第十五話 リュートを弾く少年
「あれがキルテアか……」
グレイシャスはホッと一息ついて、眼下に広がる異国の地を眺める。彼らはようやく峠の頂上にたどり着いていた。既に陽は高く昇り、穏やかな風が吹き抜けていく。キルテアの街は、ヴェスタよりも遥かに大きく人々の数も多い。
「グレイシャス、ずっと向こうに海が見えるよ!」
リオは弾んだ声で、遙か彼方に霞んで見える海を指さした。遠くに見える海は、明るい日差しを浴びてキラキラと輝いているようだ。
「僕が生まれた街は海の近くだったんだ。また、海に行ってみたいなぁ」
「キルテアは港街として栄えた。人も物もキルテアの海を通って行き来しているんだ。キルテアの港はいつも異国からの船で賑わっているよ」
グレイシャスは幼い頃、イグネイシャと共にキルテアの港を通って旅をしたことがある。幼すぎてよく覚えてはないが、賑やかな港と数多くの船の記憶は残っている。
「いつかは船で旅してみたいな。船で世界中を回ってみたいよ」
「リオ、私たちは遊びに来ている訳じゃない。大切な使命を果たすまでは、浮かれている暇はないよ」
海を見てはしゃいでいるリオに、グレイシャスは釘を差す。
「わかってる」
「なら、先を急ごう。一刻も早く騎士団の学校に行きたい」
グレイシャスは白馬の手綱を引き、峠の下り道へと方向を変える。リオは肩をすくめつつ、グレイシャスの後に従った。
──グレイシャスの気持ちも分かるけど、たまには『使命』のことは忘れて羽を伸ばすことも必要だと思う。グレイシャスは力みすぎだ。
本人には決して口に出来ないことを、グレイシャスの背中を見つつリオは思った。エリヤという青年騎士に出会ったことで、彼女の思いは一層高まってきたように見えた。
「あれ……?」
しばらく道を下ったところで、リオは馬を止め耳をそばだてた。どこかから風に乗り、柔らかいリュートの音色が流れてくる。明るい日差しと澄み渡った青空のような軽やかな音色だ。
「グレイシャス」
リオは先を行くグレイシャスの元まで馬を走らせた。
「何だ?」
「リュートの音色が」
振り向いたグレイシャスにリオは声をかける。リュートの音色はさっきより大きく聞こえてきた。
「あそこでリュート弾きがリュートを弾いているだけだ」
グレイシャスは顎を向けそっけなく答えた。
「旅芸人など珍しくもない」
グレイシャスが示した先には、一人の少年が道ばたに座りリュートをつま弾いていた。鮮やかな青と黒の格子模様のマントを羽織り、それと同じ柄の羽飾りのついた帽子を被っている。彼の瞳も鮮やかな青い色で、肩にかかるくらいの黒髪を垂らしていた。グレイシャス達と同い年くらいの彼は、馬に乗った二人の姿に目を留めるとリュートを弾く手を止めた。
「僕は旅芸人ではないよ。旅芸人になってみたいけどね」
少年はグレイシャスとリオを見上げて微笑んだ。
「ここで何をしている?」
グレイシャスは馬の上から少年を見下ろして尋ねる。
「見てのとおり、リュートを弾いていたのさ。こんな気持ちの良い天気の日には、気分転換にここでリュートが弾きたくなるんだ」
「フン、暇な奴だな。そんな時間があるのなら、他にたくさんすることがあるだろうに」
グレイシャスはやや軽蔑した眼差しで言った。
「分かってないなぁ。音楽は人間にとって生きていくためには必要不可欠なものだよ。食料と同じくらいにね」
「君の演奏は素晴らしかったよ。僕も音楽は好きだ。横笛なら少し吹くことが出来るんだ」
リオは少年に好意を抱き、微笑みかけた。
「そうかい? 一度一緒に演奏してみたいね」
「リオ、行くぞ」
グレイシャスはリオを一瞥すると、再び白馬の手綱を引いた。
「ああ、そうだ。君達、この峠で一人旅の少年騎士に出会わなかったかい?」
立ち去ろうとする二人に少年は声をかけた。
「少年騎士? いいや」
グレイシャスは首を横に振る。
「峠の昇り道では誰にも出会わなかった」
「そうか、じゃあ彼は峠には向かわなかったのか。港から船に乗ったのかな」
「彼は君の知り合いなのかい?」
興味をひかれ、リオは尋ねる。
「昨日まで同じ少年騎士団で寝起きを共にしていたんだよ。それが、今朝起きてみたら、彼のベッドはもぬけの殻になっていた。彼も騎士団を脱走したんだな」
「少年騎士団……?」
馬を進めようとしていたグレイシャスは、馬の方向を換えて少年に目を向ける。
「お前も少年騎士団の団員なのか?」
「あぁ、一応ね。けど、僕もいずれ彼のように騎士団を脱走するかもしれないな。僕は騎士になるより、リュート弾きになりたいからさ」
少年はそう言って笑った。
「その少年騎士団というのは、『勇隼騎士団』のことか?」
「そうだよ。キルテア一の有名な騎士団さ。かなり規律が厳しくて脱落者も多いけどね」
「それじゃ、君も勇隼騎士団の一員なのかい!?」
リオは驚きの目を向けて少年を見つめる。
「その通り! あ、もしかして君達、勇隼騎士団に入団するつもり?」
少年は青い瞳を見開いて二人を見返した。
「そうだ。私たちはこれから『勇隼騎士団』に向かうところだ」
「はぁ、そうなのか。君達も騎士を目指しているのか……逃げ出す者もいれば、これから入ろうとする者もいるんだな」
少年はリュートを片手に立ち上がった。
「僕の名前はエリアス・コーダー。勇隼騎士団の団員さ、一応ね」
エリアスという名の少年は、フッと笑ってグレイシャスに手を差し伸べた。
「私はグレイシャス・フィリス。こちらはリオ・フィリスだ」
グレイシャスは馬上からエリアスの手を握った。
「こんな所で勇隼騎士団の団員に出会えるなんて奇遇だね」
リオは側により、二人の様子を眺める。
「これも何かの縁ってとこかな? で、君達は騎士団に向かってる。僕もそろそろ騎士団に戻ろうかと思ってたところだ。そこでだ、君のこの美しい白馬に僕を乗せて連れて帰ったくれないかい?」
「フン、調子の良い奴だ。騎士団を抜け出しサボっておいて……」
グレイシャスは肩をすくめてエリアスを睨むが、エリアスはグレイシャスと握手した手を放そうとしない。
「この出会いも神様のお導きに違いないよ」
グレイシャスはエリアスの手を振りほどくと、軽くため息をつく。
「仕方ない。ついでのことだ」
「ありがとう」
エリアスはリュートを背負うと、勢いよくグレイシャスの後ろにまたがった。
これからどんどん登場人物が増えていくと思います〜
私的な事情のため、次回更新が少し遅れるかもしれません。