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第一話 運命の歯車

かなり以前、AYAKAさんにいただいた設定を元に連載を始めることにしました。AYAKAさん他、協力してくださった皆様、どうもありがとうございます。全力を注いで執筆致します。

 冷たい雨が降っていた。

 薄暗い石畳の路地を、一人の小さな少年が薄汚れたコートの裾を翻し、全速力で走っている。荒い息を吐き、ただひたすら走り続ける。

──もう少し、あの角を曲がったら──

 寒さで彼の息は白くなる。コートの下に抱えている物をしっかりと掴み、彼は狭い路地を右に曲がった。

 と、夕暮れの街に浮かび上がるように、突然小さな教会が姿を現した。ステンドグラスが、教会の仄かな灯りに照らされている。少年は、ホッと安堵の吐息を吐くと、教会の中に駆け込んでいった。

 教会は少年にとって安全な場所。ここにいれば、全ての危険から守ってもらえるような気がした。

 少年が教会の重いドアを開けると、祭壇の奥からか細い子猫の鳴き声が聞こえてきた。

「おいで」

 子猫に近づきながら、彼はそっと片手を伸ばす。薄汚れた子猫は、ヨロヨロとした足取りで彼の元へ歩いてくる。少年は、コートの下に抱え持っていたパンをちぎると、子猫に与えた。

「ミルクはなかったんだ……」

 お腹をすかせた子猫が、パンの切れ端を舐めるのを見ながら、少年は呟いた。

 少年が子猫を連れてこの教会に来たのは、今朝早くのこと。人々に忘れ去られたような、古くて小さな教会だが、彼が昨日までいた収容施設よりかはずっとましだった。

「明日はミルクを持ってくるよ」

 少年は子猫の小さな頭を撫でながら微笑んだ。

 彼の家族は、この小さな野良猫だけだ。子猫はつい最近、収容施設の側で鳴いていたのを、少年が拾った。

「そうだ。お前に名前つけてやらないと……何が良いかな?」

 子猫の横に座って、パンをかじりながら、少年は天井を仰ぎ見る。静まりかえった教会の高い天井。片隅には古びたオルガンが置かれ、祭壇の中央にはマリア様の像があった。マリア様は目を伏せ、優しく微笑みを浮かべている。

「お前は女の子だから、マリアはどうだい?」

 少年は子猫をそっと抱き上げる。子猫は少年の腕の中で、弱々しく鳴いた。

「マリアで決まり」

 子猫に頬ずりすると、少年の冷えた体に温もりが伝わってくる。

「マリアは僕が守ってやる」

 小さな子猫と小さな少年は、その夜、教会で肩を寄せ合い眠りについた。





「今朝はやけに冷えるな」

 街道を馬で進みながら、騎士らしき男は空を見上げた。昨夜まで降り続いた雨は止んだが、空はどんよりと曇っている。まだ、季節は秋のはずだが、冬のような寒さを思わせた。

「この街の冬は早いのですよ、イグネイシャ様」

 共に馬を進めていた従者の男は言った。

「早く故郷に帰りたいものだ。私の故郷、ヴェスタなら、まだまだ温かく天候も良いはずだ」

「ヴェスタは、遥か南でございますからね。季候も温暖で平和なお国です」

 男は街道のあちこちに座り込んでいる浮浪者達を眺めながら、呟いた。

「そのようだな。自分たちのことしか考えぬ欲深い騎士団が増えたせいで、関係のない者が犠牲になっている……」

 イグネイシャという騎士は、軽く息を吐く。

「ヴェスタはここと違い、闘いのない国だ。私が留守にしても、妻も娘も安心して暮らすことが出来る」

「故郷に帰るのは一年ぶりでございますね。グレイシア様も美しくなられたでしょう」

「まだまだ子供だよ。十才になったばかりだ」

 娘のことを思い浮かべ、イグネイシャの頬は弛む。

「小さな頃から男勝りな子だ。男の子と遊んでばかりいる」

「剣術の腕前はかなりなものだとお聞きしましたよ」

「あれが息子なら良かったのだがな」

 イグネイシャは目を細め、低く笑った。



「ドロボー!」

 ゆっくりと馬を進めていたイグネイシャ達の耳に、突然怒鳴り声が聞こえてきた。

「ドロボー! 誰かあの子供を捕まえて!」

 彼らの前方を小さな少年が駆け足で逃げていく姿が見えた。彼は、人混みをかき分け必死で走って行く。盗みなど日常茶飯事。道行く人々は特に関心も示さず、ただその様子を眺めていた。

「大事なミルクを盗んだんだよ! とっつかまえておくれ!」

 女の悲痛な叫びを聞き、イグネイシャは馬を走らせる。相手がまだ子供とは言え、盗みは許されない。

「待ちなさい!」

 直ぐに少年に追いつき、彼は馬の上から叫んだ。だが、少年は速度を弛めず、走り続ける。イグネイシャが少年の横につき、その体を掴もうとした瞬間、少年は脇の小道に入って行った。見る見る、少年は小道の奥を進んで行く。

