第五十話 旅の始まり
翌日の早朝。グレイシャス達は、ウーリが用意した馬に乗り、最北の地ホロスへと向かい旅立った。用意された馬は七頭だが、旅人の数は合計八名。
「一体どういうことだい? 君は薬を飲ませる相手を間違えたのか?」
リオの馬と並び、馬を進めながらジョシュアは聞く。彼は、眠ったままのエリアスを抱きかかえるようにして、手綱を引いている。油断して力を弛めれば、エリアスは馬からずり落ちてしまいそうだ。
「予定が狂ってしまって……ごめんなさい」
シェリーの代わりに眠り薬を飲んでしまったエリアスは、当然、朝になってもグッスリと死んだように眠っていた。皆で彼を抱きかかえるようにして運び、なんとか馬にくくりつけて出発した。何も知らず気持ちよさそうに寝息を立てているエリアスを、リオは恨めしそうに眺めた。
「あの娘を連れてきたのが間違いだったな」
エリアスという重い荷物を抱えながら、ジョシュアは前を進むシェリーに目を向ける。馬には何度か乗ったことがあるらしい彼女は、上手く馬を操っている。憧れのグレイシャスと馬を並べて、目を輝かせながらしきりに話し掛けていた。
「まるで、楽しい旅の始まりのようだ」
ジョシュアは旅立つ前に、グレイシャスが少女であることをウーリから聞かされた。少年だと思いこんでいたグレイシャスが少女だと分かり驚き、それと同時に、ウーリの代わりに彼女を守り切れるかどうか不安を感じた。ジョシュアも年長とはいえ、まだ十五才の少年だ。グレイシャスが剣の達人であるとしても、彼女は若い娘、何かあれば守らなければならない。その上に、剣など扱ったこともない世間知らずの娘も加わってしまい、彼の憂慮は倍増した。
「このまま、この旅が楽しいままで終わればいいが……」
ジョシュアは二人の少女を後ろから眺めながら、誰に言うでもなく呟いた。『敵を討つ』旅が、楽しいまま終わるはずはないが、せめて今はそう思いたかった。
一方、グレイシャスは、さっきからぴったりと横に並び、絶え間なく話し掛けてくるシェリーに困り果てていた。シェリーはもちろん、グレイシャスが少年だと信じ切っている。彼女から送られてくる熱い眼差しとお喋りに、どう対応して良いか分からない。彼女の話にのって会話をすれば、女だと分かってしまいそうだ。グレイシャスは、益々無口になっていく。
「グレイシャス様は、あまりご自分のことを話されないんですね」
彼女の複雑な心境などまるで分からないシェリーは、物静かなグレイシャスがより一層魅力的に見えているようだ。
「話すことがほとんどないのです」
グレイシャスは苦笑しながら目を伏せる。
「謙虚なところも素敵です。本当に偉大な人物は、いばったり自分のことを自慢したりしないものですよね。でも、もう少し私達が親しくなってくれば、私にだけはグレイシャス様のこと話してくださいね。私、もっともっとグレイシャス様のこと知りたいんです」
シェリーは顔を染めながら語る。
「あぁ、そうですね」
グレイシャスは曖昧に微笑み、後ろに視線をやる。後方にはリオとジョシュアの乗った馬が続いている。
「シェリー、少し失礼します」
彼女はそう言うと、馬の歩を弛め、後ろに続くリオが来るのを待った。
「一体、良い考えとはどんな考えだったんだ?」
横に並んだリオを、グレイシャスは軽く睨む。
「彼女は同行しないはずじゃなかったのか?」
「ごめん、手違いがあって計画が失敗したんだ」
グレイシャスにも責められ、リオはため息をつきながら肩を落とした。その様子を見ながら、側でジョシュアが笑っていた。
「エリアスが薬を飲むとは思ってなかったから」
「もしシェリーが危険な目にあったりしたら……」
「そうならないよう十分気をつけるよ。けど、僕は」
リオはチラッとグレイシャスを見て、前を行くシェリーを見た。
「女の子がもう一人いたら、君も気分的に楽になるかもしれないと思うよ。話し相手になるしね」
「私は、彼女の話は苦手だ。それに、ここに女の子は一人しかいない」
リオはもう一度グレイシャスに睨まれ、肩をすくめた。
それからしばらく順調に馬を進めて行ったグレイシャス達は、昼過ぎに街道沿いの宿場町で一度休憩を取ることになった。