第二十九話 理由
開け放した窓から、潮風が吹いてくる。人と食べ物の熱気に包まれていた店で長い時間過ごしていたジョシュアには、とても心地よく感じられた。セント・フェローの港で食事をして、直ぐにクランガンに向かおうと思っていたが、シェリーという少女の店に長居をしてしまった。気がつけば、もう日暮れ間近になろうとしていた。
──一眠りしたのがまずかったかな。クランガンに行くのは明日にしようか。
ジョシュアは涼しげな風に吹かれながら、ぼんやりと窓の外を見つめる。港の直ぐ近くに位置する店からは、旅人達がせわしく行き来する姿が見えた。
「ねぇ、さっきから何を描いていたの?」
突然、シェリーがジョシュアの前の席に座り、彼の手元を見る。
「ん……?」
ジョシュアは我に返る。目の前には、興味深そう微笑む少女の姿がある。
「あぁ、これ」
彼は小さなスケッチブックを、シェリーの方へ掲げてみる。彼は時間つぶしに、何気なく港の風景をスケッチしていた。小さな頃から、ジョシュアは絵を描くことが好きだった。暇さえあれば紙とペンを持って、夢中になって何かを描いていた。
「素敵! 上手ね。本物の絵描きみたい」
ジョシュアの描いたスケッチを覗き込んで、シェリーは感嘆の声を上げる。
「こんなのはただの悪戯描きだ。誉めて貰えて光栄だけどね」
ジョシュアは口元を弛める。
「スゴイわ。ねぇ、私の絵も描いてくれない? 肖像画なんて、描いてもらったことないの。一度描いてもらいたかったのよ。描いてくれたら、タダでここに泊まってもいいわ」
シェリーは悪戯っぽい目でジョシュアを見つめながら微笑む。
「今日中にはクランガンに行きたかったけれど、どうやら無理みたいだな」
ジョシュアは肩をすくめる。日は既に傾き始めていた。だが、シェリーの二度目の申し出は、出発を延ばそうと思っていたジョシュアにとっては、ありがたかった。肖像画を描くのは得意だ。見よう見まねで描き始めた絵だが、描いた絵が売れることもあった。『勇隼騎士団』を飛び出した理由の一つは、騎士道よりも絵描きの道を選びたかったこともある。
「で、いつ描けばいいんだ? 君の仕事はもう終わったのかい?」
シェリーは軽くため息をついて、首を横に振る。
「船が港に着いた日は夜中過ぎまで忙しいわ。今、少し落ち着いてきたけど、日が暮れたら、一息つく間もなくなりそう」
「そう。それなら、働いている君をここに座って描くことにするよ」
「あっ、でも、ちゃんと肖像画らしく描いてよ。貴婦人みたいに高価なドレスを着ている姿が良いわ」
シェリーは指を組んでうっとりとジョシュアを見つめる。
「君は貴族の窮屈なドレスが着たいのか? 走り回ることさえ出来なくなるよ」
「貴族には庶民の気持ちなんて分からないのよ。私だってこんな所で働かないで、優雅な暮らしがしたいわ」
「私にしてみれば、庶民の方が貴族よりずっと自由な暮らしをしているように思うよ。貴族なんか、自分がしたいことも出来やしない」
ジョシュアの家は、それ程裕福な貴族ではないが、それでも家柄を重んじていた。騎士になり主人に仕え、家系を受け継いでいく。彼が生まれた時から、生きていく道は決められていた。
「あなたはそれで、騎士になることをやめたの? でも、羨ましいわ。今は自由に旅することが出来て」
シェリーはもう一度ため息をつく。
「私もこんな家飛び出して、色んな国を旅してみたい。キルテアに行った時、家に戻らず、あのまま旅を続けようかと思ったくらい」
「冒険をするのは、もう少し大人になってからの方が良いな。それに、年若い娘の一人旅は危険が伴うよ」
「私はもう十三才、大人よ。一人で旅には出ないわ。運命の人に出会って二人で世界を旅するのが夢なの」
シェリーは頭の中に未来の夢を描き、満足そうに微笑む。ジョシュアは目の前の夢見る少女を見つめながら、フッと笑う。自分自身もようやく十六になったばかりだが、シェリーがひどく子供に思える。彼女は、まだ世間の厳しさを知らない無邪気な少女。夢は夢見ている時が、一番楽しいのだろう。だが、ジョシュア自身もまだ、広い世界がどんな所なのか、よくは知らなかった。
やがて、店に客がたくさん来始め、シェリーは母親である女将に呼ばれ、席を立って行った。
また一人になったジョシュアは、シェリーの望み通り、スケッチを描き始める。派手なドレスを着たシェリーを描いてみたが、仮装衣装を着ているようでしっくりこなかった。もう一度、今度は店内を忙しそうに歩き回っている彼女を眺め、その姿を描いた。
──こっちの方が本当の彼女だな。
描いた絵を眺めていたジョシュアは、ふと、ウーリからの手紙を騎士団に置き忘れて来たことに気付いた。ウーリは二十歳になる、ジョシュアの従兄弟だ。幼い頃から気が合って、離れて暮らしつつも手紙のやりとりを続けている。彼はジョシュアの従兄弟であり親友でもあった。
彼の父親、ジョシュアにとっては伯父の友人が、最近、刺客に襲われて亡くなったという。
──確か、名前は……イグネイシャ、だったか……?
ジョシュアはペンとスケッチブックをテーブルに置き、すっかり暗くなった窓の外に目をやる。日が暮れてからも人の賑わいは続いている。ほろ酔い気分で浮かれた人々の笑い声や歌声が夜の港から響いてくる。
──ウーリに会って、詳しく話しを聞かなくては。
殺されたのは会ったこともない人物だが、ジョシュアはウーリの手紙がやけに気になっていた。『勇隼騎士団』を飛び出した一番の理由は、その真相を確かめたかったからだ。
窓から見える夜空の星達は、これから少年達の身に起こる運命的な出来事をまだ知らず、嵐の前の静けさのように穏やかに瞬いていた。
読んでくださってありがとうございます!
久しぶりの更新です……最近月一の更新になりつつあるような……。書き出したら早いんですが、書き始めるまでがなかなか集中出来ません。まだまだ完結の道のりはものすごく長いですが、途中放り出すことなく書き続けたいと思ってます。長く書けば書く程、登場人物達が愛しくなってきますね。楽しみながら書いてます。
読書や短編の執筆をしつつ、のんびりと更新していこうと思います。