 イグネイシャは馬を飛び降り、少年の後を追って走った。

「待て!」

 イグネイシャの呼びとめる声も聞かず、少年は素早く路地を曲がると教会を目指した。教会にたどり着くまでは、どうしても捕まる訳にはいかない。直ぐ後ろまで伸びてきたイグネイシャの逞しい手を振りきり、少年は教会の扉を開ける。

「マリア!」

 少年の甲高い声が教会に響く。彼は両腕にミルクの瓶を抱え、祭壇の奥へと向かった。イグネイシャは、少年の後から教会に入る。

「約束通りミルクを持って来たよ」

 少年の薄汚れたコートにくるまれて、一匹の子猫が横たわっていた。目を閉じて、じっと動かない。

「マリア、さぁお飲み」

 少年は子猫を撫で、ミルクを口に近づける。

「無駄だ……」

 靴音を響かせ、イグネイシャは少年の元に近づいて来る。少年は肩をビクつかせるが、構わず子猫の口にミルクを注ぎ入れようとした。

「子猫はもう死んでいる」

 イグネイシャの大きな手が少年の小さな肩を掴んだ。

「嘘だ!」

 少年は弾みでミルクの入った瓶を落とした。トクトクと白いミルクが教会の床に零れていく。

「嘘だ! マリアは眠ってるだけだ。ミルクを飲めば元気になるんだ!」

 声を震わせ少年は叫ぶ。少年の円らな茶色瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

「死んでなんかいない! 死んでなんかっ……」

 コートにくるんだ子猫を少年は抱きしめた。子猫の体は既に冷たく固くなっている。

 本当は今朝、教会で目を覚ました時から、少年も気付いていた。子猫のマリアは息をしていないと、天に召されたと。だか、彼は認めたくなかった。

「マリアは僕の家族なのに、たった一人の家族なのに……」

 少年は子猫を抱いたまま泣き崩れた。イグネイシャはその様子を見て、そっと少年を抱き寄せた。

「イグネイシャ様!」

 共の男が教会の扉を開けても、イグネイシャは彼を制し、ミルクを盗んだ見知らぬ少年の体を優しく包んでいた。



「お前の名前はなんという?」

 教会の裏に子猫の亡骸を埋め、ミルク売りの女にミルク代を払った後、馬にまたがったイグネイシャは少年に聞いた。

「リオ……」

 俯いたまま少年は答えた。イグネイシャは騎士らしく、少年に優しく接してくれたが、いよいよ罰を受ける時が来たとリオは思っていた。盗みは今回だけのことではない。飢えをしのぐため、生きていくため、何度も繰り返してきた。

 だが、収容所の暮らしも牢屋の暮らしも、たいした差はないと、リオは思う。

「年は?」

「もうすぐ十才」

「ほぅ、私の娘と同い年だな」

 イグネイシャは低く笑った。

「良い遊び相手が出来る」

「えっ?」

 リオは驚いて顔を上げた。

「私の後ろに乗りなさい。お前を私の養子にしよう」

「イグネイシャ様!」

 共の男も驚いて声を上げる。

「何をおっしゃいます。このような見ず知らずの小僧を、しかも盗人ではありませんか」

「私には人を見る目がある。それはお前も認めておるはずだ」

「はぁ……しかし」

「私は息子が欲かったと言っただろう。さぁ、リオ」

 イグネイシャは真っ直ぐにリオの目をみつめ、彼に手を差し伸べた。

「お前は良い子だ。瞳を見れば分かる」

 リオはおずおずとイグネイシャの手を掴んだ。大きくて温かく優しい手。物心ついた頃には亡くなっていた父もこんな手をしていたのだろうか?

「お前が嫌でなければ、共にヴェスタに戻ろう」

 イグネイシャは目を細めて、微笑む。

「私の息子になってくれるか?」

 イグネイシャの大きな手は、リオの人生に差し伸べられた救いの手のような気がした。

「はい」

 リオは力強く返事を返すと、イグネイシャの手をギュッと握りしめた。そして、勢いよく馬にまたがる。この瞬間、リオの運命の歯車は、ゆっくりと動き始めた。















読んで下さってありがとうございました!

『勇隼騎士団』の『勇隼』とは、勇ましいハヤブサという意味です。『オーダー・オブ・セイカー』とは、『セイカー(ハヤブサの一種で主に雌)宗教騎士団』の意味です。そういう知識はほとんどありませんでしたが、宇治総さんのお陰で形になってまいりました! ありがとうございます。

更新はなるべく一週間に一回はしたいと思ってますが、遅れる場合もあります。(仕事や他の企画作品の執筆により)ゆっくりじっくり一年か二年かけて完結していこうと思ってますので、気長にお付き合い下さると嬉しいです。

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