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第十三話 黒馬の騎士

「グレイシャス・フィリス様……」

 宿屋の少女は、グレイシャスと改名したばかりのグレイシアが、宿帳に羽ペンでサインするのを、瞬きもせずじっと見つめた。

「とっても素敵なお名前ですね」

「ありがとう」

 グレイシャスは顔を上げて微笑む。

「あなたの名前は何というの?」

「ネリーです!」

「ネリー、可愛い名前だね」

 ネリーという名の少女は、頬を染め喜びに満ちた表情で、恥じらいがちにグレイシャスを見た。

「今夜のお客は、私たちの他には一人しかいないようだね」

 グレシャスは、羽ペンをリオに手渡し、自分の名前の上に記入されている名前を一瞥する。そこには、『エリヤ・テミス』と達筆でサインがなされていた。

「はい! 一人旅の騎士の方です」

 ネリーは顔を輝かせながら元気に答える。

「ネリー! そこはもう良いから、あんたは早くお湯を用意して来なさい!」

 奥から、ネリーの母親らしき女の大きな声がした。

「本当に、あんたはいつも年若い騎士ばかり呼び込んで来るんだからね。人を選ぶんじゃなくて人数で選んで来いといつも言ってるのに!」

「母さん、あたしは品のある高貴な方をお選びして声をかけているのよ! その方が安心でしょ!」

 ネリーは顔だけ向けて、母親に負けないくらいの大声で言い返す。

「それならいいけどねぇ! あんたはいつも容姿で選んでいる気がするんだよ!」

「母さんだって若くて美しい騎士が来ると、とたんに機嫌が良くなるくせに! 父さんがいつも言ってるわよ!」

 リオは宿帳にサインしながら、二人の会話に思わず笑った。

「ネリー、部屋は二つ用意してもらえるかい?」

 親子の言い合いが一通り治まると、リオはネリーに言った。

「え? 二部屋ですか?」

 ネリーは意外そうに聞き返す。

「二人部屋で宜しいかと思っていました」

「一部屋で良いよ、リオ。一晩泊まるだけなんだし」

「けど、同じ部屋に泊まるのは……」

 リオはチラリとグレイシャスを見て口ごもる。男装しているとは言え、グレイシャスは女性なのだから、リオには抵抗があった。

「私と同じ部屋で寝起きするのは嫌なのか?」

「いや、そういう訳じゃないけど……」

「どうなさいます? 一人部屋になさいますか?」

 ネリーは上目遣いに二人の顔を見比べる。

「二人部屋を一つで良いよ。そうしてくれる?」

 グレイシャスは、躊躇しているリオに代わって答えた。

「はい!」

 グレイシャスに言われ、ネリーは元気に返事する。

「それでは、あたしはお湯の用意をしてまいります。ゆっくりとお湯に浸かって旅の疲れをとって下さいませ」

「お湯には二人同時には入れないんだね?」

 グレイシャスは悪戯っぽく笑ってリオを見る。

「な……」

 リオは頬を染めて口ごもる。

「はい、それはちょっと無理かと」

「リオが先に入って良いよ。私は日が暮れるまで少し散歩をしたいから」

「僕はゆっくりとお湯に浸かりたいから、僕がお湯から上がるまでは、絶対部屋には入ってこないでおくれよ」

 リオは横目でグレイシャスを睨むと、荷物を手に取った。

「では、お部屋にご案内します」

 ネリーは軽く会釈した後、グレイシャスの側に寄り、耳元に顔を近づけた。

「グレイシャス様、お連れの方にはお気をつけ下さい」

「え?」

「様子が変です。グレイシャス様を見る目つきときたら……あの方男色家かもしれませんわ」

 真剣な顔で声を潜めて囁くネリーに、グレイシャスは声を立てて笑った。

「分かった。充分注意しておくよ」

 ネリーはグレイシャスに頭を下げると、きょとんとした顔で突っ立っているリオの方へと小走りで向かった。



 グレイシャスが宿屋の外に出た時、陽は既に西の空に傾きかけていた。

 湖から吹いてくる風は少し冷たかったが、一日馬の背で揺られ、疲れて火照った体には心地よかった。グレイシャスは、宿屋の前に広がる湖に沿ってゆっくりと歩く。夕日に染まる湖面には、雁の群が羽を休めていた。湖面を吹く静かな風の音と小さく聞こえる波の音。自然の中では、いつも平和な時が緩やかに流れている。

 グレイシャスは、大きく深呼吸して湖を眺めた。父の剣に誓い、必ず敵を討つと決心した。男装して男として剣の腕を磨くことには、何の迷いもない。だが、全く恐れがないという訳ではなかった。一人で考えていると、不安に飲み込まれそうになってしまう。

 グレイシャスは、沸き起こってくる不安を振り払うように、腰の剣を引き抜いた。夕日を浴びて、キラリと光る真剣。今まで真剣で闘ったことなどない。もちろん、人の命を奪ったことなど一度もありはしない。だが、いつかはこの剣で人の命を奪う日が来る。そう思うと、グレイシャスは急に恐ろしくなってくる。

「エイッ!」

 グレイシャスは空に向けて剣を振りかざした。弱気になりそうな自分を情けなく思う。グレイシャスは気を引き締めて、何度も剣を振った。

 と、突然、背後に気配を感じ、グレイシャスは慌ててふり返る。

「そんな剣さばきでは、人は殺せはしない!」

「……!」

 目の前に鋭い剣先を突きつけられ、グレイシャスは危うく悲鳴を上げそうになった。突然のことに、身体が固まって動かない。見上げた先には、黒馬にまたがった青年の鋭い眼差しがあった。

「どうした? 怖じ気づいたのか?」

 青年はフッと笑い、グレイシャスの剣に向かって剣を振り上げた。グレイシャスは我に返り、素早く身を翻すと剣を構えた。

「お前は誰だ!」

「身のこなしは割りに良いな。威勢もいい」

 青年は顔に笑みを浮かべたまま、剣を一振りすると素早く鞘に収めた。

「腕を磨けば良い剣士になれるかもしれないな」

 青年はグレイシャスに軽く会釈すると、手を差し伸べた。

「もう日が暮れる。私が宿まで送ってあげよう。若い娘が夜道を歩くのは危険だ」

「……」

 グレイシャスは青年に剣を突きつけたまま睨んだ。

「断る!」

「それは残念だ」

 青年は手を引っ込め、黒馬の手綱を引いた。

「女性にしては良い剣士になるだろうが、君はドレスを着て大人しくしておいた方が良い。その美しい顔が剣で傷つくともったいないからな」

 青年は、グレイシャスを見つめて笑う。グレイシャスは怒りで顔を赤くしながら、青年の方へ向けて剣を一振りした。

「私は女ではない! グレイシャス・フィリスだ! 勝負をすれば必ずお前に勝つ!」

「私はエリヤ・テミス。向きにならずとも良い。君はまだまだ子供だな」

 エリヤという名の騎士は、声を立てて笑いながらグレイシャスを残し去って行った。











ようやく謎の人物、エリヤを登場させました! 彼は後々ストーリーに関わってきますが、それはまだまだ先の話になると思います〜

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