(5)IF(もしも)の世界?
「まさに意のままね」
ここは、アカネが招喚された丘から二キロメートルほど離れた場所。彼女は如意棒を振り回し使い勝手を確認しながら、同時に対話もしていた。
「で、被召喚者の帰還条件は この世界での『死』で間違いないのね」
これは質問ではなく確認だ。彼女の後方に立っている影の薄い女性に向けられた言葉である。その隣にいる小柄な少女も影が薄い。
「はい。召喚術は そのような構造になっております」
女性の声は抑揚のない、棒読みの答えだった。
「要は、ゲームのように倒してしまえば問題ない、と言うことね」特に不快感を現すでもなく、淡々と語る。
「ところで」と、一呼吸置いて別の質問を投げる。
「召喚者を殺すと どうなるのかな? 邪神側だけじゃなく、旧神側も含めてだけど」
「……それは回答できません。制限事項です」
「ふーん。困る答えなんだ」
■■■
次の日、今日もアカネは、如意棒の使い勝手を確かめるための訓練をしている。違うのは実戦訓練であることだけだ。
ここは、宿泊地から五キロメートルほど離れた平原である。ちなみに、移動は如意棒の飛行魔法を使っている。
高速で回転させて刺突。ふわりと持ち上げ、極細に変形させて斬撃。
十メートル以上に伸ばしたり、一メートル程に縮めたり、質量さえも思いのままに変えることが出来る。まさに変幻自在である。
対戦相手はユウシャ達だ。どちらの陣営かは分からないが、そんなことは気にしていない。彼等の存在自体が許せないアカネは、もう五十体ほども消滅させていた。
そう、彼等はゲームのモンスターよろしく、致命傷を与えると 文字通り跡形もなく消えるのだ。勿論 血飛沫など出ない。訓練には最適である。
しかし、彼女の動きは本来のモノではない。いささか精彩を欠き、躊躇いが見える。それは本人も自覚していて、何とかしようと努力しているが、思うようにいかない。
あれは ただの影のようなもので、本体ではない。と頭では分かっていても、やはり動いている人間の姿をしているモノを自身の手で屠るのに抵抗があるのだ。
当然だろう。元の世界、ニッポン国において、アカネの年齢――十三か十五歳くらいにしか見えない――でヒトを殺傷した経験がある者の方が少ないだろう。
苛立ちを振り払うように、長く伸ばした如意棒を 鞭のように撓らせて、十メートルほど離れた位置にある巨岩を打つ。それは爆発したかのように弾け、飛散した。
それは、目の前の対象が視界から消えた後の一段落であり、思うように動かない、動かせない自身に対する苛立ちの表出だったか、すぐに気を取り直して深呼吸する。
付近にユウシャの気配がなくなったのを確認して、ホッと一息ついて 小さく呟いた。
「私では、やっぱろ無理ね」本日の訓練は終了。続けても成果はないと判断したのだ。
日は まだ中天を過ぎたばかりだ。
宿泊地に帰って休憩。同時に軽食を摂りながら本を開いた。
二時間ほどで読書を中断したアカネは、三日前に 食事のため立ち寄った村での出来事を思い出した。
元から この地にいた住人達は日本語を使っていた。言葉も文字もだ。
■■■
「イフの世界?」
思ってもいなかった答えにアカネは驚いた。
ここは彼女が招喚された場所から見通せない程度に ほどほど離れた小さな村の食堂である。
この村の近辺は、比較的土地が肥えていて食料事情も良好なようだ。草木も普通に生育している。
食材の入手と、ヒトから聴取したモノと手持ちの情報を対比するためだ。ちなみに貨幣はキューブに作成させた。
食事を済ませて――いまひとつの味ではあったが、取り敢えず空腹感は満たされた――雑談の中で聞かされた言葉だ。
相手はこの店の客の一人、役人らしい。
「俺達は、おまえもそうだが、腹が減ったってぇことなら間違いないだろう」
「そうなの?」
そういえばと、アカネは、あの時 招喚者が発した『召喚された者にとっては この世界での経過時間は反映されない』の言葉を思い出した。経過時間ゼロと言うことだ。空腹になど なる筈がない。納得のいく説明だ。
しかしながら、あの男はアカネのことを召喚したモノだと信じ切っていた。そんなにも判別出来ない事柄なのだろうか。彼女は まだ何か別の要因があるような気がしていた。
「空腹以外には、区別する方法はないの?」
「忌々しいが、召喚された奴らは魔法が使える。俺達の中にも 時々生まれるが……」
「ああ、冒険者のことさ。アイツらも少しば使えるが、奴らにゃ 全然敵わんな」
別の客が話しを奪い取ってアカネに話しかけてきた。
なるほど、と思った。自分が魔法を使えない理由はこれだったのだと納得した。現時点では、なのだが。
――IFの世界。その者にとっての転換点、分岐点でありながら、実際には選択されなかった事象によって創られた世界のことだ。
しかし、これには大きな問題点がある。
ただ一人の選択肢でも無数にあるのだ。それが人類全体、当然だが、今 生きている人数だけの筈はない。そうなると とんでもない値になる。それに、地球人だけが特別、なんてことがある筈がない。地球人だけが知的生命体だ、などというのも論外だ。それに、対象が知的生命体だけ、とも限らない。
つまり、無限の世界が、無限大の比率で尻上がりに増え続ける、ということだ。そんなことが あり得るのだろうか。
そんなモノの一部が、この世界に流されて来た、と言うことらしい。一部、そう全員ではない、当然だが。
彼等は、アカネのことを百数十年ぶりに来た同類だと思っているようだ。
多元宇宙、並行世界、どちらかと言えば平行世界に近いようだが、少し趣が違う。どうも、しっくり来ない。
この村の頭が、この世界の由来を語った。
「元々、ここは 魔法など存在しない とても平穏な世界だった。そう、旧神と邪神が来るまでは……」
話しを聞きながら、アカネは心の中でツッコミを入れた。
そんな筈はない。ヒトが ある程度集まれば、トラブルが起こらない訳がないからだ。余程のカリスマ性を持つ者が率いる場合でもなければ、普通は そうならない。過去を美化するのは愚かなことだ。
彼等も詳細は知らないようだが、先にこの世界を侵してきたモノが『神』を名乗り、次に来た者を『邪神』と呼んだ。邪神の方は彼等を『旧神』と呼び、両陣営が この世界の争奪戦を始めた。
「どっちも侵略者に変わりはない」と吐き捨てるように言っていた店主の言葉が アカネの耳に残っている。
それもそうだ、先住民にとっては、どちらも同じ、余所者の『侵略者』であるのに変わりはない。これは十分納得できる話しだ。
召喚された者達のことを彼等は『遊者』と揶揄して呼ぶことがある。そう言えば、と アカネは思い出した。あの男も『遊び……』と言っていた。
彼等は、召喚された者達は 両陣営の神人が、別々に「どこからか呼び出した魔法使い」だと思っている。誤解を解く必然性もないので アカネは聞き流した。
ユウシャ共は、全く周囲の事を考慮せず暴れまわる 手に負えない乱暴者、代理戦争請負人だ、と愚痴りだす者がいる。
ああ、そう言えば あの男は『勇者に選ばれた……』とか言っていたが、それを思い出して アカネは苦笑した。あれは、召喚した者 全員に同じことを言っていたに違いあるまい。