第十話 溢れ出る涙
「本当に切っていいの……?」
グレイシアの部屋に戻ったリオは、丸い鏡の中に映る彼女を見て、心配そうに尋ねた。グレイシアは、白いドレスの上にケープをつけて鏡の前に座り、真っ直ぐにの自分の姿を見つめている。
「あぁ」
表情を変えず、グレイシアは短く答えた。
「でも、こんなに長くて綺麗な髪なのに、もったいないよ」
グレイシアが騎士になるための断髪という、大事な役目を言い渡されたリオだが、いざ彼女の髪を切るとなると、ためらってしまう。髪を切る準備を整え、さっきからハサミを握っているリオだが、なかなか髪にハサミを入れる決心がつかない。
「髪まで切る必要はないんじゃないのかい?」
「リオ、グズグズしないで、早く切ってくれないか」
グレイシアは鏡に映るリオを横目で睨む。
「これは私の儀式なんだ。男として騎士になり、お父様の敵を討つという。私は今日から生まれ変わり、女のグレイシアを捨てる。そのための大切な儀式なんだよ」
「……分かった」
リオは軽く息を吐き、緊張気味にグレイシアの美しい金色の髪を手に取った。
初めてグレイシアと出会った日。一面に白百合の花が咲き誇る丘で、グレイシアの金色の長い髪が風になびいて輝いていた。まるで彼女の姿が光り輝いているようで、リオはグレイシアのことを本物の天使かと思いさえした。幸せだった遠い日々。平和に満ちたリオの新しい人生が、イグネイシャやメリーネやグレイシアと共に始まるはずだった。
まさか、こんなにも早くその幸せが崩れてしまうとは思わなかった。
──グレイシアと僕の新しい人生の始まり……。
リオは唇を噛みしめ、一気にグレイシアの髪を切り落とした。バサバサッと金色の髪の毛が床に落ちていく。鏡の中のグレイシアは、硬い表情をしたまま切り落とされる髪をじっと見つめていた。
「グレイシア……?」
一心に髪を切っていたリオは、ふとグレイシアの細い肩が震えていることに気付く。彼女の髪はほぼ短く切られ、鏡には少年のように髪の短くなったグレイシアが映っている。
「どうかした?」
「何でもな……」
不意に、彼女の澄んだ瞳から涙が一筋流れ落ちてきた。グレイシアは必死で涙を堪えようとするが、彼女の意に反して涙は次から次へと止めどなく溢れてくる。
「ごめん、僕、上手く切れなかったかな?」
突然の彼女の涙にリオは慌てた。
「違う……違っ」
グレイシアは肩にかかったケープを取り外すと、立ち上がって窓辺に駆けて行った。
「どうしたんだよ、グレイシア?」
リオは心配そうにグレイシアに近づく。彼女は背を向け、窓に寄りかかって泣いている。肩を震わせながら、まるで小さな子供のように泣きじゃくっていた。
そこにいるのは、強くて逞しいグレイシアではなくて、壊れてしまいそうな程繊細でか弱いグレイシア。
「今頃涙が出てくるなんて……こんなに悲しくなるなんて……お父様」
声を詰まらせながら、グレイシアは泣き続ける。
「お父様……お父様はもういない……もう二度とお会いできないっ」
「グレイシア」
「……もっと、もっと、強くならなければならないのに……泣いてなんかいられないのに……騎士になる決心をしたのに」
リオは、震えているグレイシアを後ろから抱きしめた。
「今は泣いていいんだよ。どんなに強い騎士だって、悲しい時は泣くんだ。涙を封じ込めちゃダメだよ」
グレイシアはくるりとふり返ると、リオの胸に顔を埋め、幼子のように泣きじゃくった。
「大丈夫だよ。君は一人じゃない。僕がいつも側にいるから。いつかきっと、二人でイグネイシャ様の敵をとろう」
なだめるようにリオがグレイシアの肩をそっと叩くと、彼女は泣きながら頷いた。
──グレイシアは必ず僕が守、命に代えても。きっと、それが神様が与えてくださった僕の使命なんだ。
リオは心の中で堅く誓った。