第四十九話 夢と現実
「どうか、お願いです、グレイシャス様! 私も一緒に連れて行ってください!」
シェリーはグレイシャスの前にひざまずき、指を組んで懇願する。他の少年騎士達は、あっけにとられて二人の様子を見守っていた。
「シェリー、何度も言いますが、それは出来ません。私達は普通の旅をしている訳ではないのです。あなたには危険過ぎます」
グレイシャスは軽く息を吐き、シェリーを見下ろす。ジョシュアがウーリの家に連れてきた少女は、グレイシャスの姿を見るなり走り寄ってきて、旅の伴をしたいと言ってきた。この可憐な少女が、セント・フェローの居酒屋の娘だと気付くのには、時間を要した。その少女が突然、無理な頼みを願い出て、グレイシャスは困り果てていた。当然、何度も断ったが、彼女は引き下がらない。
「決して皆様の足手まといにはなりません! 私は皆様のお世話を致します。何でも言いつけてください。きっと皆様のお役に立つと思います」
「私達の旅は行き先さえ定まらない、危険を伴う旅なのです。あなたの身を危険にさらすわけにはいきません。シェリー、何も言わず家に帰ってください」
「そんな事出来ません! 私は固く決心して家を出てきたんです。二度と家には戻らないつもりです」
シェリーは瞳を潤ませ、真っ直ぐにグレイシャスを見上げる。
「しかし、シェリー……」
グレイシャスは困り果てて口ごもる。
「いいじゃないか、こんなに頼んでいるんだから。身の回りの世話をしてくれる子がいれば、僕達も助かる」
エリアスは、先に進みそうもない二人の様子を見て口を挟む。
「そうだな、庶民の娘とは言っても、何かの役には立つかもしれないな。ま、それに女が一人加われば、旅も和むかもしれない」
オリビエも言い、口元を弛める。
「しかし、グレイシャスの言うとおり、私達の旅には危険が伴います。もし、彼女の身に何か起きたら──」
「危険な目には合うかもしれないが、ギリアンとこの娘なら、同じようなものじゃないのか。ギリアンの剣さばきなど何の役にも立ちそうもない」
レスターの言葉を遮り、オリビエは軽く笑う。
「足手まといが一人から二人に増えるだけだ。この娘は覚悟が出来ているだけましかもしれない」
「……」
オリビエにいいように言われたギリアンだが、言い返すことも出来ずに俯いた。
「お願いです、グレイシャス様!」
シェリーは組んだ指に力を加えてグレイシャスに言う。
「だが……」
「グレイシャス、シェリーも一緒に来てもらおうよ」
「えっ?」
黙って見守っていたリオの突然の発言に、グレイシャスは戸惑う。
「彼女の言うとおり、僕達の役に立ってくれるかもしれない」
「しかし──」
リオは軽くグレイシャスの肩を小突き、目配せする。
「良い考えがある。僕に任せといて」
リオは他の皆に聞こえないよう小声で付け加えた。
「……分かった。シェリー、あなたも私達と一緒に旅に出ましょう」
グレイシャスは渋々承知し、シェリーに言った。
「ありがとうございます! グレイシャス様!」
シェリーは瞳を輝かせ、飛び上がるように立ち上がった。
「私に話しがあるって、どんな話ですか?」
夜も更け始めた頃、シェリーはリオに屋敷の中庭に呼び出された。
「僕達はこれから長い旅に出ることになる。いつ帰って来られるかも分からない旅だから、旅立つ前に君にも色々話しておきたいことがあってね」
リオは、中庭のテーブルと椅子に目をやる。
「話しが長くなるかもしれないから、ゆっくり座って話そう。今夜は星が綺麗だね」
リオは空を見上げながら、テーブルに近づく。
「さっきも言ったように、私は皆様の邪魔はしません。言いつけには素直に従います」
シェリーもリオの後について、椅子に腰掛けた。テーブルにはティーポットとカップが二つ置かれてあった。リオはシェリーの前に置かれたカップに、ゆっくりとお茶を注ぐ。
「どうして君は家を出て、僕達の後を追って来たんだい?」
「それは、私、ずっと前から世界中を旅したいという夢があって……」
シェリーは目を伏せ、テーブルに置いた自分の両手を見つめる。
「いつか、私の運命の人が現れた時、その夢を実現させようと思っていたの」
「ふーん、その運命の人っていうのが、グレイシャスって訳か」
「えぇ……」
シェリーは、ぽっと頬を染める。
「初めて会った瞬間に分かったわ。私はこの人を待っていたんだって」
夢見る乙女のような表情でうっとりと目を閉じるシェリーに、リオは思わず失笑する。グレイシャスが本当は女だと知れば、どうするのだろう? 何の苦労もせず夢を見続けた世間知らずの少女が、過酷な旅に耐えられるのだろうか? シェリーを一緒に連れて行くなんてとんでもない。彼女はグレイシャスに憧れて夢を見ていれば良い。ジョシュアもそう言っていた。
「お茶でもお飲みよ。ウーリ様に頂いたこのお茶、とっても美味しいんだ」
そう言って、リオは自分の前のカップにも茶を注いだ。
「え? あぁ、今はまだ飲みたくないわ」
夢から醒めたかのように、シェリーは首を振った。
「一口だけでも飲むと良いよ。疲れがとれて、今夜はぐっすり眠れるんだって」
「大丈夫よ、私は疲れてなんかないわ。ぐっすり寝過ぎて、明日の朝起きられなくなると困るもの」
「でも──」
「あれ、二人きりで何を話しているんだい?」
中庭に出る扉が開いたかと思うと、リュートを手にしたエリアスが姿を現した。
「これからの旅の話だよ」
リオは軽く舌打ちしてエリアスを見る。
「そんなの後にして、まず、僕のリュートを聞かないか? こんな星空の美しい夜は、リュートの音がピッタリだ」
リオの思惑を知らず、エリアスは二人の座るテーブルに近づく。
「う~ん、良い香りだな。僕にも一杯飲ませておくれよ」
「あっ」
リオが制する前に、エリアスはテーブルのカップを手に取ると、ゴクゴクとお茶を飲み干した。
「旅の話は、また後で良いかしら? 私はもう休むことにするわ」
エリアスが来たことをきっかけに、シェリーは席を立った。彼女は少しでも早く時間が過ぎて、明日になることを望んでいた。
「待って、シェリー」
シェリーは軽く一礼すると、足早に中庭を去って行った。
「なんだ、せっかく僕がリュートを披露しようと思ったのに……」
エリアスはシェリーの後ろ姿を見ながら、大きく欠伸をする。
「……でも、なんだか僕も眠くなってきたよ」
エリアスは目をこすりながら、欠伸を繰り返す。
「明日は早いんだから、寝坊しないでくれよ」
「……分かってる……」
そう言うものの、彼は今にもその場で眠ってしまいそうだった。
──これは強力な眠り薬だ。シェリーがどうしても旅に同行すると言い張れば、これを彼女に飲ませると良い。
リオはジョシュアに眠り薬を手渡されていた。行きがかり上、シェリーをウーリの家に連れてきてしまったジョシュアだが、その事に責任を感じていたようだ。
「計画が狂ったな……」
既に立ったまま船を漕ぎ始めたエリアスを見て、リオは肩を落とし大きく息を吐いた。




