ここから始まる
本当に投げられるだろうか。
どくんどくんと脈打つ鼓動が掌に伝わってきてじんわりと汗をかく。握りしめた白球には百八個の縫い目が刻まれている。煩悩の数と同じだ、俺は強がって苦笑いを浮かべて、ピッチャープレートに足を乗せた。
大丈夫、いつも通りクレバーだ。
今の俺には、捕手の構えたキャッチャーミットが大きく見えている。
今日のアンパイアは、内角ならばどんなに際どくても甘い判定を下すが、外角のくさいところではストライクカウントを入れてくれない傾向がある。だからこそインコースを攻める必要があった。
黒のアンダーシャツを真上の太陽がじりじり焦がす。日焼けした真っ黒い手の甲は、猛練習の成果を物語っていた。練習では、やれた。俺はそう意識的に息を吐き出す。インコースにまとわりついた嫌な感情はまだ掌に残っていた。
初めての公式戦で、俺は、相手打者にぶつけてしまった過去がある。避けることはできたはずだが、相手はわざと当たりにいったように見えた。俺は、危険球を咎められて退場させられたのだった。あのとき、必死に抗議してくれた監督の声色が忘れられない。絶望的な表情をしたチームメイトのうなだれた肩を片時も思い出さなかったことはない。
あれ以降イップスに陥った俺を、みんなは献身的に支えてくれたんだ。今度は俺がみんなを支える番だろ。
手に力を込めて相手打者のヘルメットを注視する。あの辺に投げ込むんだ。失敗はできない。やれるか、俺に?
「おい、肩に力が入ってるぞ」
捕手は両腕を広げてミットを構え直した。そうだ。俺はあいつを信じて投げ込めばいい。何を迷うことがあるんだ。
「久しぶりの公式戦だからな」
俺はワインドアップモーションに移行する。胸の高鳴りが鎮まらない。昂る鼓動が、抑えられない!
「俺の投球伝説はここから始まる」
勢いよく腕を振り下ろすと、ミットに快音が響いた。
創作メーカーのお題が、『ここから始まる』だったので即興で作ってみました。田丸さんのSSメソッドを頭に入れたつもりが、あまり参考になっていなかったかもしれません。
創作はある程度は人から教わりますが、そこから先は自分で切り開くしかないようです。武道でいうところの守破離ですね。