ。戦争になったら殺し合いだよ。殺されないためには人を殺すしかないんだからね。女の人や子供まで殺されるんだ」
「そんなのは騎士じゃない。私は──」
リオはグレイシアの言葉を遮ると、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「僕はグレイシアに戦って欲しくない。ここで、幸せに暮らして欲しいだけだよ」
グレイシアは口元に笑みを浮かべると、ポンポンと手のひらの中で木刀の先を叩いた。
「私だって幸せに暮らしたいよ。剣術を覚えるのは平和な暮らしを守ため。そのためには強くなきゃならない」
「グレイシアは僕が……」
リオは言おうとした言葉を飲み込んだ。今の時点では、どう見てもリオよりグレイシアの方が強い。リオは剣さえ握ったことがなかった。もし仮に戦いが起きたとしても、グレイシアの方がリオを守ことになるだろう。大切なものを守ためには、心も体も強くなければならない。
「何?」
黙り込んだリオに、グレイシアは聞き返す。
「僕も強くなるよ」
リオは言葉を変えて続けた。
「戦争は嫌いだけど、剣術の稽古はしたい」
力のない自分では、母親も子猫も守ことは出来なかった。神様に与えられた新しい家族は、どうしても守りたいとリオは思った。
「分かった。明日から猛特訓だよ」
グレイシアは声を立て、高らかに笑った。
柔らかな風が丘を吹き抜け、白百合の花達を優しく揺らす。白百合の花も、グレイシアと共に笑っているように見えた。
と、風に乗り、丘を駆け上がってくる蹄の音が聞こえてきた。
「あっ、お父様!」
直ぐに馬上に父親の姿を発見したグレイシアは、跳びはねながら手を振った。
イグネイシャは直ぐに、丘の上に到着した。彼はもう一頭美しい白馬を引いていた。
「グレイシア、これから馬で遠乗りに行かないか?」
「はい、お父様!」
グレイシアは顔を輝かせて返事をする。
「実は、急用が出来て、明日には立たなければならなくなったのだよ。もう少しお前とゆっくり過ごしたかったのだがな」
「明日……?」
グレイシアの笑顔が急にくもった。
「また、直ぐに戻って来られる?」
「アイネスまで行かねばならなくなった。事が早く終われば、一月後には戻って来られるよ」
「アイネスって言ったら、獅子の紋章の人の国ですか?」
黒い瞳のきつい目をした若者の顔が、ふとリオの瞼に浮かぶ。
「そうだ。よく覚えていたなリオ」
イグネイシャはリオに目を向けて笑った。
「アルス様に用事?」
「否、アルス様にも会うことになるだろうが、アイネスの国王様にお呼び出しを受けたのだよ」
「国王様!?」
リオは驚きの声を上げる。国王と直接会うなど、リオには考えられないことだった。
「王のご命令とあれば、ただちに出発せねばなるまい」
グレイシアは軽くため息をつくと、イグネイシャが連れて来た白馬に軽やかにまたがった。
「リオもおいで、一緒に行こう」
グレイシアは馬上から、リオに手を差し出す。
「うん」
リオはグレイシアの手につかまって、彼女の後ろに乗った。
「この子はリリー、私の馬だよ」
グレイシアは優しく白馬のたてがみを撫でた。
「リオも乗馬の練習をしないといけないな。後で一頭、お前の馬を買ってやろう」
「僕の馬を! 買ってもらえるんですか!」
リオは興奮して叫んだ。イグネイシャは顔に笑みを浮かべて頷く。
「騎士には馬が必要だ」
「リオは乗馬の練習もしないとね。さぁ、行くよ!」
グレイシアは軽く白馬の腹を蹴り、馬を走らせる。
白百合の花が揺れる丘を、二頭の馬は軽やかに走って行く。青い空と白い百合の花々。緑の大地。美しい自然の中にいれば、不安な陰りはどこにもない。平和で幸せな日々が永遠に続くと思えてくる。
爽やかな風を受け、草原を走るグレイシアもリオも、幸せで満たされていた。
ようやく、プロローグ部分が終わったような感じです…。
次回は、二、三年後の設定になると思います。騎士団もそろそろ登場予定。